【画像】井上公造は若い頃から好奇心旺盛!ライザップで激変?現在何してる?

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芸能リポーター、テレビコメンテーターとして長年第一線で活躍を続けてきた井上公造さん。

ワイドショー番組での鋭いコメントや、芸能界の裏側に迫る“スクープ力”で多くの視聴者を惹きつけてきました。

今回はそんな井上公造さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!

目次

【画像】井上公造は若い頃から好奇心旺盛!

10代・20代(1966年~1986年)

引用元:朝日新聞
引用元:朝日新聞

井上公造さんは福岡県福岡市中央区の出身で父は高校教師、母は小学校教師という教育一家に育ちました。

当時、学校の先生は子どもたちにとって絶対的な存在でしたが、井上さんは家庭で見る両親の姿と学校での教師としての姿のギャップに気づき、「人間の顔は一つではない」と幼い頃から感じていたそうです。この観察眼は、後に芸能リポーターとして人間味のある取材をする土台となります。

中学生になると、井上さんはあるラジオ番組に夢中になりました。リクエストの電話をかけ続けるうちにすぐに番組に繋がるようになり、ついにはレギュラーとして出演するまでになりました。この経験が、マスコミという世界への強い興味を生むきっかけとなります。

その後地元の名門・西南学院高等学校から西南学院大学商学部へと進学します。マスコミ業界に強い憧れを抱き、卒業後は新聞社やテレビ局などを中心に就職活動を行います。

しかし、希望通りの内定は得られず、高級食品会社「明治屋」に入社しますが、わずか半年で退社します。その後はフリーターとしてさまざまな仕事を経験し、社会の多様な面を肌で感じる時間となりました。

上の画像1は幼少期の井上さん、画像2は西南学院大学時代の井上さんです。若いですね!

その後福岡を代表する明太子メーカー「鳴海屋」に再就職して営業職として働く中で、東京支社への転勤が決まり、いよいよ上京のチャンスが訪れます。この上京が大きな転機となり、ある日飲みの席で偶然知り合ったのが、出版社・竹書房の社員の方でした。

そこで出版業界に興味を持ち、同社の契約社員として編集の道に進みます。地道な努力と企画力が評価され、数年後には編集長にまで昇進しました。出版の現場で磨いた情報収集力と判断力が、後の芸能リポーターとしての基礎を作ることになります。

編集長としての充実した日々の後、井上さんは新たな挑戦を求めて産経新聞社に中途入社します。サンケイスポーツ文化社会部の記者となり、芸能ニュースからスポーツ記事まで幅広く担当します。

中でも野球取材では、球場に足を運び選手や関係者に直接話を聞くなど、現場主義を徹底しました。この取材姿勢が、後の“裏付けあるスクープ”へとつながっていきました。

シン

出版社の人と飲み屋で意気投合ってすごいね。何がきっかけだったんだろう?

ラン

井上さんは学生時代から麻雀が得意で、麻雀がきっかけでいろんな知り合いが増えたとおっしゃってるわよ!芸は身を助けるわね!

30代・40代(1986年~2006年)

引用元:朝日新聞

1986年、井上公造さんは、新聞記者として芸能やスポーツの現場を駆け回っていましたが、30歳を目前に将来への不安を感じ始めます。そんな折、芸能リポーター界の第一人者・梨元勝さんに思い切って相談すると、梨元さんはこう言いました。「うちに来る? 給料倍出すよ

その一言は、迷いを断ち切る大きな後押しになりました。井上さんは安定していた新聞記者からテレビの世界へ飛び込む決断を下し、「株式会社オフィス梨元」に所属する芸能リポーターとしての新たな道を歩み始めます。

当時、梨元勝さんは「突撃取材」と呼ばれる果敢なインタビュー手法で知られ、芸能リポーターという職業を確立した存在で、彼の事務所「株式会社オフィス梨元」は、芸能報道の最前線に立つ精鋭が集う場所でした。

上の画像は芸能リポーターに転身したころの井上さんです。

井上さんはまずは内勤の裏方として働き始めましたが、人手不足から現場取材に出るようになります。美空ひばりさんの急逝、勝慎太郎さんの麻薬疑惑、木村拓哉さんの結婚会見など様々な芸能人の取材をこなしていきました。

梨元さんから教えられた「癒着と密着は紙一重」という言葉は、今も芸能リポーターの戒めとして井上さんの心に残っています。情報を得るためには相手と近づきすぎず、しかし距離を置きすぎてもならない——その絶妙なバランスに苦労しました。

当時の芸能取材は、深夜の突撃や自宅前での張り込みも日常茶飯事でした。井上さんもその渦中で数々のスクープを追いかけましたが、やがて「これでいいのか」という疑問が芽生えます。報道の使命と人としてのモラル、その間で揺れ動きながらも、自らの取材スタイルを模索し続けました。

ついには取材方法への疑問を抑えられず、井上さんは梨元事務所を退社します。その後自らの信じる取材スタイルを求め、1998年41歳にして「有限会社メディアボックス」を設立し新たな道へと進む決断を下しました。

引用元:スポニチ

1996年、井上公造さん(当時39)は朝日放送テレビの人気情報番組『おはよう朝日です』でコメンテーターとしての仕事をスタートしました(上画像)。

相棒となったのは、当時から歯切れの良いトークで知られていた宮根誠司さん。生放送にもかかわらず台本はほぼゼロ、打ち合わせもほとんどなく、本番でテンポの良い掛け合いがポンポンと繰り広げられました。

この即興性あふれる現場は、井上さんにとって大きな驚きとともに刺激となり、テレビ出演の経験値を飛躍的に高める場となりました。番組出演をきっかけに、関西エリアのテレビ番組から次々とオファーが舞い込み、その後井上公造さんの活躍は一気に全国へ広がります。

日本テレビ系『スッキリ』、読売テレビ『情報ライブミヤネ屋』『上沼・高田のクギズケ!』、朝日放送『おはよう朝日です』『キャスト』など、様々な番組に同時レギュラー出演する超売れっ子になりました。

芸能ニュースの第一線でスクープを届けつつ、テンポの良い解説と軽妙なトークでお茶の間を魅了し、朝から夕方までテレビで見ない日はない──そんな時期を築き上げました。まさに「芸能リポーターといえば井上公造」と言われるほどの存在感を放つようになったのです。

シン

井上公造さんの取材スタイルはどんなスタイルになったのかな?

ラン

勝手にどこかで情報を流したりせず、必ず当人か事務所に「テレビで話したいんだけど」と仁義を切り、了承を得るのが井上さんのスタイルになったみたいね!相手に寄り添って信頼を得るのが重要だとおっしゃってるわ!

50代以上(2006年~)

引用元:amazon

2014年、井上公造さん(当時57)は長年の芸能リポーターとしての経験を活かし、初のビジネス書『一瞬で「本音」を聞き出す技術』(上画像)を出版しました。テーマは、芸能界の大物から一般人まで、10万人以上を取材して培った“28の心理術”です。

その根底にあるのは“相手への尊敬と感謝”の姿勢です。井上さんは、取材の場で絶対に遅刻しないこと、事前に相手のことを徹底的に調べてから話すことを自らに課してきました。こうした小さな積み重ねが信頼を生み、その信頼が本音を引き出す最大のカギになっているのです。

また井上さんはどんなシチュエーションでも最初の「つかみ」が重要だと強調しています。「会話は車のエンジンと同じで、まずはアイドリング。相手を温めることが大切。そうすれば自然と本音を話してくれる態勢に変わる」と語ります。

ビジネスだけでなく日常の人間関係にも応用できるヒントが満載で、井上さんは「一人ひとり違うコミュニケーションのかたち。その土台になれば嬉しい」と、自らの取材術を惜しみなく公開しています。

引用元:スポニチ

2022年3月、芸能リポーターとして36年間活動してきた井上公造さん(当時65)が、ついにそのキャリアに終止符を打ちました(上画像)。引退後のテレビ番組で「もっと続けてみようとはお思いにならなかった?」と聞かれると、井上さんは「いえ、もう次のステージに行こうと」――迷いのない言葉でした。

井上さんは、「もう芸能リポーターは潮時だなと、自分の中で感じたんです」と振り返り、本番中に体調を崩し、病院に運ばれることもあったと語り、そうした経験も決断の後押しになったといいます。

なんで芸能リポーターなんかやっちゃったんだろう、なんて全く思いません。やってきて本当に良かった。この仕事を通して出会えた人たちと、今も食事に行ったり電話で話したりできていますし、やったかいがあったと思います

引用元:スポニチ


と芸能リポーターを辞める今になって後悔は一切ないと語りました。36年の激動の日々を経て、新たな舞台へ向かう井上さん。その背中は、今もまっすぐに次の挑戦を見据えています。

シン

引退すると聞いてご家族はどう思ったんだろうか?

ラン

奥様は「あなたの人生だからあなたの好きなようにしたらいいと思うよ」と理解して後押ししてくださったんですって。素敵よね!

井上公造さんが経営する”株式会社KOZOクリエイターズ”には他に誰が所属してる?

引用元:KOZOクリエイターズKOZOクリエイターズKOZOクリエイターズ

井上公造さんが経営する株式会社KOZOクリエイターズには、駒井千佳子さん(リポーター)、長谷川まさ子さん(リポーター)や中西正男さん(リポーター)などが所属しています。

【画像】井上公造はライザップで激変?現在何してる?

井上公造はライザップで激変?

引用元:YouTube

芸能リポーターとして人気を集めた井上公造さん。2016年に挑戦したライザップでは、食事管理とトレーニングを徹底した結果75.5kgから68.5kgまで体重を落とし、わずか数か月で約7kgの減量を達成したと明かしていました(当時59)。

井上さんはその成果について、笑顔で「捨てようかなと思っていたパンツがまた穿けるようになったんですよ。ウエストサイズでいうと30代の頃まで戻しました」語っています(上YouTube)。

単なるダイエットではなく、体型の若返りと健康維持のためのチャレンジだった取り組みは、公造さんらしい明るく前向きな姿勢が、多くのファンに元気を与えていました。

シン

2016年というと9年前だね。その後の体形はどうなってるのかな?

ラン

井上さんはその後も体型はしっかりと維持されているわよ!最新の情報として、現在も体型をキープしている姿がInstagramなどで確認されているわ!健康への意識の高さがうかがえるわね。

井上公造は現在何してる?

引用元:ハワイに住むnet

2022年3月、36年間の芸能リポーター生活にピリオドを打った井上公造さん。現在はIT企業の顧問や、日本とハワイの架け橋となる「WAAPアドバイザー」として活動しています。

引退の理由のひとつは、意外にも「もっとハワイに行きたい」という想いだったそうです。長年の取材で何度も訪れてきたハワイは、彼にとって特別な地でした。

芸能リポーター時代には、ハワイで休暇を楽しむ芸能人を直撃したり、現地イベントを取材したりと、仕事と観光が入り混じる濃密な時間を過ごしてきました。中でも、時差と戦いながら朝から晩まで動き回るハワイ取材は、体力的には過酷ながらも「海と空に癒やされながらできる贅沢な仕事」だったそうです。

引退後は年に約4回、1回3週間〜1ヶ月ほど滞在し、年間でおよそ100日をハワイで過ごす生活になりました。「ハワイでの時間は、とにかくアロハを充電する時間」と語る井上さん。芸能リポーター時代に“仕事で訪れるハワイ”から、引退後は“暮らすハワイ”へとステージを変え、今もなおこの島から多くのエネルギーを受け取っています。

シン

井上さんはハワイでどんな生活をしているのかな?

ラン

ゴルフ三昧みたいよ。他には散歩やジム、プールで体を動かすしたり、午後は友人との交流やディナーでリラックスしたり。まさに理想的よね!

井上公造さんがデビューした1986年はこんな年だった!

引用元:朝日新聞平塚市博物館伊豆大島ジオパーク

井上公造さんがデビューした1986年は、「ダイアナ妃来日」、「ハレー彗星地球接近」、「三原山噴火」などの出来事があり、話題となりました。

また、この年の流行語は、「テレクラ」が受賞しました。

井上公造のプロフィール・SNS

引用元:WAAP

プロフィール

  • 名前:井上公造(いのうえ こうぞう)
  • 生年月日:1956年12月30日
  • 年齢:68歳(2025年8月現在)
  • 出身地:福岡県
  • 血液型:B型
  • 趣味:麻雀、ゴルフ
  • 特技:囲碁
  • 所属事務所:KOZOクリエイターズ

SNS

シン

井上さんのYouTubeチャンネルってどんな感じなのかな?

ラン

芸能人の秘話や、裏話、インタビューなんかが観られて、芸能リポーター時代のファンにとってはたまらないわよ!

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