「年忘れにっぽんの歌」の司会や「路線バスで寄り道の旅」のレギュラーナビゲーターなどで活躍を続けている徳光和夫さん。
全日本プロレス中継の実況アナウンサーや「ズームイン!!朝!」の初代総合司会、「24時間テレビ」の総合司会だけでなく、チャリティーマラソンランナーを務めてきました。
2000年に脳卒中、2001年には急性心筋梗塞を経験し、大きな話題になりました。
今回は徳光和夫さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】徳光 和夫は若い頃秋山似!
30代(1971年~1981年)
引用元:X.com第13回ワールドリーグ戦で優勝したジャイアント馬場選手のインタビューをする徳さんこと德光和夫アナウンサー。若い!でも今とあまり顔が変わらない気がするんだけど、、。49年前の大阪府立体育館エディオンアリーナにタイムスリップ(^^) #ジャイアント馬場 #徳光和夫 pic.twitter.com/VlKzCz8nUh
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徳光和夫さんは、高校時代から長嶋茂雄さんに憧れて、立教大学に入学します。そこで、放送研究会に入部しました。それから同期の土居まさるさんに長嶋茂雄さんと一緒に仕事をすればいいじゃないかと言われ、立教大学卒業後の1963年に日本テレビへ入社しました。入社後は主にアナウンサーとしてプロレス中継をしていました。
上の画像はジャイアント馬場さんにインタビューしている時のものです。穏やかな目元が印象的ですよね。誠実で清潔感のある髪型が、当時のアナウンサーらしいです。明るく、親しみやすい、信頼できる人柄からインタビューにも誠実に答えたくなるような雰囲気があります。
引用元:X.comアナウンサーが体張り仕事をするきっかけとなった元凶徳光和夫#シューイチ pic.twitter.com/zVaFdx2Xsc
— ADASAN (@adasan2015) June 1, 2025
徳光和夫さんは、1974年(当時33歳)の時に、日本テレビ系バラエティ番組「金曜10時!うわさのチャンネル!!」に出演しました。バラエティ番組「金曜10時!うわさのチャンネル!!」は、和田アキ子さんとザ・デストロイヤーさん、せんだみつおさんらの掛け合いが人気の番組でした。
この当時のことについて徳光和夫さんは、「当時はいやいやプロレス担当をしていました。」とお話しされており、野球中継をするためにアナウンサーになった徳光和夫さんですが、プロレス担当に回されてしまい、いっそのことアナウンサーを諦め、営業にでもまわしてもらおうかと考えていたほどだったことが確認できます。
上の画像はバラエティ番組「金曜10時!うわさのチャンネル!!」の時のものです。切れ長で、穏やかな目元が優しい印象があります。マイクを握り、カメラに向かって話す姿から、視聴者に対する誠実さや信頼感が伝わってきます。全体的に、真面目さと人当りのよさがあり、非常に好感の持てるオーラがあります。
引用元:X.com今日は1979年(昭和54)情報番組の「ズームイン!!朝」が日本テレビ系列で放送開始、初代司会者は徳光和夫。2011年春に終了「ズームイン!!SUPER」までを数えれば、33年間、朝の情報番組としてニュースや話題を提供。ズームイン秘話を⇒https://t.co/mmMPhhxWyR
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五反田、器 pic.twitter.com/x0bg22Q6rv
徳光和夫さんは、1979年(当時38歳)の時に、日本テレビ系情報番組「ズームイン!!朝!」の初代の総合司会でした。日本テレビ系情報番組「ズームイン!!朝!」は、国内外からの中継を基に構成されていて、最新のニュースと気象、スポーツ情報から日本列島各所の中継、特集を放送していました。
「ズームイン!!朝!」の卒業時のときについて徳光和夫さんは、「引き剝がされたって感じだから」とお話しされており、入社時は「ニュースは絶対徳光に読ませるな」とお達しが出たのに、「ズームイン!!朝!」が好調だったので、「今度はニュースをやれ」と言われたことが大変不本意だったことが確認できます。
上の画像は情報番組「ズームイン!!朝!」の第1回放送時のものです。朝の情報番組ということもあり、元気いっぱいに話している感じがします。ハツラツとしたエネルギーとポジティブなオーラがあります。明るく、親しみやすい雰囲気があります。

德光和夫さんは、どうして「ニュースは絶対徳光に読ませるな」と言われていたのかな?

それは、入社したとき、当時の国家予算が5兆円だったのを「5円」と読んでしまったという理由から、ニュースを降ろされたみたいよ!
40代(1981年~1991年)
引用元:X.com徳光和夫のTVフォーラム
— 288Modem (@288modem) June 20, 2025
日曜午前中に放送していた、徳光和夫さん司会の生活情報番組。
アシスタントに岡田美里さん他。
1986年5月頃。#ビデオテープ発掘 pic.twitter.com/8K7yrjaHJf
徳光和夫さんは、1986年(当時45歳)の時に、日本テレビ系情報番組「徳光和夫のTVフォーラム」の司会をしました。日本テレビ系情報番組「徳光和夫のTVフォーラム」は、グルメ・温泉・冠婚葬祭・旅行などの生活情報の紹介とニュース解説を中心としたものでした。
ニュース番組について徳光和夫さんは、「ニュースは本当にダメなんですよ。」とお話しされておりましたが、久米宏さんがプロ野球の広島ファンで、巨人が優勝したら徳光和夫さんの新しいニュース番組に出演すると公約したことで徳光和夫さんのニュース番組の視聴率が上がったことが確認できます。
上の画像は情報番組「徳光和夫のTVフォーラム」の時のものです。ふっくらとした丸みを帯びた輪郭で、穏やかな表情をしています。口を閉じ、アシスタントの方の言葉ににこやかな表情で耳を傾けているところから、温かい人柄が伝わってきます。全体的に、真面目さと人当りの良さがあり、非常に好感が持てます。
引用元:YouTube
徳光和夫さんは、1989年(当時48歳)の時に、日本テレビ系チャリティー番組「24時間テレビ」の総合司会をしました。チャリティー番組「24時間テレビ」は「愛は地球を救う」をキャッチフレーズとして、日本各地でチャリティーキャンペーン活動を行っている番組です。
「24時間テレビ」の寄付金を着服していた問題について徳光和夫さんは、「存続も危ぶまれるんじゃないかなと思うような感じですね。」とお話しされており、「24時間テレビ」に46年間たずさわってきて、許し難いなというふうに思っていたことが確認できます。
上の画像はチャリティー番組「24時間テレビ」の時のものです。目尻に深いしわが刻まれており、心から笑っている様子が伝わってきます。明るく、陽気で、エネルギッシュな雰囲気が強く感じられます。視聴者に対して信頼感を与える、ベテランアナウンサーとしての落ち着きと余裕が感じられます。
引用元:X.com長寿クイズ番組の後任司会者の苦悩はどれだけの物だったか…。
— Hopegenki (@Hopegenki1) November 23, 2024
『アップダウンクイズ』小池清→西郷輝彦
『ぴったしカン・カン』久米宏→小島一慶
『クイズダービー』大橋巨泉→徳光和夫
『クイズ世界はSHOWbyショーバイ!!』
逸見政孝→福澤朗 pic.twitter.com/uZjE9hfBKW
徳光和夫さんは、1990年(当時49歳)の時に、TBS系クイズ&ゲーム番組「クイズダービー」の司会をしました。クイズ&ゲーム番組「クイズダービー」は出場者が解答者の中からクイズに正解すると思う1人に自分の持ち点を賭け、得点を増やしていく競馬方式の番組でした。
「クイズダービー」の初代司会の大橋巨泉さんについて徳光和夫さんは、「司会者の地位を上げてくれました」とお話しされており、大橋巨泉さんから指名を受け、あとを任されたことで、あらためて司会者としての大橋巨泉さんの偉大さを感じたことが確認できます。
上の画像はクイズ&ゲーム番組「クイズダービー」の時のものです。頬は健康的で、穏やかな笑顔を浮かべています。目元は笑っており、優しい印象を受けます。視聴者に向かって手を振る姿から、温かい人柄が伝わってきます。番組を盛り上げようとする陽気さがあります。

徳光和夫さんは、どうしてフリーアナウンサーになったのかな?

それは、管理職になったことでモチベーションが低下したという理由から、周囲の声を受け、フリーに転向することを決意したみたいよ!
50代以上(1991年~)
引用元:スポニチ
徳光和夫さんは、2011年(当時70歳)の時に、日本テレビ系チャリティー番組「24時間テレビ」のチャリティーマラソンを走りました。チャリティー番組「24時間テレビ」のチャリティーマラソンは第15回の間寛平さんから2020年、2021年を除いた毎年実施されており、歴代最高齢のランナーになりました。
この時徳光和夫さんは、「古希の私が走ることでチャリティーに貢献できたら」とお話しされており、1978年の第1回にアナウンサーとして携わってから2010年まで皆勤賞で出演してきました。長嶋茂雄さんが応援に駆け付けるなどのサプライズもあり、63.2kmを完走したことが確認できます。
上の画像は日本テレビ系バラエティ番組「行列のできる法律相談所」でチャリティーマラソンのランナーに選ばれた時のものです。年齢を重ねても活気のある印象があります。ガッツポーズをしていて、ポジティブで前向きなオーラがあります。
引用元:サライ.jp
徳光和夫さんは、2022年(当時81歳)の時に、テレビ朝日系紀行番組「路線バスで寄り道の旅」のナビゲーターになりました。紀行番組「路線バスで寄り道の旅」は、主に関東地方を運行する路線バスを乗り継ぎ、名所など巡りながら自由気ままに旅をする番組です。
この時徳光和夫さんは、「(横道に逸れたりすると、思いもよらない出会いや発見が待っている)こうしたことが楽しいんでしょうね。」とお話しされており、都内をぶらぶら歩くこともある徳光和夫さんが、旅でも人生でも寄り道をすることで運と縁に支えられてきたことが確認できます。
上の画像は紀行番組「路線バスで寄り道の旅」の時のものです。唇をきゅっと結び、カメラにむかってにこやかに笑っています。周囲の人々を明るくするキャラクター性が伝わってきます。全体的に、人生経験を豊富に積んだ深みと、若々しい活力が共存した、魅力的な男性という印象があります。
引用元:ORICON NEWS
徳光和夫さんは、2024年(当時83歳)の時に、テレビ東京系音楽番組「年忘れにっぽんの歌」で司会を務めました。音楽番組「年忘れにっぽんの歌」は大晦日に放送している恒例特番で、1968年から放送開始し、徳光和夫さんは2001年から24年連続で司会を務めました。
この時徳光和夫さんは、「(NHK紅白歌合戦の裏で歌番組の司会ができているということに対して)MCとしては誇りを持っております。」とお話しされており、10月くらいになると、「年忘れにっぽんの歌」のメンバーについてスタッフの人と話し始めていることが確認できます。
上の画像は音楽番組「年忘れにっぽんの歌」の時のものです。年齢を重ねても活気のある印象を受けます。また、清潔感があり、年齢を感じさせない、若々しい印象があります。落ち着きがあり、威厳に満ちた雰囲気が強く感じられます。

徳光和夫さんは、どうして24時間テレビでマラソンに挑戦しようと思ったのかな?

オファーがきたとき、「きたか...」という気持ちと「とても無理だ」という気持ちがあったけれど、「最後の取り組み」として、自分の中で熱い思いがこみ上げてきてマラソンに挑戦したみたいよ!
徳光和夫さんが所属するオフィス・ラメールの業務提携先の株式会社ソニー・ミュージックアーティスツには他に誰が所属してる?
引用元:ソニー・ミュージックアーティスツ、ソニー・ミュージックアーティスツ、ソニー・ミュージックアーティスツ
徳光和夫さんの所属するオフィス・ラメールの業務提携先の株式会社ソニー・ミュージックアーティスツには、俳優でタレントの石黒賢さん、ミュージシャンでシンガーソングライターの奥田民生さんやお笑いタレントで即応予備自衛官のやす子さんなどが所属しています。
【画像】徳光和夫は現在病気?病状は?年収がすごい?
徳光和夫は現在病気?病状は?
引用元:スポニチ
引用元:デイリースポーツ
徳光和夫さんは2001年に心筋梗塞を発症しました。当時のことについて「今まで味わったことのない胃の不快感で、早く取り出してもらいたいほどの痛みだった」そうです。立ち上がることすら全くできなくなった徳光和夫さんに奥さんが水を飲ませたことで、九死に一生を得たそうです。
また、2025年8月に腰の手術をしました。入院中に医師の許可を得てニッポン放送ラジオ番組「徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー」に出演しました。
年齢が年齢なので、健康で過ごしてほしいですね。

徳光和夫さんは、心筋梗塞の後なにか健康に気を遣うようなことをしているのかな?

それは、お医者さんからこのまま不摂生をするとまた発作が起きると言われたという理由から、好きだったタバコをやめたみたいよ!
徳光和夫の年収がすごい?
引用元:サンスポ
引用元:デイリースポーツ
現在の給料については言及はありませんでしたが、毎日テレビに出ていた時期もあったため、かなり稼いでいたのではないかと言われています。
2021年12月のテレビ東京系バラエティ番組「じっくり聞いタロウ~スター近況(秘)報告~」に出演したときに、日本テレビ時代の給料について告白していました。朝の情報番組「ズームイン!!朝!」をやっていて、夜の歌番組を含めると残業が多かったらしく、「残業手当が40万くらいついて80万くらい月収があった」と言っていました。
また、息子の徳光正行さんが日本テレビ系バラエティ番組「ダウンタウンDX」に出演したときに、生涯年収は約130億円くらいではないかと語っていました。

徳光和夫さんは、給料をどういうことに使っていたのかな?

それは、局アナ時代は公営ギャンブルに使っていなかったけれど、競馬、ボードレースにはまってから、トータルで10億以上使ったかもしれないみたいよ!
徳光和夫さんがデビューした1963年はこんな年だった!
引用元:TEZUKA OSAMU OFFICIAL、読売新聞オンライン、東急電鉄
徳光和夫さんがデビューした1963年は、「アニメ「鉄腕アトム」放送開始」、「ケネディ大統領暗殺」、「東京ヒルトンホテルが開業」などの出来事があり、話題となりました。
また、この年の流行語(大賞)は、「カワイコちゃん」、「バカンス」、「OL」さんが受賞しました。
徳光和夫のプロフィール・SNS
引用元:毎日新聞
プロフィール
- 名前:徳光和夫(とくみつかずお)
- 本名: 德光和夫
- 生年月日:1941年3月10日
- 年齢:84歳(2025年9月現在)
- 出身地:東京都
- 血液型:B型
- 趣味:野球観戦、駅伝観戦、音楽鑑賞、落語鑑賞
- 所属事務所:オフィス・ラメール
SNS
- 著書
- 1981年:徳光和夫のズームイン!!巨人軍
- 1984年:徳光和夫のズームイン!!巨人軍
- 1984年:有名人のないしょ話ーちょっといいエピソード集
- 1987年:企業内自由人のすすめ
- 1988年:今年もやっぱりジャイアンツ
- 1999年:徳光和夫の巨人軍スカウティングレポート
- 2021年:徳光流行き当たりばったり

徳光和夫さんが落語を好きになったきっかけって何なのかな?

小学2年生のときに、ラジオで落語を聞いたことがきっかけで落語が好きになったみたいだね!