【画像】横山典弘は若い頃爽やか!3人の息子はなにしてる?奥さんはどんな人?

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騎手として活躍を続けている横山典弘さん。

お父さんもお兄さんも息子さんも騎手で、他にもご親戚に競馬関係者が多く存在する、競馬一族の一員です。

息子さんの騎手デビュー後は親子で同じレースに出場することもあり、横山典弘さんが1着で息子さんが2着という、JRA史上3回目の親子ワンツーを達成されました。

騎手の平均引退年齢が40歳前後と言われている中で、57歳の現在も騎手を続けていらっしゃいます。

今回は横山典弘さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!

目次

【画像】横山典弘は若い頃爽やか!

幼少期・10代(1968年~1988年)

引用元:X

横山典弘さんは、JRA(日本中央競馬会)騎手の横山富雄さんの次男として1968年に生まれました。お母さんは元調教師の奥平真治さんの妹さんで、お兄さんの横山賀一さんも元JRA騎手(現在は競馬学校の教官)という、競馬関係者の多い環境で育っています。

他にも義弟(妹さんの旦那さん)に元JRA騎手・JRA調教師の菊沢隆徳さんが、甥にJRA騎手の菊沢一樹さんがいて、さらに横山典弘さんのお子さんにもお2人のJRA騎手がいます。

デビュー以降競馬新聞で一貫してお名前を「横山典」と書かれているのは、血縁関係は無いものの、横山雄一さんや横山義行さんなどの同姓の騎手が存在するためです。

上の画像は、幼少期の横山典弘さんです。当時のお父さんが現在の横山典弘さんと似ていて、そっくりな親子だということが伝わってきますね。

引用元:X

横山典弘さんのデビューは1986年3月1日(当時18歳)、中山競馬第2競走です。リキアイシンプウに騎乗し、12頭立ての3着でした。初勝利は、同年4月29日の東京競馬第12競走のキオイゴッドです。デビュー年は8勝と奮いませんでしたが、翌年は31勝を挙げています。

「いつ『騎手になろう』と決心したんですか?」と聞かれることがあるそうですが、「そんなものない。あくまで自然の流れ。」「小さい頃から自然と『いずれは騎手になる』と思っていた」と答えています。

騎手の息子として生まれ、お父さんが負ければ悔しくなり、勝てば嬉しくなり、そうして頑張るお父さんを見続けてきたのが英才教育になっていたようです。

シン

お父さんとの話題は、やっぱり競馬のことが多かったのかな?

ラン

それがそうでもなかったみたい。そもそも自分から近寄らなかったんだって。
「レースというのはその騎手だけのものだから、他人からあれこれ言われても納得出来ない」と語っているよ。

20代(1988年~1998年)

引用元:東スポ競馬

1990年(当時22歳)のオークストライアル(現・フローラステークス)で勝って意気揚々としていたら、お父さんから「本番はあんな後ろから行ったら届かない」と言われたそうです。その言葉が耳に残ったまま迎えた次のレースでは早めに動いてしまい、6着という結果に終わりました。

「父親が余計なことを言ったせいで」という気持ちが残ってしまいましたが、横山典弘さんの結婚の10年後あたりから、お父さんから奥さんに「いいんだ。あのポジションは」「いいところに入った。いい乗り方だった」と伝えてくれるようになったのだとか。

「自分から見て父親は一流だったし本物のプロだったから、そんな人に認められたのは嬉しかった」と語っています。
同年にキョウエイタップに騎乗してエリザベス女王杯を制し、初めてのGIタイトルを獲得しました。

引用元:Number Web

1991年(当時23歳)には、メジロライアンとのコンビで宝塚記念を制しています。上の画像は、その時のものです。
この頃は祖父のメジロアサマ、父のメジロティターンに続いて天皇賞3代制覇を成し遂げたメジロマックイーンが「独裁者」とも言えるほどの強さを発揮して、時代の頂点に君臨しつつありました。

ですが、横山典弘さんが騎乗したメジロライアンが先頭でゴールを駆け抜け、2着のメジロマックイーンを1馬身半突き放す完勝でした。多くの競馬ファンにとって「メジロマックイーンが敗れたレース」として記憶に残る1戦になったようです。

その後も着実に勝ち星を積み重ね、1995年(当時27歳)には自身初の年間130勝を達成して、初めての関東リーディングジョッキーとなりました。リーディングジョッキーというのは、そのシーズンの最多勝利騎手のことです。

引用元:日刊スポーツ

1995年(当時27歳)のマイルチャンピオンシップでは、トロットサンダーに騎乗し3つ目のGIタイトルを獲得しました。また、12月のワールドスーパージョッキーズシリーズでは4戦中3勝という離れ業を見せて、初出場にして優勝を成し遂げています。

1996年(当時28歳)は、同年に引退した小島太さんに代わってサクラローレルの主戦騎手となり、この馬で天皇賞(春)有馬記念を勝利しました。他にもトロットサンダーで安田記念を制し、他にも「砂の女王」と呼ばれたホクトベガの鞍上を務めて川崎記念・フェブラリーステークス・帝王賞などを制しました。

1997年(当時29歳)の秋には、タイキシャトルとのコンビでスワンステークスマイルチャンピオンシップを制しています。

上の画像は、1996年(当時28歳)の表彰式で、サクラローレルと「1番ポーズ」を取る横山典弘さんです。

シン

ホクトベガはどうして「砂の女王」と呼ばれるようになったのかな?

ラン

馬も人間と同じで性別によって身体能力が結構違うんだけど、ホクトベガはメスの馬でありながら、並み居るオスの馬をことごとく退ける圧倒的な走りを見せたことからそう呼ばれるようになったよ!

30代(1998年~2008年)

引用元:スポニチ

1998年(当時30歳)にはセイウンスカイに騎乗し皐月賞・菊花賞で優勝したほか、秋に騎乗停止処分を受けた武豊さんの代わりにエアグルーヴに騎乗しました。上の画像は、1998年のものです。

以後はブラックホークとのコンビでスプリンターズステークス安田記念に勝利し、シンボリインディでNHKマイルカップを、メジロベイリーで2000年(当時32歳)の朝日杯3歳ステークスを制しました。

2004年(当時36歳)には天皇賞(春)でイングランディーレに騎乗し、単勝10番人気の低評価ながら、2着に7馬身差をつけ勝利しています。

2005年(当時37歳)と2006年(当時38歳)には、2回目と3回目の関東リーディングジョッキーとなりました。

引用元:netkeiba

2005年11月(当時37歳)には東京競馬第4競走でシークレットコードに騎乗して1着となり、史上6人目、現役2人目となる通算1600勝を11371戦目で達成しました。また、同競走を含む第2競走から第7競走までを6連勝し、JRAの連続施行競走連続勝利の新記録を達成しています。

2007年10月(当時39歳)に発表されたJRA競馬学校騎手課程27期生の合格者の中に、長男の横山和生さんが含まれていることが明らかになりました。11月には東京スポーツ杯2歳ステークスをフサイチアソートに騎乗して優勝し、この勝利と同時に4年連続、自身8度目となるJRA年間100勝を達成しました。

シン

競馬学校の騎手課程って、入学するのにどういう条件があるのかな?

ラン

中学校卒業程度の学力を有する15歳~19歳で、他にも視力や健康状態などの条件があるけど、何より特徴的なのが体重制限だね!
年齢にもよるけど、「46kg~49kg以下の者」と決まっているよ。

40代以上(2008年~)

引用元:netkeiba

2008年6月(当時40歳)の第25回エプソムカップでは、この年の重賞6勝目を記録しています。これがJRA重賞競走通算100勝目となるメモリアル勝利ともなりました。上の画像は、その時のものです。

2009年2月の小倉大賞典をサンライズマックスに騎乗して制覇し、これにより新潟競馬場を残してJRA全10競馬場重賞制覇に王手を掛けました。その年の3月(当時41歳)の中山記念をカンパニーで連覇を果たすと翌週にはアーバニティでオーシャンステークスを制覇し、さらにその翌日もロジユニヴァースで弥生賞を制覇しています。

その翌週の中山牝馬ステークスではトップハンデを背負ったキストゥヘヴンに騎乗し、このレースで引退が決まっていた同馬を勝利に導いて有終の美を飾らせたのだとか。そして横山典弘さんは自身初の4連続の重賞勝利となりました。

同年5月の日本ダービーをロジユニヴァースで勝利し、デビュー24年目、15回目のダービー挑戦にして悲願のダービー制覇を達成し、ついにダービージョッキーの称号を手にしました。美浦所属の騎手によるダービー勝利は、1997年の大西直宏さん以来12年ぶりのことでした。

引用元:日本経済新聞

2010年(当時42歳)には、4週連続重賞勝ちを記録しています。その後も早いペースで重賞勝利を積み重ねていき、5月のG1レースヴィクトリアマイルで2010年の重賞10勝目を挙げ、3年連続となる重賞2桁勝利を果たしました。上の画像は、その時のものです。

2010年は横山典弘さんにとって大活躍された年でありつつ、大変な年でもありました。9月の中山競馬場第3競走で落馬負傷し頚髄損傷・頭蓋骨骨折の重傷を負ってしまったのです。

当初は騎手生命の危機にさらされていましたが、1ヶ月後には美浦トレーニングセンターに姿を現して、当日その場にいた武豊さんがホームページで「ジャパンカップあたりでは馬に乗っていそう」と述べるほどの回復を見せて11月に復帰を果たしました。

こうしたアクシデントによる長期間のブランクに見舞われながらも、この年は120勝を挙げ、自身初の中央競馬全国リーディングジョッキーに輝きました。

引用元:東スポ競馬

2014年5月(当時46歳)は7年ぶりの台覧競馬(皇族が観戦している試合)となった日本ダービーで、ワンアンドオンリーに騎乗して自身2度目の制覇を達成しました。

2017年7月(当時49歳)には第65回クイーンステークスをアエロリットで勝利し、これにより、現行のJRA北海道重賞8競走を完全制覇して史上初の快挙となりました。

2025年4月、「第4回競馬功績者」として農林水産省より表彰されました。上の画像は、その時のものです。

同年8月の札幌記念でトップナイフに騎乗し1着となり、自身の記録を更新する57歳5カ月26日でのJRA最年長重賞勝利を達成しました。騎手の平均引退年齢が30代後半~40代とされている中で、57歳でこの活躍ぶりというのは素晴らしいですね!

シン

トレーニングセンターを変えたのって最近のことだったっけ?

ラン

そうだね!正式には美浦トレーニングセンター所属だけど、2021年10月(当時53歳)から昆貢さんの誘いを受ける形で事実上栗東トレーニングセンターに拠点を移して、騎乗を続けているよ。

横山典弘さんが所属する”JRA・美浦トレーニングセンター”には他に誰が所属してる?

引用元:JRAスポニチYahoo!ニュース

横山典弘さんの所属するJRA・美浦トレーニングセンターには、騎手の石田拓郎さん杉原誠人さん宮崎北斗さんなどが所属しています。

【画像】横山典弘の3人の息子はなにしてる?奥さんはどんな人?

横山典弘の3人の息子はなにしてる?

引用元:Number Web
引用元:中日スポーツ
引用元:高知けいば

横山典弘さんには、和生さん・寛人さん・武史さんという3人の息子さんがいらっしゃいます。次男の寛人さんについては一般人のため情報が公開されていませんが、長男の和生さんと3男の武史さんは横山典弘さんと同じで競馬騎手をされています。

和生さんは幼少期から横山典弘さんの姿を見て騎手を目指すようになり、中学校卒業後に競馬学校に入学し、2011年3月競馬学校騎手課程第27期生として美浦・勢司和浩厩舎より騎手デビューを果たしました。

親子3代騎手デビューは国営競馬時代に武平三さん、武永祥さん、武英智さん一家の例がありますが、1954年の日本中央競馬会発足後では初の事象となりました。

3男の武史さんも和生さんと同じように騎手を目指すようになりました。中学校卒業時で身長148cm・体重36kgと、あまりにも体が小さすぎて「もう1年待った方がいいのでは」という意見も出たそうですが、無事に騎手課程に入学しました。そして2017年に美浦・鈴木伸尋厩舎から騎手デビューを果たしています。

シン

中学校卒業時で身長148cmというのが明らかに小柄というのは分かるけど、その年代の男子の平均身長と平均体重はどれくらいなのかな?

ラン

168cm・58kgくらいだよ。15歳で148cmというのは、女子の平均と比べても10cmほど低いね。
でも武史さんはその後背が伸びて、今は165cmあるみたいだよ!

横山典弘の奥さんはどんな人?

引用元:スポニチ
引用元:Number Web

横山典弘さんの奥さんについては、次男の寛人さんと同様に一般人なので「園美さん」というお名前の情報以外はほぼ出されておらず、年齢や経歴などは判明していません。

現在は一般人ですが、結婚前は「藤田園美」というお名前で芸能活動をされていました。横山典弘さんは独身時代、好きなタレントを聞かれると園美さんのお名前を挙げていたそうです。

上の画像の1枚目は和生さんの競馬学校入学式の写真で、左から園美さん・和生さん・横山典弘さんです。園美さんは身長163cmの横山典弘さんよりも明らかに背が高く、スタイル抜群のお美しい方で、元芸能人というのも納得ですね!

次男の寛人さんだけが騎手の道を選ばなかったため、彼の存在が気になる方も多いと思われますが、「園美さんに似て高身長になった場合は騎手課程の体重制限に引っかかってしまって騎手になれなかった可能性もある」と語られています。

シン

夫婦仲はどうなのかな?

ラン

お2人はすごく仲が良くて、横山典弘さんのレースを観るために園美さんが札幌競馬場まで足を運んだこともあるんだって!

横山典弘さんがデビューした1986年はこんな年だった!

引用元:47NEWS週刊エコノミストOnlineFujifilm

横山典弘さんがデビューした1986年は、「チェルノブイリ原発事故」「ダイアナ妃来日」「『写ルンです』発売」などの出来事があり、話題となりました。

また、この年の流行語(大賞)は、「知的水準」で、ロイター通信社支局長 マイケル・サラモンさんが受賞しました。

横山典弘のプロフィール・受賞歴

引用元:netkeiba

プロフィール

  • 名前:横山 典弘(よこやま のりひろ)
  • 生年月日:1968年2月23日
  • 年齢:57歳(2025年10月現在)
  • 出身地:東京都府中市
  • 血液型:O型
  • 身長:163cm
  • 体重:49kg
  • 趣味:レースVTRを見る
  • 所属:JRA・美浦トレーニングセンター

受賞歴

  • 1990年・1992年・1995年-2012年:JRA優秀騎手賞
  • 1998年・2004年・2009年・2017年:JRAフェアプレー賞
  • 2010年・2012年:JRA賞最高勝率騎手
  • 2025年:第4回競馬功績者表彰
シン

趣味も競馬関連なのかぁ……。休日まで競馬1色なんだね!

ラン

今ハマっていることを聞かれても「競馬」と答えているよ!
そこまでハマれる趣味が職業になるなんて、幸せだね。

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