19歳で俳優デビューを果たしてから第一線で活躍を続けている佐藤浩市さん。
映画を中心にドラマなど映像作品で様々な役を演じていて、時代劇からコメディに至るまで幅広い作品で活躍しています。日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞をはじめ、様々な賞を受賞しており主役・脇役問わず今や日本の映画界に欠かせない存在となりました。
また、音楽活動にも力を入れています。デビュー40周年を迎えた2020年に、初のアルバム「役者唄 60 ALIVE」をリリースし、それ以降ブルーノート東京で定期的にライブを開いて歌手活動を行っています。
今回は佐藤浩市さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】佐藤浩市は若い頃イケメン!
10代・20代(1980年~1990年)
引用元:週刊女性PRIME 
佐藤浩市さんは、俳優である父・三國連太郎さんのもとに誕生しました。名前の「浩市」も三國連太郎さんが命名しました。
名前について佐藤浩市さんは「当時親しくしてらっしゃった監督お二人の名前から一文字ずつ取った。だから『いち』は漢数字じゃない」とお話しされています。
幼い頃から父親の仕事現場に連れて行かれていた佐藤浩市さんは、やがて映画俳優になることを志すようになりました。佐藤浩市さんは俳優を目指すことになった経緯について、以下のようにお話しされています。
父親(三國連太郎)が俳優だったので、撮影所にはよく行き来していました。今はモニターで映像をチェックできるから撮影にかける時間が短くなりましたが、昔は1つひとつのカットにすごく時間をかけていた。そんな現場を見ているうちに自分も加わりたいと思って、多摩芸術学園の映画学科に入ったんです
引用元:映画ナタリー
高校卒業後は、多摩芸術学園の映画学科に入学した佐藤浩市さんは、学校に在籍中の1980年(当時19歳)のときにNHKのドラマ「続・続事件」でデビューしました。
俳優デビューについて佐藤浩市さんは「それまでに父、三国(連太郎)の撮影現場を何度も見ていたので、自分が演技をするということに抵抗はなかったですね。」とお話しされています。
また、当時を振り返って以下のようにお話しされていました。
主演の若山富三郎さんから『お前、気持ちできてんのか? できるまで便所にいろ』と言われて。20分ごとにADが『気持ちできた?』って聞きにくるんですけどなかなかできなくて、その間現場をストップさせてしまいました。ただ、その頃はいい意味でそういうことができる余裕が現場にあったんですね
引用元:映画ナタリー
主演の若山富三郎さんはとても厳しく、「怒鳴られることはしょっちゅうでした」とも明かしていました。
上の画像はドラマ「続・続事件」の撮影現場で撮られた写真です。爽やかな好青年といったイメージで素敵ですよね!
引用元:X【おすすめ】
— 日本映画専門チャンネル (@nihoneiga) April 18, 2017
今夜9時より「青春の門 自立篇」を放送いたします。前年に公開された五木寛之の自伝的大河小説「青春の門」の続編。主人公の伊吹信介を前作に引き続き佐藤浩市が演じています。故郷・筑豊を離れ、大学に進学した伊吹信介の青春の彷徨を、力強いタッチで描きます! pic.twitter.com/Okc078cIW8
佐藤浩市さんは1981年(当時20歳)のときに映画「青春の門」に出演し、スクリーンデビュー、さらに映画初主演を果たしました。スクリーンに映った自分の姿を観て、佐藤浩市さんは「俳優として生きていこう」と決意したとお話しされています。
さらにこの作品で日本の映画賞である日本アカデミー賞とブルーリボン賞でそれぞれ新人賞を受賞しました。
当時を振り返って佐藤浩市さんは以下のようにお話しされています。
当時は撮影現場の雰囲気が厳しくてね。うまくできないと罵倒されるし、さすがに殴られたことはなかったけど胸ぐらを掴まれたことはありました。モラハラとかパワハラといった言葉が社会に浸透してから確かに和やかな雰囲気になって、それはそれで素晴らしいことだと思います。
でも、ぼく自身は“こいつを育ててやろう”という愛のもとに、叱ってくれた大人に感謝しているんです。そういう大人がいてくれたおかげで、ぼくは成長できたと思うから
引用元:NEWSポストセブン
若手時代を厳しい環境の中で過ごしたことと、その時間が成長に繋がったことが確認できます。
上の画像は映画「青春の門」でのワンシーンです。お顔立ちがとても綺麗でかっこいいですよね!
引用元:モンタージュ 
佐藤浩市さんは20代のとき、ドラマや映画に立て続けに出演していました。
1986年(当時25歳)のときには映画「人間の約束」で父である三國連太郎さんと初共演を果たしました。その後、2人の共演は10年間ありませんでしたが、その理由については以下のように説明していました。
自分たちで勝手にハードルを上げちゃってたんですよね。一緒にやる作品は監督はこの方でとか、いろんなことでお互いにハードルを高くしてしまったがために一緒にやる機会を失ってしまった
引用元:サンスポ
また、同年に佐藤浩市さんはモデルの女性と結婚しました。しかしながら女優の手塚理美さんとの不倫報道などが原因で3年後の1989年(当時28歳)のときに離婚しています。
激動の私生活を送りながらも、当時からドラマや映画に引っ張りだこの佐藤浩市さんは過去を振り返りつつ、以下のようにお話しされています。
運がいいんですよ。1つ終えると次の仕事をいただけるというのは。長く続けることができたのも、長く続ける流れがあったからできたこと。才能とか、努力とか、根性とかいうこと以前に縁に恵まれているというか……。作品もそうだし、人との出会いも大きいし
引用元:NEWSポストセブン
佐藤浩市さんは20代の頃、脇役での出演も多かったものの、確かな演技力と存在感を多くの作品で発揮しました。
上の画像は1981年(当時20歳)のときに公開された映画「マノン」でのワンシーンです。物思いに耽る表情もとてもかっこよくて素敵ですよね!
引用元:NEWSポストセブン 
佐藤浩市さんは1988年(当時27歳)のときに映画「敦煌」で主演を務めました。この作品では、10万人のエキストラの出演や、4万頭の馬をロケで使用するなど半年かけて壮大な撮影が敢行されました。
この大がかりな撮影を振り返って、佐藤浩市さんは「苦しくも楽しい思い出です」とお話しされていました。さらに、インタビューで人生で1番美味しい料理は何だったかと問われた際に、当時のことを振り返りつつ以下のようにお話しされていました。
20代半ばの頃に半年間、中国に行っていたんですよ。帰ってきて食べた卵かけご飯ですね。むこうでは生卵をなかなか食べられなくて
引用元:日刊スポーツ
作品は大ヒットを記録し、日本アカデミー賞の作品賞を受賞しています。
佐藤浩市さんは、翌年の1989年(当時28歳)のときに公開された映画「文学賞殺人事件 大いなる助走」でも主演を務めました。
上の画像は映画「敦煌」でのワンシーンで、1番左が佐藤浩市さんです。凛々しい表情をしていますね!20代後半となり、大人の男性の魅力が増しているようにも見えます。
 シン
シン佐藤浩市さんの恋愛観ってどんな感じなのかな?
 ラン
ラン佐藤浩市さんは出会いがなくても焦らなくていいとお話しされていたよ!そのうち「このために待っていたのかという人がきます」と言っていたよ!
30代(1990年~2000年)
引用元:X深作欣二の『忠臣蔵外伝・四谷怪談』の佐藤浩市。破壊力が半端ない。#佐藤浩市 pic.twitter.com/kj98eg1XCK
— ami-hama (@hst38) September 13, 2019
佐藤浩市さんは1993年(当時33歳)のときに、舞台女優の広田亜矢子さんと再婚しました。前妻と、広田亜矢子さんとの間にはそれぞれ一児ずつ誕生しています。
その後、佐藤浩市さんは1995年(当時35歳)のときに松竹誕生100周年を記念して制作された映画「忠臣蔵外伝 四谷怪談」で主演を務めました。
この作品で佐藤浩市さんは、日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞を受賞しています。また、この作品は最優秀作品賞や最優秀監督賞、最優秀脚本賞など日本アカデミー賞にてかなり高い評価を得ました。
一方で、佐藤浩市さんは「僕自身、きちっとした『忠臣蔵』には興味がない」とお話されていて、「人間くささや生々しい人間の姿に焦点を当てた物語」に興味があると明かしていました。
上の画像は、映画「忠臣蔵外伝 四谷怪談」のときの写真です。お顔の美しさが際立っていますよね!
引用元:東京フィルメックス 
佐藤浩市さんは、1998年(当時38歳)のときに映画「あ、春」にて主演を務めました。
この作品の監督を務めた相米慎二さんとは、その後交流が続いたと以下のようにお話されています。
『あ、春』以降、相米さんが亡くなるまで、親しくお付き合いしていました。ゴルフ行ってハーフで雨が降ると、そのまま競馬場にハシゴしたりして...粋といえば聞こえは良いけど、正直、俗物だなーと思いました(笑)。
引用元:東京フィルメックス
佐藤浩市さんはゴルフと競馬をこよなく愛しているそうなので、相米慎二監督とは趣味が合ったのですね!
上の画像は、映画「あ、春」でのワンシーンです。30代の頃の佐藤浩市さんは若さがありつつ、大人の男性の魅力も増してきていて素敵ですよね!
引用元:ザテレビジョン 
佐藤浩市さんは、2000年(当時39歳)のときに公開された映画「ホワイトアウト」に出演し、日本アカデミー賞の最優秀助演男優賞を獲得しました。また、同年に公開された映画「顔」でも高崎映画祭で最優秀助演男優賞を受賞し、映画界で確固たる地位を築いていきました。さらに同年にはドラマ「天気予報の恋人」にて主演を務めました。
高い演技力で、舞台作品へのオファーも来ているようですが「自分は映像で際立つ役者である」とお話しされていて、映像作品の出演を続けています。
また、佐藤浩市さんは30代のときにテレビドラマに出演した影響で気付きや変化があったと以下のように語っています。
引用元:ライブドアニュース
いわゆるトレンディドラマに出だしたら急に周りが変わって、仕事がドンドン来るようになった。「CMが俺なんかにもくるんだ」みたいな(笑)。テレビの影響ってすごいなあとは思ったけど、でも、ここじゃないな、自分のいたい所は、と。やっていることは映画と変わらないんだけど、ドラマの場合はなかなか着地点が見えない。それと2時間前後で完結したいというのも僕の中にあるので、ドラマには何か潔さを感じなかったんですよね。
佐藤浩市さんは映像作品の中でも、映画出演に対してのこだわりがあることが確認できます。
上の画像はドラマ「天気予報の恋人」でのワンシーンです。爽やかな笑顔もかっこいいですよね!
 シン
シン佐藤浩市さんって映画鑑賞も好きなのかな?
 ラン
ラン佐藤浩市さんは小学生の頃から映画を観ることが好きで、中学生になってからはひとりでバスに乗って映画館まで足を運んでいたんだって!
40代(2000年~2010年)
引用元:MOVIE WALKER PRESS 
佐藤浩市さんは、2002年(42歳)のときに映画「うつつ」に出演しました。この作品で、佐藤浩市さんは日本映画批評家大賞とブルーリボン賞にて主演男優賞を獲得しています。また同年に公開された映画「KT」でもそれぞれ同じ賞を獲得し、ますます映画界での存在感が増していきました。
映画「KT」は、1973年に実際に起こった事件「金大中事件」を題材としていました。初めての日韓合同作品で、佐藤浩市さんは当時の撮影秘話を以下のように明かしています。
「え、何で今、キム・デジュン(金大中)なの? 危なっかしいな」と思いました。案の定、撮影のときは結構危険なことがあったんですよ(笑)。
引用元:ムビコレ
危険な中、撮影された映画だなんてとても気になりますよね。
上の画像は映画「うつつ」でのワンシーンです。横顔もとてもかっこいいですよね!
引用元:X斎藤一
— 滝番晟 (@takibansei7) May 5, 2019
(壬生義士伝)
”寄らば斬る”を地で行く佐藤浩市さんの鋭利ともいうべき演技、黒地に赤差しのダンダラというハイセンス、そして”斎藤一 左利き説”をくまなく表現した(大小を逆に差す等)白眉な設定に痺れる!😉 pic.twitter.com/xgJAJzKI7r
佐藤浩市さんは、2003年(当時43歳)のときに浅田次郎さんの歴史小説が原作の映画「壬生義士伝」に出演し斎藤一役を演じました。
この作品は日本アカデミー賞の最優秀作品賞に選ばれ、佐藤浩市さんは最優秀助演男優賞を受賞しました。
翌年にはドラマ「新撰組!」に出演し、本作では芹沢鴨を演じました。この作品の監督を務めた三谷幸喜さんとは、その後も関係性が続き、当時を振り返って以下のようにお話しされています。
三谷氏と初めて一緒にした仕事は『新選組!』で、そのときは、NHKのキャスティングでしたが、考えてみれば、偶然の引き合わせこそが縁ですね。三谷氏とは相性がいいというか、ユーモアの感性が一致しているというか。とにかく素敵な巡り合わせに感謝しています
引用元:NEWSポストセブン
「壬生義士伝」や「新撰組!」で好演を魅せた佐藤浩市さんは40代以降、時代劇への出演も増えてさらに活躍の幅を広げました。
上の画像は映画「壬生義士伝」での佐藤浩市さんです。着物姿もお似合いでとても素敵ですよね!渋さも出てきています。
引用元:シネマトゥデイ 
佐藤浩市さんは、2006年(当時46歳)に公開された映画「THE 有頂天ホテル」に出演しました。この作品の撮影がとても楽しかったと、佐藤浩市さんは以下のようにお話しされていました。
皆さん役者として素晴らしい方ばかりなので、笑わせるツボは心得てらっしゃいますし、1シーンとも劣るところがなくたくさん笑わせて頂きました。西田(敏行)さんの役は誰が見てもおかしいですしね(笑)。
引用元:シネマトゥデイ
このとき共演した女優の篠原涼子さんは、佐藤浩市さんについて「いっつも何か食べてるんですよ。子供みたいに食いしん坊で、ブドウだとか、お茶漬け食べたいだとか、バナナが食べたいだとか、かわいいんですよね。」とお話しされていました。
かっこよくて、子供っぽい可愛い一面もあるだなんて魅力的ですよね!
また、この作品では日本アカデミー賞の優秀助演男優賞に選ばれました。同年には映画「雪に願うこと」にも出演していて、東京国際映画祭で最優秀主演男優賞を獲得しています。
上の画像は映画「THE 有頂天ホテル」に出演していた頃の写真で、当時46歳です。歳を重ねても、いつまでもかっこよくて素敵ですよね!
引用元:X『ザ・マジックアワー』で有名な佐藤浩市さんのナイフ舐めシーン🤪
— 弾正 (@naoejou) May 23, 2022
色んなパターンがあったとは😂
そして、それを見続けた西田敏行さんのリアルな表情が素晴らしい🤣#初耳学 pic.twitter.com/SoD0BvHGAe
佐藤浩市さんは2008年(当時48歳)のときに映画「ザ・マジックアワー」に出演しました。これまでは硬派なイメージが強かった佐藤浩市さんですが、この作品の出演以降コメディ映画でも活躍するようになりました。
上の画像にあるように、ナイフを舐めるシーンは話題を呼び、当時の撮影秘話について佐藤浩市さんは以下のように明かしています。
コメディはどこまでがOKか、OVER DO(やりすぎ)にならないかの塩梅なんです。やり足りなければ笑いは起きないし、やりすぎても白けてしまう。どうやろうかなっていうのを風呂場の鏡で見ながら。自宅で(練習した)
引用元:MBSコラム
どういう流れでこのシーンが誕生したのかとても気になりますよね!
この作品で共演した俳優の妻夫木聡さんは、佐藤浩市さんについて「浩市さんは、想像以上にキュート」とお話しされていました。
監督を務めた三谷幸喜さんも、「佐藤さんはお笑いに造詣が深い方なので、絶対に面白くなると確信していた」と太鼓判を押していました。佐藤浩市さんは、俳優としても人としても魅力的ということが確認できます。
また、本作品では日本アカデミー賞の優秀主演男優賞を受賞しました。
上の画像は映画「ザ・マジックアワー」での一幕です。佐藤浩市さんの演技の幅がとても広いことがわかりますよね!
 シン
シン佐藤浩市さんってお笑い好きなんだね!好きな芸人さんとかいるのかな?
 ラン
ランインタビューではガリガリガリクソンさんがイチオシだとお話しされていたよ!
50代(2010年~2020年)
引用元:朝日新聞 
佐藤浩市さんは、2010年(当時50歳)のときに公開された映画「最後の忠臣蔵」に出演しました。
このときの心境を、佐藤浩市さんは「今回、役所さんとがっつりやらせていただけることが楽しみで、それを楽しみに撮影所に行ってました」と明かしていました。
さらに、共演した俳優の役所広司さんについては以下のようにもお話しされていました。
役所さんとは何度か共演していますが、ここまでしっかりと絡んだのは初めてでした。だからすごく楽しみだったし、現場もすごく楽しかった。日本映画の重鎮、役所さんとお芝居ができたことは、大きな財産になりましたね。
引用元:シネマトゥデイ
一方で役所広司さんは「特に演技についてしゃべったっことはなく。浩市さんはほとんど競馬の話をされてて(笑)。でも、今回ふたりで向き合ってセリフをやりとりしたのは刺激的で楽しかったです」とお話しされていました。
佐藤浩市さんは本当に競馬がお好きなんですね!
さらに、佐藤浩市さんは時代劇に対しての捉え方に変化が生じてきたと以下のように明かしています。
若いころは、形に押し込められる時代劇というものが好きじゃなかったのですが、今は昔と違うカタルシスがあります。昔は、一生懸命役に成り切ろうと無理なアプローチをしたこともありました。でもブレないものが一つだけあって、それはうそをつきたくないということだった。だから若いころは、できるだけ自分が感じたこと、思ったことをはっきり言うようにしていました。今は、監督の希望通りに演じようと変わってきたけれど、そこにうそがあってはいけない。演出家に言われたことを正直に表現するために、どういう道筋を作っていけばいいだろうというのは常に考えています。
引用元:シネマトゥデイ
また、本作では日本アカデミー賞の優秀助演男優賞に選ばれました。
上の画像は映画「最後の忠臣蔵」での記者会見のときの写真です。年齢を重ねて渋さがどんどん出てきていますよね!役所広司さんと共に素敵な歳の重ね方をされていますね。
引用元:スポニチ 
佐藤浩市さんは、2012年(当時52歳)の時に、ドラマ「鍵のかかった部屋」に出演しました。このときアイドルグループ「嵐」の大野智さんと初共演を果たし、「嵐の大野くんとは、初めての共演で今から楽しみです」とお話しされていました。
同年には映画「のぼうの城」と「あなたへ」にも出演していて、それぞれ日本アカデミー賞で優秀助演男優賞に選ばれました。
この頃、俳優デビューから30年の時を超えた佐藤浩市さんは、現場では芝居についての発言するかと問われた際に、以下のようにお話しされていました。
30年近くこの世界にお世話になっているので、自分の知っていることはその場の空気が許してくれるのであれば、話すようにしていますね。同年代の中井貴一なんかとも、そういうふうにしていきたいねと言っています。まあ、それがウザいと思われちゃうかもしれないんですけどね(笑)。
引用元:シネマトゥデイ
仕事に対する熱意が伝わってくるコメントですよね!
上の画像はドラマ「鍵のかかった部屋」の時のものです。スーツ姿もかっこいいですよね!
引用元:映画.com 
50代半ばを迎えた佐藤浩市さんも映画に引っ張りだこで、様々な作品に出演しました。
2015年(当時55歳)のときには映画「愛を積む人」と「起終点駅 ターミナル」で主演を務めました。「起終点駅 ターミナル」では日本アカデミー賞の優秀主演男優賞に選ばれています。
翌年の2016年(当時56歳)のときには映画「64-ロクヨン- 前編/後編」にて主演を務めました。この映画は、横山秀夫さんのベストセラー小説が原作で、佐藤浩市さんはオファーを受ける前から「原作を読んでいた」と明かしていました。
撮影はとてもハードだったようで、以下のようにお話しされていました。
楽なシーンはひとつもない。3カ月間走り続けて、走りきったという感じです。走りきった先に解放感があることは経験上知っているので、クランクアップが近づくにつれてつらさは増すけれど希望も膨らんでくる。でも、今回は少し違いました。通常、撮影の総合スケジュールのなかで山場と言われる──これを乗り切れば……というシーンがいくつかあるわけです。今回は山場の連続で。クランクアップ後、極上の解放感を味わうはずが、あまりにも疲れすぎて解放感はなかったです(苦笑)
引用元:映画.com
大変な中、撮影されたことが確認できます。さらに、演技に関して「頭のなかでどう演じるのか整理がついていたとしても、いざ撮影当日になると通用しないことが分かる。」ともお話しされていました。この作品で佐藤浩市さんは日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞に輝いています。
上の画像は映画「64-ロクヨン- 前編/後編」が公開された頃の佐藤浩市さんで、当時56歳です。この作品で共演した俳優の綾野剛さんは、オファーを受けた理由について「佐藤浩市さんが主役であるということで自分は受けました。」とお話しされていました。
後輩の俳優からも慕われていて、佐藤浩市さんの素晴らしさがひしひしと伝わってきますよね。
 シン
シン佐藤浩市さんに憧れている俳優さんって他にどんな人がいるのかな?
 ラン
ラン妻夫木聡さんや小栗旬さん、榮倉奈々さんなどが佐藤浩市さんが憧れの存在だとお話しされているよ!
60代〜(2020年〜)
引用元:X「#Fukushima50」で、優秀主演男優賞を受賞された佐藤浩市さんです。
— 日本アカデミー賞協会 (@japanacademy) March 19, 2021
同作は、最優秀監督賞、最優秀助演男優賞、最優秀撮影賞、最優秀照明賞、最優秀美術賞、最優秀録音賞の最多6部門を制しました。#日本アカデミー44 #日本アカデミー賞 pic.twitter.com/00fNTmkYl6
佐藤浩市さんは、2021年(当時61歳)のときに日本アカデミー賞の優秀主演男優賞を獲得しました。このときの作品は映画「Fukushima 50」でした。
東日本大震災を題材にした本作への想いを佐藤浩市さんは以下のようにお話しされていました。
公共の電波では津波の映像が流れる前に『これから津波の映像が流れます』とテロップがなければ流すことはできません。それくらいメンタルに対するケアが必要ななか、暗い劇場で、辛い映像を強いらなければならないカットやシーンがあるわけです。それを福島の方々や宮城の方々に観ていただくのは恐怖でもあるんですけれど、それを乗り越えてエンディングまで観た時に必ずなにか残る。そういう映画だと思って持っていきました
引用元:クランクイン!
いつも熱い想いを持っている佐藤浩市さん、素敵ですよね。
上の画像は第44回日本アカデミー賞のときの佐藤浩市さんで、当時61歳です。60代になっても変わらずかっこいいですよね!
引用元:映画ナタリー 
佐藤浩市さんはここ数年も続けざまに映画に出演しています。
2023年(当時63歳)のときには「ファミリア」「せかいのおきく」「大名倒産」「中洲のこども」「春に散る」をはじめ、様々な作品に出演していて、幅広い役を演じています。映画「せかいのおきく」と「愛にイナズマ」ではブルーリボン賞の助演男優賞に選ばれました。
「ファミリア」では俳優の役所広司さんと共演し、役所広司さんについて以下のようにお話しされていました。
芝居の話はしたことがないのですが、フッとそこにいたらスッとテストに行けるような感覚があります。そんな自然の流れの中で役に入っていける。お互い数十年、映画の世界でいろんな現場を経験してきたことが支えになっているんじゃないかな
引用元:映画ナタリー
役所広司さんも、佐藤浩市さんについて「安心感がありますよね。心地がよかったです」とお話しされていて、お互いに信頼していることが確認できます。
上の画像は映画「ファミリア」が公開された頃の佐藤浩市さんです。白髪も渋くてかっこいいですよね!
 シン
シン佐藤浩市さんの白髪って地毛なのかな?
 ラン
ラン佐藤浩市さんの白髪は地毛みたいだよ!「三國連太郎という自分の父親が、若い時からほぼほぼ真っ白だったので、自分もそうなるだろうなと思っていて。」とお話しされていたよ!遺伝なんだね!
佐藤浩市さんが所属する”テアトル・ド・ポッシュ”には他に誰が所属してる?
引用元:テアトル・ド・ポッシュ、テアトル・ド・ポッシュ、テアトル・ド・ポッシュ
佐藤浩市さんの所属するテアトル・ド・ポッシュには、俳優の三浦友和さん、女優の賀来千香子さんや浅田美代子さんなどが所属しています。
【画像】佐藤浩市の息子は現在何してる?父との確執は?
佐藤浩市の息子は現在何してる?
引用元:シネマトゥデイ 
引用元:MOVIE WALKER PRESS 
佐藤浩市さんの息子、寛一郎さんは1996年生まれの29歳(2025年10月現在)です。2017年(当時21歳)のときから俳優として活躍しています。デビュー作品は2018年(当時22歳)のときに公開された映画「菊とギロチン」でした。2023年には映画「せかいのおきく」で父である佐藤浩市さんと共演しています。
寛一郎さんは舞台挨拶のときに「横に父がいるのであれですけど。このいまいましい、ふざけた佐藤家のDNAを100年後も残してほしいということで。僕も頑張ります」とお話しされ、佐藤浩市さんが「コラッ」とツッコミを入れて会場の笑いを誘っていました。
上の画像のひとつ目がそのときの舞台挨拶のときの写真です。寛一郎さんも端正なお顔立ちをしていますよね!
この「寛一郎」という名前は本名で、由来については以下のようにお話されています。
僕は予定日より2カ月ぐらい早く生まれて体重1600グラムぐらい未熟児だったので、大きく伸び伸びと育ってほしい、寛大な心を持ってほしいという意味が込められたと親に聞きました。
引用元:スポニチ
また、芸名については「短い名前がよかったのと、やっぱり親父のイメージがあるので、佐藤は付けたくなかったんです」と明かしていました。
寛一郎さんが俳優になるのを決意したのは18歳のときで、当時の心境を振り返って以下のようにお話されています。
一番近い職業だったので、どこかで否定していましたが、否定するということは気にしてしまっているということ。思春期を経て、役者という仕事にちゃんと向き合えたのが、その時期でした
引用元:スポニチ
一番身近な職業が俳優だなんてすごいですよね。また、「俳優になりたいと口にするのが怖かった」とも明かしていて、俳優になることに覚悟が必要だったことが確認できます。
寛一郎さんは2019年(当時23歳)のときに映画「君がまた走り出すとき」で初主演を果たしました。この頃のインタビューで「デビューから2年やってみて、自分のことを分かって応援してくれる人がいるので、頑張れるというところはあります」とお話されていました。
上の画像の2番目の写真は、映画「君がまた走り出すとき」でのワンシーンです。横顔も佐藤浩市さんにどことなく似ていますね!
また、寛一郎さんは佐藤浩市さんと同じ身長で182cmありスタイルも抜群です。
佐藤浩市さんとの会話については、「親父とは普通に話はしますが、芝居について踏み込んだ話はしないですね。」と明かしています。
その後、寛一郎さんは2020年(当時24歳)のときには「湘南純愛組!」でドラマ初主演を果たしました。2022年(当時26歳)のときには「鎌倉殿の13人」に出演し、大河ドラマに初出演しました。
寛一郎さんは今後の目標については「周囲の期待に応えるしかないと思います。そして、いい意味で期待を裏切れる役者になりたい」とお話しされていました。
佐藤浩市さんの息子、寛一郎さんからも目が離せませんね!
 シン
シン寛一郎さんはドラマや映画の他にどんなものに出演しているのかな?
 ラン
ラン他にはミュージックビデオや舞台作品にも出演しているよ!あとは吹き替えのお仕事をしたりもしているみたい!
佐藤浩市と父との確執は?
引用元:日刊スポーツ 
引用元:中日新聞 
佐藤浩市さんの父親は俳優の三國連太郎さんです。三國連太郎さんは「怪優」と呼ばれた名俳優でした。
佐藤浩市さんが中学生のときに両親は離婚し、三國連太郎さんは佐藤浩市さんに対して「これが君との最後の別れだ。君はおふくろのところへ帰れ。僕は放浪生活を始めるから」と告げたそうです。その後、高校生になった佐藤浩市さんはやがて俳優の道を志すこととなりました。
最初に俳優を目指すと三國連太郎さんに伝えたとき、佐藤浩市さんは三國連太郎さんから「僕は何も教えられないよ。だったら、親子の縁を切りましょう」と言われたとお話しされています。
2世俳優としての人生を歩み始めた佐藤浩市さんは、父親の重圧は感じなかったのかとインタビューで問われた際に、以下のように当時の心境を明かしていました。
正直、それはありました。でも“三國さんの息子さん”という見方をされるのは当然だし、一方で、だから受け入れてくれるという業界人も多かったんです。親父と不仲だと評されていた人が、現場では僕を可愛がってくれたりもあって。世の中、それほど度量の狭い人間ばかりじゃないと、いまだに信じてやってます
引用元:女性自身
なんだか胸が熱くなるような素敵なエピソードですね。
俳優としての実績を着実に積んでいった佐藤浩市さんは、1986年(当時26歳)のときに公開された映画「人間の約束」で、初めて父親である三國連太郎さんと共演を果たしました。
その後、1996年(当時36歳)のときに映画「美味しんぼ」で2度目の親子共演を果たしますが、1度目の共演から10年間もの間共演がなかったことで不仲説や、ふたりの間に確執があるのではないかと囁かれるようになりました。
しかし、この噂について佐藤浩市さんは以下のように説明しています。
自分たちで勝手にハードルを上げちゃってたんですよね。一緒にやる作品は監督はこの方でとか、いろんなことでお互いにハードルを高くしてしまったがために一緒にやる機会を失ってしまった
引用元:サンスポ
さらに、映画の内容が親子の確執を描いたものだったため、この不仲説を否定する必要はないと感じ、当時は親子の間の説明をしなかったとも明かしていました。
一方で、映画のメイキング映像では談笑するふたりの姿が映し出されています。
また、佐藤浩市さんが父親である三國連太郎さんのことを「三國さん」と他人行儀で呼んでいることも確執が噂される原因となりましたが、このことについては三國連太郎さんの以下の言葉がこういった呼び方をするきっかけになったと明かしています。
まったく同じ職業を選んだというところで、一般の親子関係と違うんだという話をした。どう理解しているかわからないが、僕を否定しろ、根底から父親であるという僕の生き方を否定しながら、同時に芝居も否定していきなさいと話した
引用元:サンスポ
こうした言葉を受けてから、佐藤浩市さんはお父さんと呼ぶのではなく、「三國さん」「あんた」などと呼ぶようになりました。
映画「美味しんぼ」で父親と共演したことについて佐藤浩市さんは、「本当にやっといて良かった。あれをやらなかったら本当に僕は今でも後悔してる」とお話しされていて、お互い俳優としてリスペクトし合っていることが確認できます。
世間では確執があると噂された佐藤浩市さんと三國連太郎さんですが、実際はそうでなかったということがわかりますね。
 シン
シン佐藤浩市さんと三國連太郎さんの共演作って他にもあるのかな?
 ラン
ランふたりはANAのCMでも共演しているよ!仲睦まじいふたりの姿が印象的な素敵なCMだったよ!
佐藤浩市のプロフィール・SNS
引用元:スポーツ報知 
プロフィール
- 名前:佐藤浩市(さとうこういち)
- 生年月日:1960年12月10日
- 年齢:64歳(2025年10月現在)
- 出身地:東京都
- 血液型:A型
- 趣味:競馬
- 特技:ゴルフ
- 所属事務所:テアトル・ド・ポッシュ
受賞歴
日本アカデミー賞
- 1982年:第5回/新人俳優賞(青春の門)*ノミネート
- 1984年:第7回/助演男優賞(魚群の群れ/日本海大海戦 海ゆかば)*ノミネート
- 1995年:第18回/主演男優賞(忠臣蔵外伝 四谷怪談)
- 2001年:第24回/助演男優賞(ホワイトアウト)
- 2004年:第27回/助演男優賞(壬生義士伝)
- 2007年:第30回/助演男優賞(THE 有頂天ホテル)*ノミネート
- 2009年:第32回/主演男優賞(ザ・マジックアワー)*ノミネート
- 2012年:第35回/助演男優賞(最後の忠臣蔵)*ノミネート
- 2013年:第36回/優秀助演男優賞(あなたへ/のぼうの城)*ノミネート
- 2016年:第39回/優秀主演男優賞(起終点駅 ターミナル)*ノミネート
- 2017年:第40回/優秀主演男優賞(64 ロクヨン 前編)
- 2021年:第44回/最優秀主演男優賞(Fukushima50)*ノミネート
 シン
シン佐藤浩市さんのゴルフ仲間っているのかな?
 ラン
ラン俳優の中井貴一さんや、お笑いコンビ「とんねるず」の木梨憲武さんが佐藤浩市さんのゴルフ仲間だよ!豪華メンバーだよね!





















