連続テレビ小説「澪つくし」や大河ドラマ「独眼竜政宗」、映画「ダブル・クラッチ」、江戸川乱歩の美女シリーズなど多くのドラマや映画作品の脚本家として活躍してきたジェームス三木さん。
テイチクレコードの歌手として「旅路の果て」などを歌ってきました。
今回はジェームス三木さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】ジェームス三木は若い頃イケメン!
20代(1954年~1964年)
引用元:X.comジェームス三木さんの
— あかさたな (@suntv36c) February 1, 2025
レコード。🎶🎶🎶🎶
見つけてしまった(^_^;) pic.twitter.com/bKcdYDy9SM
ジェームス三木さんは、テイチクレコードの新人歌手コンクールに応募したところ、200倍の競争率を突破して合格しました。テイチクレコードの専属歌手となりました。しかし、人気が出ず、地方巡業など歌手として13年間の下積み生活を送りました。
上の画像は「旅路の果てに」のジャケット写真です。切れ長で、知的な目元が爽やかですよね!少し微笑んでいるような表情から優しさを感じます。クールな雰囲気が感じられます。全体的に、真面目さと洗練された感性があり、非常に魅力的です。
シンジェームス三木さんは、どうしてジェームス三木という名前になったのかな?
ランそれは、ビクターエンタテイメント株式会社のフランク永井さんの対抗馬として売り出したいとテイチクレコードが考えたという理由から、ジェームス三木と名乗ったみたいよ!
30代・40代(1964年~1984年)
引用元:日刊スポーツ
ジェームス三木さんは、1978年(当時44歳)の時に、映画「ダブル・クラッチ」の脚本を書きました。映画「ダブル・クラッチ」は、松竹株式会社で制作・公開されました。身寄りのない姉弟の無器用な生き方を描いた五木寛之さんの辛口青春小説を映画化したものでした。
この時ジェームス三木さんは、「なんとかじゃなんとかじゃって書いたら後で五木さんに文句を言われまして」とお話しされており、映画「ダブル・クラッチ」の原作である小説を書いた五木寛之さんに助言をされながら脚本を書いていたことが確認できます。
上の画像は松竹映画「ダブル・クラッチ」制作発表の時のものです。ややふっくらとした輪郭から優しい雰囲気が感じられます。制作発表で話している姿から、真剣な表情で、プロフェッショナルな姿勢が伝わってきます。全体的に、才能と個性を感じます。
引用元:X.com年に何度か観たくなる江戸川乱歩・美女シリーズ。
— TOMO (hurdy gurdy) (@TOMO_vielle) June 18, 2025
ジェームス三木脚本はどれもキッチュで乱歩の変態回として好きだった。
特に正月特番で放映されたパノラマ島奇譚の「天国と地獄の美女」は毎年正月に観たくなる。 https://t.co/iWgw0rhhtk pic.twitter.com/CZMdIamIfF
ジェームス三木さんは、1979年(当時45歳)の時に、テレビ朝日系土曜ワイド劇場の江戸川乱歩の美女シリーズの「悪魔のような美女」の脚本を書きました。「悪魔のような美女」は人間の剥製コレクションに情熱を燃やす悪魔の使者・黒蜉蝣が明智小五郎と対決する物語でした。
テレビドラマについてジェームス三木さんは、「多くの人に見て楽しんでもらえるものを作る。」とお話しされており、老若男女問わず、みんな見ることができるものでないといけず、焦点を絞るわけにはいかないので、考えて考えて考え抜いて脚本を書いていたことが確認できます。
上の画像はテレビドラマのエンドロールの時のものです。眼鏡をかけていることで、知的でクールな印象を受けます。真剣な表情でカメラに向かって指をさしているところから、信念を持った強い意志を感じます。個性的なファッションから、脚本家の感性が伝わってきます。
シンジェームス三木さんは、どうして脚本家になったのかな?
ランそれは、「装飾音符」という小説を同人雑誌に投稿したら文芸誌「新潮」に載り、ふと夕刊を見たら「シナリオ研究所研究生募集」と書いてあったという理由から、シナリオ研究所に通うようになったみたいよ!
50代(1984年~1994年)
引用元:共同通信
ジェームス三木さんは、1985年(当時50歳)の時に、NHK連続テレビ小説「澪つくし」の脚本を書きました。NHK連続テレビ小説「澪つくし」は、大正時代末期から第二次世界大戦後にかけての千葉県銚子市を舞台に、醤油屋の旧家の娘であるヒロインと漁師の網元の長男との純愛を描いたものです。
この時ジェームス三木さんは、「どうしても和製「ロミオとジュリエット」をやりたい」とお話しされており、「澪つくし」の執筆にかかる少し前に脳腫瘍の手術を経験し、人生で初めて生死の境をさまよう体験をしたことで、自分がいちばん書きたい物語を書きたいと思ったことが確認できます。
上の画像はNHK連続テレビ小説「澪つくし」の撮影終了時のものです。唇をきゅっと結び、花束を渡す相手である沢口靖子さんに優しい眼差しを向けています。その優しい眼差しは誠実さが伝わってきます。脚本家ということから知的な雰囲気が感じられます。
引用元:中日新聞
ジェームス三木さんは、1987年(当時52歳)の時に、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」の脚本を書きました。NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」は原作が山岡荘八さんの小説「伊達政宗」のドラマで、仙台藩62万石の礎を一代で築いた奥州の戦国武将・伊達政宗の生涯を描いた物語でした。
この時ジェームス三木さんは、「それはもう命を削ってやっていました。」とお話しされており、ワープロにたくさんメモを貯めておいて、そこからいろんなことを考えて作っていたらしく、大河ドラマを1年放送するために実際は2年かかっていたことが確認できます。
上の画像は大河ドラマ「独眼竜政宗」のロケ時のものです。口角が少しあがっていることから、ジェームス三木さんが考えているように撮影が進んでいるように見えます。腕を前で組み、堂々とした立ち姿から、脚本家としての落ち着きと威厳が伝わってきます。
引用元:スポニチ
ジェームス三木さんは、1992年(当時57歳)の時に、NHK正月時代劇「巌流島 小次郎と武蔵」の脚本を書きました。NHK正月時代劇「巌流島 小次郎と武蔵」は、関ヶ原の戦いの後の巌流島の決闘をテーマとしたもので、佐々木小次郎を取り巻く人間模様を描いた物語でした。
この時ジェームス三木さんは、「2人(主役の渡辺謙さんと滝田栄さん)の立ち回りが迫力でした。」とお話しされており、実際は、巌流島の決闘は宮本武蔵が子分を連れて現れ、佐々木小次郎を殺したと藩史には書かれてあるらしく、そういったことも考えながら脚本を書いたことが確認できます。
上の画像はNHK正月時代劇「巌流島 小次郎と武蔵」の収録初日のものです。にこやかに微笑んでいるのが素敵です。主役の渡辺謙さんと握手をしていて、誠実さと礼儀正しさが伝わってきます。脚本家ということもあり、落ち着きと信頼感があります。
シンジェームス三木さんは、NHKの大河ドラマと連続テレビ小説の脚本を書いているけれど、一番初めにNHKで脚本を手掛けたものはどんな作品なのかな?
ランそれは、1980年の銀河テレビ小説「愛さずにはいられない」という作品らしいわ。1969年から脚本の仕事をしていたから「なんで声がかからないのだろう」と思っていたみたいよ!
50代以上(1994年~)
引用元:クランクイン!
ジェームス三木さんは、2013年(当時79歳)の時に、木曜時代劇「あさきゆめみし~八百屋お七異聞」の脚本を書きました。木曜時代劇「あさきゆめみし~八百屋お七異聞」は、江戸本郷を舞台に恋人に会いたい一心で放火事件を起こしてしまい火刑に処せられた八百屋お七の悲しい恋物語を題材にしたものです。
この時ジェームス三木さんは、「NHKのいろんな人の話を聞いても期待できるということなので安心しているし、楽しみにしている。」とお話しされており、時代劇初主演の前田敦子さんと初対面であったが、様々な人からの評判からこの時代劇がいいものになると考えていたことが確認できます。
上の画像は木曜時代劇「あさきゆめみし~八百屋お七異聞」の会見時のものです。少し頬に丸みがあり、軽く微笑んでいて、穏やかな表情をしています。長年脚本を書いてきて、多くの作品を世に出してきたことによるカリスマ性が伝わってきます。脚本家としての才能と個性が感じられます。
引用元:ナタリー
ジェームス三木さんは、2016年(当時81歳)の時に、フジテレビ系バラエティ番組「アウト×デラックス」に出演しました。フジテレビ系バラエティ番組「アウト×デラックス」は、独特の世界観を持って生きているこだわりの人たちを招き、矢部浩之さんとマツコ・デラックスさんとアウトなトークを展開するバラエティ番組でした。
愛煙家としてジェームス三木さんは、「俳優の吸い方に憧れ、たばこはかっこいい"大人の証拠"だった」とお話しされており、歌手だったときはまったく吸いたいと思っていなかったが、脚本家という仕事についてから自然とたばこを手放せなくなったことが確認できます。
上の画像はフジテレビ系バラエティ番組「アウト×デラックス」の時のものです。穏やかな笑みが、柔らかく、優しげな雰囲気です。落ち着きと品のある大人の雰囲気が漂っています。犬を持っているところが温厚そうで、安心感を与えている印象を受けます。
シンジェームス三木さんは、脚本家としてたくさんの作品を書いてきたけれど、テレビ番組に出たりしなかったのかな?
ランそれは、執筆活動は大変だったみたいだけど、「スターご勝手対談」や「ザッツミュージック」で司会をしたり、「クイズダービー」にも出ていたわ。
ジェームス三木さんが所属する”有限会社ジェームス三木事務所”には他に誰が所属してる?
引用元:産経新聞
ジェームス三木さんの所属する有限会社ジェームス三木事務所は、個人事務所で、他に所属している方はいません。
【画像】ジェームス三木と元妻は泥沼離婚?息子は現在何してる?
ジェームス三木と元妻は泥沼離婚?
引用元:アサ芸プラス
引用元:スポニチ
夫婦関係は冷え切っていて家庭内離婚のような状態が続いていた1990年、ジェームス三木さんの元に、元妻の山下典子さんに関する男性関係や金銭に関することが書かれた怪文書が送られてきました。この怪文書をきっかけにして1992年に山下典子さんがジェームス三木さんの暴露本「仮面夫婦~私が夫と別れる理由」を出版しました。
暴露本に反論するために、ジェームス三木さんは会見を開きました。ジェームス三木さんは、夫婦とはいえ私生活を世間にさらした山下典子さんを厳しく批判しました。1993年に山下典子さんと暴露本の版権元を相手取って民事訴訟を起こし、半年をかけた頃、版権元と和解寸前となります。
しかし、1993年に山下典子さんは暴露本の第2弾「夫婦戦争 妻が血を流すとき」を出版し、再びジェームス三木さんは損害賠償を求めて裁判を起こします。1997年にジェームス三木さんへの一連の名誉毀損が認められ、山下典子さんがジェームス三木さんに500万円支払って和解しました。
シンジェームス三木さんは、どうして2回名誉毀損などで裁判を起こしたけれど、元妻の山下典子さんについてどう思っていたのかな?
ランそれは、彼女はあまりにめちゃくちゃ。いっそ助けてあげたいという気持ちから、裁判を起こしている間も元妻に対して優しさを見せていたこともあったみたいよ!
ジェームス三木の息子は現在何してる?
引用元:Genco Agency
引用元:X.com#BSテレ東 で再放送『さすらい署長 風間昭平6 さぬき金比羅殺人事件』より。
— あさみめぐる (@asami_meguru) June 3, 2022
山下規介さんを見るとまず川野太郎さんの名前が頭に浮かぶ病を治したい pic.twitter.com/3yiPciG1m1
ジェームス三木さんの息子さんは山下規介さんです。
映画「廃市」では主演を演じ、「ビッグ・マグナム 黒岩先生」では日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞しました。また、「早苗ちゃんの日記」や「十六夜清心」、「明治一代女」などの脚本を執筆しました。最近ではバラエティ番組「バイキング」に出演し、ディレクターの仕事をしているそうです。
シンジェームス三木さんが亡くなられたとき、山下規介さんはなにかコメントしていたのかな?
ランそれは、山下規介さんは「今なお三木の作品を愛してくださってる皆様の存在が、父にとって何よりの励みであり、喜びであったと存じます。」と、コメントしていたわ。
ジェームス三木さんがデビューした1955年はこんな年だった!
引用元:withnews、PR TIMES、X.com#今日は何の日
— ノブユキ (@doorknobsmz) March 31, 2020
【1955年4月1日金曜日】
TBSテレビ(当時ラジオ東京テレビ)
が開局した日https://t.co/xytGdg3qEM pic.twitter.com/gH8m0fgy0n
ジェームス三木さんがデビューした1955年は、「広辞苑初版発行」、「後楽園遊園地がオープン」、「ラジオ東京テレビ開局」などの出来事があり、話題となりました。
また、この年の流行語は、「押し屋」、「三種の神器」、「ノイローゼ」などがありました。
ジェームス三木のプロフィール・SNS
引用元:毎日新聞
プロフィール
- 名前:ジェームス三木(ジェームス みき)
- 本名: 山下 清泉
- 生年月日:1934年6月10日
- 年齢:享年91歳(2025年6月14日逝去)
- 出身地:中国遼寧省瀋陽市
- 血液型:B型
- 趣味:将棋
- 所属事務所:有限会社ジェームス三木事務所
著書
戯曲
- 1984年「青春泥棒徹と由紀子」
- 1986年「澪つくし:戯曲」
- 1986年「花丸銀平」
- 1986年「旅よ恋よ女たち」
- 1986年「結婚という冒険 ジェームス三木戯曲集」
- 1987年「独眼竜政宗 NHKテレビ・シナリオ」
- 1989年「ときめき宣言 オリジナルシナリオ」
- 1991年「安楽兵舎V.S.O.P. ジェームス三木戯曲集」
- 1993年「巨人の帽子 ジェームス三木戯曲集」
小説
- 1977年「ありがとうパパ」
- 1982年「ヤバイ伝第一章」
- 1985年「澪つくし 上巻」
- 1985年「澪つくし 下巻」
- 1985年「逢えるかも知れない」
- 1988年「翼をください」
- 1992年「竜の血」
- 1994年 - 1995年「八代将軍吉宗」
- 1996年「存在の深き眠り」
- 1999年 - 2000年「葵 徳川三代」
- 2002年「憲法はまだか」
- 2003年「つばめ」
- 2004年「ドクトル長英」
- 2008年「かささぎ」
- 2012年「へその曲げ方 西郷頼母会津藩始末」
エッセイ
- 1982年「テレビドラマ紳士録 : ジェームス三木対談集」
- 2000年「ヤバイ伝」
- 2008年「ドラマと人生」
- 2008年「平成オトナの勝手塾 中高年一貫指導」
- 2008年「人間の正体 人を動かしているものは何か」
共著
- 1984年「夏服のイヴ」
- 1984年「夏服のイヴ 松田聖子主演映画」
- 2002年「潔い女は美しい 歴史に学ぶ女の生き方」
- 2008年「これまでの道、これからの夢」
シンジェームス三木さんの将棋はいつ頃から好きなのかな?
ラン小学生の頃からみたいだね!2018年頃にはネット将棋に挑戦していたわ。はじめはニコニコしながら打っていましたが、口数が減り、考える時間が長くなるほど夢中になっていたわ。












