【画像】武田真一は若い頃イケメン!嫁とは運命的な出会い!実家は病院経営?

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NHKの看板アナウンサーとして国民に愛されてきた武田真一さん。

穏やかな語り口で人気を博し、好きな男性アナウンサーのランキングも常に上位にランクインしていました。2023年にNHKを退局してからは、フリーのアナウンサーとしてさらに活躍の幅を広げています。

今回は武田真一さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!

目次

【画像】武田真一は若い頃イケメン!

20代・30代(1987年~2007年)

引用元:X

武田真一さんは、大学生のときに就職活動を行っていた際に友人の誘いを受けNHKに応募しました。当初はディレクター志望でNHKに応募した武田真一さんですが、アナウンサーとして採用されました。

ディレクター志望だった当時の心境を振り返って以下のようにお話しされています。

ディレクター志望でした。それも、とくに報道を、というわけでもなく、漠然と「テレビ番組を作りたい」という程度で……。というのは、私は当初、コピーライターや作詞家など、文章を書く仕事がしたいと思っていたんです。大学生のとき、サークル活動で演劇や音楽をやっていたので、何か、言葉を使う仕事に就きたいなと。

引用元:anan web

武田真一さんの思いとは裏腹に、当時のNHKには「アナウンサー志望ではない、制作マインドを持った人をアナウンサーに採用する」といった方針があり、武田真一さんもそういった方針に則ってアナウンサーとして採用されました。武田真一さんは採用されたときのことを振り返って「ちょっとびっくりしました」とお話しされていました。

学生時代にバンド活動などクリエイティブな活動をしていたこともあり、アナウンサーになろうと思った経緯については以下のようにお話しされています。

表現というものをかじっていて、(アナウンサーも)やってみたらおもしろいかなと思って、その運命を受け入れました

引用元;Yahoo!ニュース

このようにして武田真一さんは1990年(当時23歳)のときにNHKに入局しました。

上の画像は武田真一さんがNHKに入社した頃の写真です。とても爽やかで好青年といった印象ですよね!

引用元:X

武田真一さんは、NHK入局後はしばらく地元の熊本放送局を中心に、報道がメインで活躍していました。当時を振り返って以下のようにお話しされています。

番組を持つというよりも、夕方のニュース番組がその局のメーンの番組なんですね。自分でネタを探してきて、5、6分のニュースリポートを作るのが仕事で、それを1000本ノックのようにやりました

引用元:スポニチアネックス

現場で経験を積んだ武田真一さんはその後、1999年(当時32歳)のときに東京放送局へ異動することとなりました。武田真一さんは当時の気持ちを振り返って、「東京で仕事するいうことは、全国放送で仕事するということなので、いつかはあの舞台に立ちたいなと思っていた」とお話しされており、念願の東京進出だったということが確認できます。

そうした武田真一さんに突然、転機が訪れました。

あるとき大スクープが飛び込んできたときに、いつもニュースを担当している15年先輩のベテランアナウンサーが席を外しており、武田真一さんが突如そのニュースを担当することとなりました。

そのときのことを以下のようにお話しされています。

何とかやったんですよ。で、何とかできた。それで、こいつにある程度任せてもいいんじゃないのかな?って。その時に先輩が席を外していなかったら…。そのチャンスがあったというのは、今思えばですけど、あの瞬間がなかったら、ニュースの仕事してたかなって

引用元:Yahoo!ニュース

突然のチャンスをものにした武田真一さん、かっこいいですよね!

同年、武田真一さんは土日正午の「NHKニュース」に抜擢され、翌年からは同番組の平日正午を担当することとなりました。

成功の秘訣について、武田真一さんは「東京に来る前に、先輩がいて、よく言われていたことがある。“お前の舞台は、お前が思っているよりもずっと早く来るぞ。だから準備しておけ”」という教えを受けていたことだとお話しされていました。

上の動画は、1999年(当時32歳)のときのニュースを読む武田真一さんです。若さを感じますが今とあまり変わらない印象ですね!

引用元:X

武田真一さんは、2006年(当時39歳)の時に、本人の希望で沖縄放送局に異動しました。そして実力があり人気も博していた武田真一さんは、沖縄で勤務しつつも全国放送の番組にも度々出演していました。

沖縄に住んでいたときのことを振り返って以下のようにお話しされています。

沖縄に住んでいた時、よく空の写真を撮っていました。青空の濃さと雲の表情に心奪われ、しばらく見とれることもありました。その美しさは、悲しみを呼び起こす切なさもはらんでいます。

引用元:中日スポーツ

ほかに、「沖縄局に勤務していたときに、沖縄戦が行われた3月の末から6月まで、当時の人々の状況を実感したいということで、食べるものを減らして過ごしたことがあるんですよ」と思い出を語っており、このときのことを「10キロ以上減って苦しかったんですけど貴重な経験でした」と振り返っていました。

武田真一さんってストイックなんですね・・・!

上の画像は沖縄放送局時代の武田真一さんです。「きんくる」という番組のワンシーンです。この番組は、沖縄で放送されている地域密着型の情報番組です。武田真一さんは初代キャスターを務め、2年ほど出演していました。

武田真一さんは30代になっても変わらず爽やかな印象がありますね!

シン

武田真一さんの沖縄での思い出って他にどういうのがあるのかな?

ラン

武田真一さんは、沖縄勤務時代に「沖縄そば」に夢中になっていたんだって!充実した沖縄生活を送っていたみたいだね!

40代(2007年~2017年)

引用元:X

武田真一さんは、2008年(当時41歳)の時に、東京アナウンス室に復帰しました。そして同年に、平日の「NHKニュース7」のメインキャスターに就任しました。武田真一さんは「NHKニュース7」のメインキャスターを9年間担当し、すっかりNHKのエースアナウンサーのひとりとなりました。

武田真一さんは当時、意識していたことなどを以下のようにお話しされています。

ニュース番組は、どんなに難しいテーマでも、2分、長くても3分というごく限られた時間の中で、しかも一度しか聞くチャンスのない方に、内容を100パーセント理解していただかなくてはなりません。そんなとき、私の発音や声の調子が悪かったりすると、そこで理解が止まってしまいます。ですから、いかにアナウンスというものの存在を感じさせないようにするかというのが、日々の課題でした。視聴者の皆さんの日常のライフラインとして、情報だけがいつでも、スッと心の中に入っていくような伝え方をと……そうですね、たとえて言うなら、「白いお米のごはん」でしょうか。

引用元:anan web

どんなときでも、視聴者の視点に立ってニュースを伝えてきたことが確認できます。

NHKの顔となった武田真一さん。2011年(当時44歳)のときに発生した東日本大震災のニュースでは、声が枯れるまで状況を伝え避難を呼びかけ続ける懸命な姿に、多くの人の胸を打ちました。武田真一さんは当時を振り返って以下のようにお話しされています。

黒い津波が家や車や畑を飲み込んで行く映像を前に、ことばを失っていました。実際には膨大な量のことばを発していたんですが、映像をひたすら声に置き換えているだけで、あの光景を呆然と眺めていたに等しかった。命を守るためのことばは、見つけられなかった

引用元:NHK

さらに、「一番大切なのは、とにかく逃げてもらうこと。確かに、被災者の心を傷つけるかも知れない。しかし避難のトリガーとして、このことば以上のものはないと考えました。」とお話しされていて、報道を通して視聴者の方を救おうという気持ちが伝わります。

いつでも視聴者想いな武田真一さん、素敵ですよね。

上の画像は、2010年(当時43歳)のときに開催されたバンクーバーオリンピックについてニュースで伝えていたときの武田真一さんです。優しい笑顔と柔らかい雰囲気が魅力的ですよね!

引用元:日刊ゲンダイ

NHKの看板アナウンサーとなった武田真一さんは、2016年(当時49歳)の時に、紅白歌合戦の総合司会を務めました。このとき武田真一さんは、「情熱と真心を込めて務めたい」とお話しされており、いつもよりいっそう気合が入っていたことが確認できます。

たくさんのニュースを伝えてきた武田真一さんですが、歌番組の司会を務めるのはこのときが初めてで、以下のようにお話しされていました。

歌番組は全く初めて。普段はニュースを担当しているんですが、『紅白』は番組自体がニュースなんだと感じています。合間のニュースではなく、総合司会を担当させていただきます

引用元:ORICON NEWS

また、紅白歌合戦に向けて1年後輩のアナウンサー有働由美子さんからアドバイスを細かく受けてとても助かったと、以下のようにお話しされています。

A4の紙3枚にわたる、とても細かな引き継ぎメモをもらいました。たとえば、司会が待機する舞台裏にはいすがなく、ずっと立っていなくてはならないのがつらかったので、いすを用意してもらった方がいいとか、ほこりっぽいので、加湿器を持っていった方がいいとか、とても助かりました

引用元:NEWSポストセブン

有働アナウンサーも元々NHKに所属していたため、武田真一さんとは交流がありお互いをリスペクトし合っていて、有働アナウンサーは武田真一さんのことを「お仕事にも人にも言葉の選び方にも真摯で誠実」とお話しされていて信頼を寄せていることが確認できます。

上の画像は紅白歌合戦の時のものです。映画「シン・ゴジラ」の寸劇が話題を呼びました。

引用元:ORICON NEWS

武田真一さんは、2017年(当時49歳)の時に、9年間キャスターを務めた「ニュース7」からの卒業と、「クローズアップ現代+」の新キャスターを務めることを発表しました。

武田真一さんは「ニュース7」からの卒業に関して「さびしいなと思っております。ニュースセンターは家のように感じていた」とお話しされており、番組に愛着を持っていたことが確認できます。

新たに担当する「クローズアップ現代+」については以下のように意気込みを語っていました。

“しなやかなジャーナリズム”をコンセプトに、間口を広く、生活に密着した情報から、国内外の情勢、ビジネスに役立つ情報、文化・芸能・スポーツにいたるまで、あらゆることをしなやかに伝えていきたい。いま、“フェイクニュース”や“もうひとつの真実”という言葉が話題になっているからこそ、本当に伝えるべきことは何なのか、ありとあらゆる分野において探っていきたい。情報の海をさまよっている状態の私たちのひとつの羅針盤になるような番組にしたいと思っています

引用元:ORICON NEWS

上の画像は2017年の新番組発表の記者会見の時のものです。柔和な表情がとても素敵ですよね!

シン

クローズアップ現代+」ってどういった番組なの?

ラン

クローズアップ現代+」はニュースおよび報道ドキュメンタリー番組で、毎日1つのテーマについて深く掘り下げて、それに関わる人のインタビューや有識者の意見を紹介したりしているよ!武田真一さんは、2017年から2021年の間、この番組を担当していたよ!

50代以上(2017年~)

引用元:NHKアーカイブス

武田真一さんは、2021年(当時54歳)の時に、東京放送局から大阪放送局へと異動しました。当時のNHKの会長の「地域拠点局」の強化方針に則っての異動でした。

この時、武田真一さんは以下のように東京と大阪の違いについてお話しされていました。

東京は新宿や池袋など大きなターミナルごとに特徴があり、人々の年代や属性も分かれている印象があるのに比べて、大阪は梅田や心斎橋など人が集まる場所にはたいていアーケード街が作られ、おしゃれな洋服屋さんの隣に昔ながらのお店があったりして、人の営みが分断されることなく続いているところにも違いを感じます。引っ越してくるまでは大阪も東京も似たような大都市だろうと想像していましたが、まったくそうではなかった。新しい暮らしにときめいています(笑)。

引用元:nippon.com

環境が変わっても新しい暮らしを楽しめる武田真一さん、素敵ですよね。

同年、「東京から離れた目線で世の中の今を伝える」というコンセプトの大阪発のニュース番組ニュースきん5時」がスタートし、武田真一さんがメインキャスターに就任しました。武田真一さんはこの番組を通して「日本各地にこれほど豊かな暮らしがあったのかと毎回驚かされてばかり」と新たな発見があったとお話しされていました。

上の画像は「ニュースきん5時」に出演しているときの武田真一さんです。穏やかな語り口で人気を博し、この頃には好きな男性アナウンサーの上位ランクインの常連となっていました。

引用元:Instagram

武田真一さんは、2023年(当時55歳)の時に、NHKを早期定年退職することを発表しました。退局を決めたときの心境について、武田真一さんは以下のようにお話しされています。

ずっとNHKでやってきて、素晴らしい仲間と一緒に、本当にいろんな経験させてもらいましたけど、“ああ、それがもうすぐ終わるなあ”っていう、その寂しさとか。で、どうしようかなって思ってたんですね。で、ふと青空を見たら、これがすごく大海原のように見えて、“あ、そっか、ここに漕ぎ出していけばいいんだ”って思ったんですよ。もちろんどこに行くかはわからないんですけど、目的地が見えないっていうことの方が、実はワクワクするし、楽しいことなんだなって、わかったんですね。だから、この大海原に乗り出そうって思いました

引用元:Yahoo!ニュース

上の画像は2021年から出演している「ニュースきん5時」に最後に出演した際の写真です。

このとき武田真一さんは番組内で「NHKをご覧の皆さま、ここまで育てていただきまして、本当にありがとうございました」と笑顔で挨拶していました。

引用元:読売新聞オンライン

武田真一さんはNHKを退局後、妻の陽子さんと個人事務所を立ち上げました。フリーのアナウンサーとなった心境を以下のようにお話しされています。

これまでNHKという組織に雇用されていたので、たとえ番組がなくなってもクビになることもないし、黙っていても次の仕事が与えられてきました。でも、今はフリーですから、先の保障があるわけではありません。自分の言動や態度、立ち振る舞いの一つひとつが評価の対象になりますから、プレッシャーや不安がないといったら嘘になります。

どうすれば番組に貢献できるのか、常に考えています。会社員時代よりも、さらに責任感を持ってのぞんでいますね。

引用元:CHANTO WEB

武田真一さんは2023年(当時55歳)のときに、情報番組「DayDay.」のMCに就任しました。番組への思いを武田真一さんは以下のようにお話しされています。

ニュースもやれば、エンタメも生活情報も、お出かけ情報もお天気もやる。災害が起きたら、それもしっかりやるし、(米大統領の)トランプさんの関税の問題など国際的な動きもお伝えします。この時間帯に家にいらっしゃる方が、お忙しい中でも、日本や世界で何が起きているのか、少しでものぞけるような番組になっていればいいなと思います

引用元:読売新聞オンライン

武田真一さんは、スタジオの空気感や共演者との雰囲気作りも大切にしているそうで、同番組に関しては「僕がいつも願っていることですが、スタジオはとても和やか」と嬉しそうにお話ししています。

さらに、同番組への出演を通して以下のようにもお話しされていて、充実した日々を送っていることが確認できます。

NHK時代は、主に報道番組を担当してきましたが、今出演している『DayDay.』は、バラエティー要素もある情報番組なので、これまでにない経験をたくさんさせていただき、毎日刺激を受けています。この歳になって、こんなにも新しいことをいろいろ経験できるものかと、すごく幸せに感じていますね。

引用元:CHANTO WEB

フリーのアナウンサーになり、さらに活躍の幅を広げている武田真一さんの今後もとても楽しみですね!

上の画像は「DayDay.」での武田真一さんです。笑顔がとっても素敵ですよね!

シン

武田真一さんの今後の目標ってあるのかな?

ラン

今後もアナウンサーとして活躍していきたいと考えているみたいで、「これからも視聴者の皆さんに優しく寄り添っていければ。還暦前の僕が元気で頑張っている姿を見て、皆さんも頑張ろうかなって思っていただければ、うれしいですね」とお話しされているよ!

武田真一さんが所属していた”NHKアナウンス室”には他に誰が所属してる?

引用元:NHKNHKNHK

武田真一さんの所属していたNHKアナウンス室には、アナウンサーの佐々木智一さんや、後藤佑季さん一柳亜矢子さんなどが所属しています。

【画像】武田真一は嫁と運命的な出会いだった!実家は病院経営?

武田真一は嫁と運命的な出会いだった!

引用元:Instagram
引用元:熊本日日新聞

武田真一さんは、妻の陽子さんと高校生のときに出会っています。同じ高校の同級生だった2人は、席替えで席が前後になったことがきっかけで仲良くなり、大学生になってから交際に発展しました。青春ドラマのような出会いですよね!

お互い佐野元春さんのファンで趣味も合い、意気投合したそうです。

その後、武田真一さんは19歳になったときに語学研修でイタリアへ行きました。このとき妻の陽子さんも一緒に行き、2人で切磋琢磨しながら研修に挑みました。その後も2人で何度かイタリアへ訪問しています。

そして2人は90年代に結婚し、夫婦となりました。

上の画像1枚目は、イタリアの語学研修で出会った友人との写真です。このときおよそ30年ぶりの再会を果たし、武田真一さんは以下のようにお話しされていました。

30年前にお会いして、その時はまだ僕ら(武田夫婦)も家族を始めたばっかりだった。それぞれ無事にお互いに色んなことを頑張ってきて、本当に大変だったと思うんですけど、ようやくここでまた、お会いできたということが人生の不思議を感じます

引用元:エンタックス

武田真一さんは奥様との間に2人の息子を授かっています。

奥様は武田真一さんがNHKに勤めている間は主婦として武田真一さんのことを支えてきました。武田真一さんがNHKを退局した後は、共同経営者として一緒に個人事務所を立ち上げ、妻の陽子さんはマネージャーを務めています。

奥様の仕事ぶりについて、武田真一さんは以下のようにお話しされています。

妻は30年ぶりの社会人。長い間主婦でしたし、はじめのうちは同行してくれるだけでいいと考えていました。

ところが、今日みたいなインタビューを受ける際に、写真撮影が始まれば、マネジャーである妻の周りに人が集まってきて、「チェックお願いします」「今後の段取りどうします?」などと、仕事が始まっている。はじめは彼女に対応できるかハラハラしましたが、意外となんとかなるものですね(笑)。

引用元:婦人公論

奥様は仕事にどんどん慣れていき、今では交渉ごとも全て担っているそうで、武田真一さんは奥様のことを「良きビジネスパートナー」であるとお話しされています。

上の写真の2枚目は、2人の息子さんとのスリーショットです。溢れる笑顔から幸せが伝わってきますよね!

シン

武田真一さんは奥様とケンカしたりしないのかな?

ラン

ケンカもするみたいだよ!でも、武田真一さんは夫婦円満を心がけていて、「近くで何から何まで見て、率直に指摘してくれる存在がいるのはありがたいので、顔はムッとしていても、しっかり耳だけは傾けるようにしています」とお話しされているよ!

武田真一の実家は病院経営?

引用元:熊本日日新聞
引用元:AERA

武田真一さんは熊本市出身で、お父さんは熊本にある阿蘇の南郷谷で約40年間、整形外科医院を経営していました。2014年にお父様が急逝してからは熊本県内の医療法人が経営を引き継いでいましたが、2025年に病院は閉院しています。

武田真一さんは、実家のことについて特に言及してはいませんが、地元の熊本については「熊本の魅力は、なんといっても緑と水の風景。それは、人々の日々の営みによって築かれ守られてきた風土。」と魅力をお話しされています。

そうした武田真一さんはアナウンサーとしてのキャリアを地元の熊本でスタートさせていて、デビュー当時のことは以下のようにお話しされています。

僕は、本当にだめな新人でしてね。何かの番組の冒頭で、「今日はお日さまが輝いて、とってもいいお天気ですね」と挨拶したら、先輩のディレクターに「お日さまって何だよ。それを言うなら太陽だろ」と叱られたんです。さらに、「天気がいいって、日照り続きで困っている農家の方がいるかもしれないじゃないか」と。

引用元:anan web

また、武田真一さんは5人兄弟の長男であることを公表していますが、他の兄弟の職業などは明かされておらず、ご家族のプライバシーが守られています。

シン

武田真一さんは医者になるっていう選択肢はなかったのかな?

ラン

武田真一さんはインタビューで、もしアナウンサーになっていなかったら「ロックンローラー、現実的にはコピーライター」になっていたと答えているから、医者になるっていう選択肢はなかったんだと思うよ!
お父さんが亡くなって病院が閉院しているから、ご兄弟も医者にはならなかったのかもしれないね。

武田真一さんがデビューした1990年はこんな年だった!

引用元:ウェザーニュース日本アニメーションドイツ連邦共和国大使館総領事館

武田真一さんがデビューした1990年は、「秋山豊寛さんが日本人初の宇宙飛行に成功」、「ちびまる子ちゃんのアニメ放送がスタート」、「東西ドイツの統一」などの出来事があり、話題となりました。

また、この年の流行語(大賞)は、バブル経済を象徴する「アッシーくん、メッシーくん、ミツグくん」が選ばれました。それぞれの言葉の意味は、女性の送り迎え、食事の奢り、プレゼントをさせられる男性を指しています。

武田真一のプロフィール・SNS

引用元:ダイアモンド・オンライン

プロフィール

  • 名前:武田真一(たけたしんいち)
  • 生年月日:1967年9月15日
  • 年齢:57歳(2025年9月現在)
  • 出身地:熊本県
  • 血液型:B型
  • 趣味:ギター、アニメ
  • 特技:マラソン
  • 所属事務所:元NHKアナウンサー、現在はフリー

SNS

シン

武田真一さんの好きなアニメって何なのかな?

ラン

聲の形」と「宇宙よりも遠い場所」がお気に入りみたいだよ!アニメは息子さんの影響で好きになったんだって!

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