お笑いタレント・歌手・俳優・アーティストとして活躍を続けている木梨憲武さん。
高校の同級生である石橋貴明さんとのお笑いコンビ「とんねるず」を結成し、お2人で担当した「とんねるずのオールナイトニッポン」は深夜ラジオ史に残る名番組となりました。
歌手としても数々のヒット曲を生み出し、18枚目のシングル「ガラガラヘビがやってくる」ではミリオンヒットを達成しました。全国コンサートツアーを1995年まで毎年開催しており、1989年には東京ドーム公演を成功させています。
芸術的センスもあり、全国の美術館を回りながら個展を開くなどの活動もされています。
今回は木梨憲武さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】木梨憲武は若い頃もおしゃれ!
幼少期・10代(1962年~1982年)
引用元:Yahoo!ニュース
木梨憲武さんは1962年の東京都世田谷区で、「木梨サイクル」という自転車店を営む木梨作三さんご夫婦の長男として生まれました。ご兄弟は妹さんがいらっしゃいます。
ご自宅は1階が自転車屋さんとご家族4人が暮らす4畳半の部屋になっていて、2階には武藤さんという別のご家族が住み、もう1つのお部屋におばあさんがいて、1軒家に3世帯が住んでいたそうです。
4畳半に4人というのは並大抵の狭さではないと思われますが、木梨憲武さんは当時について「最高に楽しかった」と振り返っています。
「『せめーなー』とか1回ぐらい言うんだけど、毎日の生活だから、言ったところでね。
中学生の頃、武藤さんが出ていって、2階もうちになったんです。
すると4畳半が自分の部屋になって。初めてベッドっていうものに寝た。
コーラかビールのケースを8個用意して、ベニヤを置いて布団を敷くとベッドになる。
テーブルがほしければ、タイヤの上にガラスを置いて。喜んでやってましたね」
引用元:Yahoo!ニュース
引用元:ORICON NEWS
世田谷区立塚戸小学校と世田谷区立千歳中学校ではサッカーに夢中になり、帝京高校でもサッカー部に入部しました。帝京高校は、かつて「高校サッカー界の盟主」と呼ばれた強豪校で、木梨憲武さんの時代は日本中から選抜された120人ほどの部員がいたそうです。
「強い人とサッカーが出来るのは悪くない」と思いつつも彼らとのレベルの違いには高校1年生の頃から気付いていて、でも3年生の大会が終わるまで全力で部活に励んだと語っています。
遠征があると、昼はサッカーの試合、夜は演芸大会が繰り広げられていました。木梨憲武さんは盛り上げ役として「科学忍者隊ガッチャマン」の歌を振り付きで歌っていたのだとか。
その頃、帝京高校の野球部の盛り上げ役だったのが、後の相方となる同級生の石橋貴明さんです。
引用元:Yahoo!ニュース
帝京高校はサッカー部の部室が1階、野球部の部室が2階にありました。サッカー部の先輩が上の階から石橋さんを呼んできて「何かやってくれ」と頼むと、一発芸などを披露して先輩達を笑わせて、木梨憲武さんはそれを横から見ていたそうです。その後は石橋さんとよくコンビを組むようになり、友人達にネタを見てもらっていたのだとか。
高校在学中に、バラエティ番組「TVジョッキー」の一般参加コーナー「ザ・チャレンジ」に出場し、ものまねを披露して5代目チャンピオンになりました。木梨憲武さんがグランドチャンピオン大会に出場した際に、石橋さんが友情出演したのがテレビでの初共演でした。
高校を卒業するとお2人は別々の会社に就職しましたが、オーディションの声がかかって「貴明&憲武」として「お笑いスター誕生!!」に出場しました。出場6週目から現在のコンビ名「とんねるず」に改名して、その後お2人は就職先を退職してお笑いに専念するようになったそうです。

「とんねるず」というコンビ名の由来は何なのかな?

テレビプロデューサーが素の2人を見て「暗い奴ら」と思ったのと、2人の名前のイニシャル「T」と「N」を入れて名付けられたんだって!
20代(1982年~1992年)
引用元:女性自身
とんねるずは1982年4月(当時20歳)に「お笑いスター誕生!!」で10週勝ち抜き、グランプリを獲得して「期待の大型新人」として注目されながらデビューを果たしましたが、順風満帆とはいきませんでした。
日本テレビのプロデューサーの紹介で日企に籍を置き、赤坂のクラブ「コルドンブルー」におぼん・こぼんの後釜として所属しましたが、クラブの客層に芸風が合わず人気が出なかったのだとか。
さらにプロデューサーと衝突したことで日本テレビから完全に干される、事務所を通さずに友人の結婚式の司会を引き受けたことで事務所社長が激怒してテレビに出られなくなるという出来事もありました。
この時期は新宿御苑のパフォーマンスバー「昆」(後のKON)への出演や、スーパーの駐車場やデパートの屋上などで木箱をステージ代わりに営業回りをするなど、下積み時代を過ごしていました。
上の画像は、とんねるず結成当時のお2人です。
引用元:X1985年 とんねるず「天狗のホルマリン漬け」広告#とんねるず #石橋貴明 #木梨憲武 pic.twitter.com/8EJ8DGiYvt
— FR (@da_nori0909) July 26, 2025
その後は西城秀樹さんの初代マネージャーだった秦野嘉王さんが設立した新事務所「オフィスAtoZ」の所属第1号タレントになり、再浮上の機を窺うことになりました。
1983年12月(当時21歳)にフジテレビ系の深夜番組「オールナイトフジ」でテレビに復帰し、誤解によるトラブルで1度降板になりましたが半年後にレギュラーへの復帰を果たしています。
1985年(当時23歳)からの「とんねるずのオールナイトニッポン」では火曜1部を担当し、当時絶大な人気を誇っていた「ビートたけしのオールナイトニッポン」を大きく引き離して、代表的パーソナリティとなりました。
面白いネタハガキを紹介する数々のコーナーも人気を集め、「ハガキ職人」と呼ばれる常連投稿者も多く現れました。現在も多くのラジオで使われている「ハガキ職人」という言葉が、この番組から生まれたものだという説もあるくらいです。
引用元:週刊女性PRIME
1987年10月(当時25歳)には、「上海紅鯨団が行く」を引き継ぐ形でスタートした「ねるとん紅鯨団」という番組が始まり、深夜枠でありながら初年度からバラエティ年間平均視聴率ランキング3位にランクインしました。
放送開始から20回ほどは前番組から引き継いだ内容でしたが、とんねるずが司会を務めるお見合い企画が大好評だったため、途中から集団お見合いの番組になりました。
これが爆発的な大ヒットとなり、番組全体の平均視聴率17.3%・最高平均視聴率24.7%と、土曜深夜枠ながら常に高い視聴率をマークして、競合裏番組の「今夜は最高!」を終了に追い込んだのだとか。
当時の深夜番組としては珍しく、1989年(当時27歳)から1993年(当時31歳)まで年間平均視聴率ランキングベスト5にランクインし、番組タイトルの「ねるとん」は集団お見合いパーティーの代名詞になりました。

「ねるとん紅鯨団」はそんなに大人気だったのに、なんで7年で終わっちゃったのかな?

番組が終わる1年前に競合裏番組である「恋のから騒ぎ」が始まって、徐々に視聴者が流出していったみたいだよ。それで「ねるとん紅鯨団」が敗れる形で終了したんだって。
30代(1992年~2002年)
引用元:X昨日の仮面ノリダーの復活を見て、ふとゼアスを思い出した。
— Oh@Sh (@andrew_gamer) April 28, 2020
ウルトラマンゼアスはとんねるずがメインで出てる異色のウルトラマン。ゼアスの変身者は当時とんねるずのマネージャーだった関口正晴氏だけど、みなおかのコントで木梨憲武がゼアスを演じてたんだよなあ。
この機会に是非知って頂ければと。 pic.twitter.com/SjX5Jvx7yc
1996年(当時34歳)から1997年(当時35歳)にかけて公開された映画「ウルトラマンゼアス」では、とんねるずのお2人がダブル主演を果たしました。大河内神平役を石橋貴明さんが、小中井仏吉役を木梨憲武さんが演じています。
こちらの映画はウルトラマン生誕30周年を記念して誕生した、ウルトラシリーズ初の「完全新作の劇場映画オリジナルウルトラマン」にして、シリーズ初の「企業タイアップウルトラマン」でもあります。
電通のコーディネートにより、出光興産のクリーンな「ゼアスガソリン」を多方面でアピールするためのコマーシャル・キャラクターとして企画されました。
「ウルトラマンネオス」との差別化に加え、新たなウルトラマン像の模索という意図もあり、コミカル調で親しみの持てる3枚目ヒーローとしての制作が決定し、コメディ路線を意識したデザインがなされています。
引用元:X#今日は何の日
— Shota (@JinmResult) January 7, 2024
【1998年1月8日(木)】
フジ木10枠#甘い結婚 開始
主題歌
→#EveryLittleThing#木梨憲武#財前直見#安達心平#生瀬勝久#美保純#椋木美羽#小林千登勢#財津一郎#田辺誠一#勝部演之#高島礼子#山口紗弥加#内藤剛志 pic.twitter.com/TjuOu9UNfK
30代の頃、とんねるずとしては黄金期と安定期を迎え、レギュラー番組をこなしながら音楽活動や俳優活動などマルチタレントとしての活動も行っていました。
音楽活動では「情けねえ」という曲で「第22回日本歌謡大賞」の大賞を受賞し、「ガラガラヘビがやってくる」ではオリコン1位とミリオンセールスを達成しています。
この時期の木梨憲武さんは個人でも活躍されました。1996年5月(当時34歳)には「憲三郎&ジョージ山本」という演歌ユニットでヒットし、同年のNHK紅白歌合戦に出場しています。
また、1998年1月(当時35歳)には、ドラマ「甘い結婚」で個人初主演を果たしました。
こちらのドラマは中堅出版社勤務の男性・唯野喜太郎が多忙のあまり家庭を省みず、奥さんは趣味の小説執筆で気持ちを紛らわせつつもずっと満たされなさを抱えていて、ある日奥さんから突然離婚を言い渡されるという、夫婦のすれ違いと再生を描いた内容になっています。

主人公が出版社勤務で、その奥さんが趣味で小説を書いてるっていう設定は、もしかして後から繋がってくるのかな?

そうだね!趣味のはずだった小説が賞を取って、奥さんが作家になって、主人公は仕事でも奥さんの担当として関わっていくことになるんだって!
40代以上(2002年~)
引用元:シネマカフェ
2008年10月(当時46歳)、「とんねるずのみなさんのおかげでした」の企画として始動していた「矢島美容室」を、とんねるずのお2人とDJ OZMAさんで結成しました。
こちらのユニットは、母と姉妹の3人で構成されています。母・マーガレットの夫であり、失踪中の日本人美容師・矢島徳次郎を探す目的で来日したという設定です。上の画像は「矢島美容室」の3人の写真で、中央のマーガレット役を木梨憲武さんが演じています。
結成のきっかけは2007年12月(当時45歳)に、DJ OZMAさんが「とんねるずのみなさんのおかげでした」のコーナー「新・食わず嫌い王決定戦」にゲスト出演したことでした。
コーナー内のトークで、前身の番組「とんねるずのみなさんのおかげです」に登場するロックバンド「矢島工務店」を見たのがきっかけでバンドを始めたことを告白し、ここで3人が意気投合して「矢島工務店の現代版をやろう」という話に発展したそうです。
引用元:シネマトゥデイ
とんねるずのお2人は1994年(当時32歳)から独立して個人事務所「アライバル」を設立し、木梨憲武さんは取締役副社長を務めていました。
ですが、木梨憲武さんは2018年6月(当時56歳)に辞任・退社しました。辞任後もしばらく所属を続けましたが、その後個人事務所「コッカ(現・キナシコッカ)」に移籍しました。また、約30年続けてきた公式ファンクラブ「TN Lounge」は2018年末をもって閉会しています。
2019年9月(当時57歳)には、個々で音楽活動を開始することが同時期に発表されました。木梨憲武さんは自主レーベル「木梨レコード」を立ち上げ、音楽フェスをパシフィコ横浜や両国国技館で開催しました。
2024年1月(当時61歳)には、ドラマ「春になったら」で24年ぶりの連続ドラマ主演を果たしています。こちらの作品は、子供が小さい頃にお母さんが亡くなって父子家庭となった父親と娘が、「3ヶ月後に病気で死ぬ」「3ヶ月後に結婚する」と報告し合い、残された3ヶ月間でやりたいことリストを叶えていくホームドラマです。
初回放送後から「傑作」「今期イチ」「キャストが良すぎる」と大好評を得ていました。

「キナシコッカ」の「コッカ」って何?

安田成美さんの子供時代の思い出話を元にして木梨憲武さんがデザインした、妖精のキャラクターの名前なんだって!
「コッカ」のケータイ絵本やLINEスタンプもリリースされているよ。
木梨憲武さんが所属する”キナシコッカ”には他に誰が所属してる?
引用元:OTOTOY
木梨憲武さんの所属するキナシコッカには、女優の安田成美さんが所属しています。
【画像】木梨憲武と安田成美の馴れ初めは?再婚の噂の真相は?
木梨憲武と安田成美の馴れ初めは?
引用元:スポニチ
引用元:日刊スポーツ
木梨憲武さんは、1986年(当時24歳)の映画「そろばんずく」で共演した安田成美さんと、1994年(当時32歳)に結婚しました。
こちらの映画は、業界を二分する広告代理店「ト社」と「ラ社」の熾烈な戦いを描くコメディー作品で、とんねるずのお2人がダブル主演と主題歌を務めています。木梨憲武さんは時津風わたる役を、安田成美さんは梅づくしのり子役を演じました。
共演で知り合った後に木梨憲武さんから「お願いします、付き合ってください、お願いします」と頼み込みましたが、最初は「あなたと付き合うことはない」とキッパリ断られたそうです。
それでも「分かりました。それは一旦置いておいて、付き合ってください」と、めげずに猛アタックを続けて、「しょうがないなぁ」と安田さんが折れる形で交際が始まったと語っています。

お2人にはお子さんはいるのかな?

2男1女の、3人のお子さんに恵まれたよ!
だけど、お子さんが生まれた後も木梨憲武さんは色々なお仕事で忙しくて、「子供達はほぼ全部安田成美さんが育ててくれた」と振り返っているみたいだね。
木梨憲武の再婚の噂の真相は?
引用元:クランクイン!
引用元:映画ナタリー
木梨憲武さんは現在も安田成美さんとの結婚生活を続けていて、離婚や再婚の事実はありません。迷惑行為寸前とも言えるような猛アタックをするほど好きな人と結婚出来て、還暦を過ぎても仲睦まじく過ごせているなんて、とっても幸せそうですよね!
2022年に木梨憲武さんの還暦を、2024年(当時62歳)に結婚30年を迎えています。上の画像の1枚目は、還暦を祝われる木梨憲武さんと隣に並ぶ安田成美さんの写真です。
2025年にはテレビの旅番組で夫婦初共演を果たしました。南米・ペルーを訪れて、インカ帝国が作り上げたインカ道を旅したそうです。前編では安田成美さんが10代の頃から憧れていた天空の世界遺産・マチュピチュへ向かい、後編では列車に揺られてチチカカ湖を訪れました。
お2人はペルーの豊かな自然と文化に触れ、現地で生きるエネルギッシュな人々と出会い、旅の中で素顔をあらわにしていくという内容になっています。

今年で結婚31年となると、お子さん達も大きくなってるのかな?

お子さん達は上から29歳・26歳・21歳なんだって!
木梨憲武さんの影響なのか皆さん芸術のセンスがあって、油絵・グラフィック・オブジェ制作など、方向は違うけどそれぞれに活躍されているみたいだよ。
木梨憲武さんがデビューした1980年はこんな年だった!
引用元:NEWSポストセブン、メガハウス、TOYOTA
木梨憲武さんがデビューした1980年は、「山口百恵さんの婚約と引退」、「ルービックキューブ大流行」、「日本の自動車生産台数が世界1位」などの出来事があり、話題となりました。
また、この年の流行語(大賞)は、原宿の歩行者天国で踊っていた、派手な服装をした若者たちの集団を指す「竹の子族」でした。
木梨憲武のプロフィール・SNS
引用元:クランクイン!
プロフィール
- 名前:木梨 憲武(きなし のりたけ)
- 生年月日:1962年3月9日
- 年齢:63歳(2025年10月現在)
- 出身地:東京都世田谷区
- 血液型:O型
- 身長:177cm
- 趣味:競馬・サッカー
- 特技:絵画
- 所属事務所:キナシコッカ
SNS
- X(旧Twitter) URL:https://x.com/kinashiten
【金沢】
— 木梨憲武展 (@kinashiten) October 9, 2025
木梨憲武展in金沢、最後の週末!💐
金沢で憲武さんの作品が見れるのはあと数日となりました。。
お見逃しのないよう、たくさんのご来場お待ちしております!💫
『木梨憲武展-TOUCH』SERENDIPITY-意味ある偶然
📍金沢21世紀美術館市民ギャラリーA
📅〜10/12(日)#木梨憲武展 #木梨憲武… pic.twitter.com/diPR9F4Xxg
- Instagram URL:https://www.instagram.com/noritakekinashi_official/
- YouTube URL:https://www.youtube.com/@noritake_kinashi
- オフィシャルサイト URL:https://kinashinokaiin.com/

- 公式ブログ URL:https://ameblo.jp/kinashi-cycle/


サッカーは小学生の頃から好きだったみたいだけど、大人になってからも続けてるんだね。

芸能人サッカークラブチーム「ザ・ミイラ」の選手として、国立霞ヶ丘競技場陸上競技場でプレーしたこともあるんだよ!