歌手・シンガーソングライター・俳優として活躍を続けている布施明さん。
デビュー2年目の年にリリースした「霧の摩周湖」はとても人気が出て、摩周湖が存在する北海道川上郡弟子屈町(てしかがちょう)のご当地ソングとなりました。
布施明さんの一番の大ヒットは小椋佳さん提供の曲「シクラメンのかほり」で、ミリオンセラーを達成した上に多くの音楽賞を総なめにしています。70代後半の現在も歌声は変わらず、歌番組に出演した際はSNSで「布施明さん」というワードがトレンド入りしました。
今回は布施明さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】布施明は若い頃イケメン!
10代(1957年~1967年)
引用元:YouTube
布施明さんは、双子の女性歌手「ザ・ピーナッツ」に憧れて歌手を目指すようになり、高校在学中に日本テレビ系のオーディション番組「味の素ホイホイ・ミュージック・スクール」に出場しました。
見事合格して渡辺プロダクションからのスカウトを受け、1965年(当時18歳)に「君に涙とほほえみを」でキングレコードからデビューしました。
こちらは、同年にイタリアの歌手ボビー・ソロさんがリリースした楽曲「Se piangi, se ridi」を安井かずみさんが訳したものです。タイトルは直訳すると「もし泣くなら、もし笑うなら」です。
上の画像は、デビュー曲の「君に涙とほほえみを」のジャケット写真です。純日本人なのが信じられないくらい彫りが深い顔立ちをされていますね!
引用元:Spotify
デビューして間もない頃は、事務所の先輩にあたる伊東ゆかりさんや園まりさんなどのステージの前座を経験されたそうです。その後は「恋」「霧の摩周湖」「愛は不死鳥」「積木の部屋」等のヒット曲を連発しました。
上の画像は、「霧の摩周湖」のジャケット写真です。1966年リリースなので、当時19歳です。日本一透明度が高い湖の「摩周湖」を舞台にした曲で、北海道川上郡弟子屈町(てしかがちょう)のご当地ソングとしてもよく知られています。
当時、所属事務所のスタッフは「誰も知らないような場所の歌なんて売れるはずがない」と反対していましたが、事務所の創業者である渡辺晋さんが「都会の人間が知らないような場所だからこそ、夢が広がっていいんじゃないかい」と後押ししてくれたのだとか。
そしてスタッフの予想に反して、こちらの曲の累計売上は60万枚に達しています。
シン海や川が出てくる歌は聴いたことあるけど、
湖ってちょっと珍しくない?
ラン曲作りの時にマネージャーさんが「海の歌はどうか」と言ったけど、作曲の平尾昌晃さんが「布施明さんに海は似合わない。湖がいい」と提案したみたいだよ。
そこで作詞の水島哲さんが当時無名だった摩周湖の魅力を語って、「それはいい」と全員の意見が一致したんだって!
20代(1967年~1977年)
引用元:JOYSOUND
1969年(当時22歳)には、TBSテレビのドラマ「S・Hは恋のイニシァル」で俳優デビューしました。こちらは月曜20時の「ナショナル劇場」枠で放映された青春ドラマです。
毎朝新聞の新米記者・結城一平は入社式に向かう車中でチンピラに絡まれている乗客を助けて怪我をし、軽く出血した一平にハンカチを差し出した謎の女性との出会いに運命を感じますが、すぐに立ち去られて名前を聞けませんでした。
ハンカチに刺繍された「S・H」のイニシャルを手掛かりに謎の女性を探していると、彼の前に同じイニシャルを持つ魅力的な女性が次々と現れる……というストーリーです。布施明さんは主役の結城一平を演じ、ドラマタイトルと同名の主題歌を歌いました。
上の画像は、1969年のシングル「星のみずうみ」のジャケット写真です。作曲家の平尾昌晃さんはこの前年に結核のため長野県岡谷市の病院に入院されており、そこで知り合った地元の詩人・小口幸重さんに作詞を依頼して、曲を付けて完成したのだとか。
引用元:ニッポン放送
その後はヒット曲に恵まれながら賞レースと長らく縁が無い「無冠の帝王」でしたが、1975年(当時28歳)にシンガーソングライターの小椋佳さんから提供された「シクラメンのかほり」が大ヒットしました。上の画像は、そのジャケット写真です。
この曲は、小椋佳さんが銀行に勤めていた頃に取引先で見たシクラメンをヒントに思い浮かんだものなのだとか。当時の感覚でも古めかしい曲だったようで、布施明さんは「今更こんなフォークソングっぽい曲が売れるわけがない」と思いましたが、所属事務所の創業者さん達の判断でリリースすることになりました。
作り手の小椋佳さんもあまり気に入らず、曲が完成してもご自身ではレコーディングせずお蔵入りにしていたため、この大ヒットについて「信じられなかった」と後に語っています。
布施明さんがこの曲で「第4回東京音楽祭」に出場したことがきっかけとなり、1975年の「第17回日本レコード大賞」と「第6回日本歌謡大賞」など、年末の音楽番組・音楽賞の大型タイトルを総なめにしました。
引用元:JOYSOUND
布施明さんは、その後もヒット曲を連発しました。1975年(当時28歳)に「傾いた道しるべ」を、翌年には「陽ざしの中で」をリリースしています。
「傾いた道しるべ」は、小椋佳さんが「シクラメンのかほり」に続いて作詞・作曲を担当し、オリコンチャート上の売り上げ枚数は35.1万枚を記録しました。
上の画像は、1976年(当時29歳)にリリースされた「落葉が雪に」のジャケット写真です。眼鏡をかけると少し印象がかわりますが、よく似合っていてこちらも素敵ですね!
この曲は、最初は井上順さんのために布施明さんが作詞・作曲をして完成した曲ですが、サントリー「ゴールドラベル」のCMで布施明さんご自身が歌ってヒットとなりました。
シン「シクラメンのかほり」はどれくらいの枚数売れたのかな?
ランキングレコード調べでは、発売から1年で128万枚の売り上げを記録したんだって!
布施明さんにとって、唯一ミリオンセラーを達成した曲みたいだよ。
30代(1977年~1987年)
引用元:Amazon
この年代の布施明さんは、年末恒例の「NHK紅白歌合戦」に常連出場するなど、日本を代表する歌手へと成長していった時期です。熱狂的な人気を集めながら歌唱力の評価も非常に高く、クラシック番組「オーケストラがやって来た」にメインゲストとして出演し、シューベルトの曲に挑戦したこともありました。
そして布施明さんの30代の大きな出来事は、1980年(当時33歳)にイギリスの女優のオリヴィア・ハッセーさんと結婚したことではないでしょうか。結婚については後述します。
上の画像は、1979年(当時32歳)にリリースされたシングル「君は薔薇より美しい」のジャケット写真です。同年春のカネボウ化粧品のCMソングに起用されました。久しぶりに会った女性が美しく変わった様子と、それに対する自分の気持ちを歌った内容の曲で、オリコン上の売上枚数は31万枚を記録しています。
引用元:レコチョク
上の画像は、1980年(当時33歳)にリリースされたシングル「愛よその日まで」のジャケット写真です。布施明さんは、この曲で同年の第31回NHK紅白歌合戦に14回目の出場を果たしました。アニメ映画「ヤマトよ永遠に(とわに)」のエンディングテーマとしても使われ、NHK紅白歌合戦でアニメソングが歌われるのはこれが初めてだったのだとか。
「ヤマトよ永遠に」は、宇宙戦艦ヤマトシリーズの第6作目にして劇場用映画の第3作目です。全国東映洋画系で公開されました。宇宙戦艦ヤマトシリーズにおいて唯一「タイムスリップ」の概念に触れた作品でもあります。
この年代の布施明さんの私生活は、結婚をした1980年にアメリカに渡り、歌手活動をしたりミュージカルなどに出演されたりしていました。そして、1983年(当時36歳)に男の子が誕生しています。
シン布施明さんの結婚相手のオリヴィアさんは初婚だったの?
ランオリヴィアさんは再婚で、ディーン・マーティンさんの息子さんと結婚していたことがあるよ!
40代以上(1987年~)
引用元:スポニチ
1989年(当時42歳)にオリヴィア・ハッセーさんと離婚し、当時の日本では考えられない額の慰謝料・養育費を支払ったことで話題になりました。お相手が外国人なのでドルで支払ったそうですが、日本円にすると3億円程度と言われています。
その後は2005年(当時58歳)に「仮面ライダー響鬼」の主題歌「少年よ」を発売しました。布施明さんのシングルとして25年ぶりのオリコントップ20入りを果たし、初動セールス1万枚突破のヒットとなりました。
同年に「仮面ライダー響鬼」の2代目オープニングテーマ曲「始まりの君へ」を発売しました。その年の年末には21回目の出演となった「NHK紅白歌合戦」で「少年よ」を歌い、NHKと民放の枠を超えてヒビキ役の細川茂樹さんやスーツアクター達と共演しました。
上の画像は、2008年(当時61歳)にカバーアルバム「Ballade」の発売記念イベントを行った時の布施明さんです。
引用元:スポーツ報知
布施明さんは2006年(当時59歳)にユニバーサルミュージックに移籍し、森山良子さんとのデュエット曲「やさしく愛して〜Love Me Tender」を発売しました。その年の年末のNHK紅白歌合戦では、ジョン・レノンさんの「イマジン」を歌っています。
2008年(当時61歳)には「第50回日本レコード大賞」でアルバム「Ballade」が企画賞を受賞し、「NHK紅白歌合戦」では「君は薔薇より美しい」で35年ぶりにトップバッターを務めました。61歳の歌手がトップバッターを担当するのは、美川憲一さんと並ぶ最年長記録です。
翌年には25回目の出演となった「NHK紅白歌合戦」で「マイ・ウェイ」を歌い、そして同年限りで紅白卒業を宣言し、ポップス歌手出場枠を後進に譲る意向を明かしました。
そして翌年の2025年に77歳で芸能活動60周年を迎えました。
シンもう紅白に出ないの?ってことは他の歌番組にも出ないのかな?
ラン卒業は紅白だけみたいで、2024年(当時76歳)には「うたコン」に出場しているよ!
変わらぬ歌唱力を披露して、Xで「布施明さん」というワードがトレンド入りしたんだって。
布施明さんが所属する”FRA音楽創舎”には他に誰が所属してる?
引用元:TOKUMA JAPAN
FRA音楽創舎は布施明さんの個人事務所のため、所属しているのは布施明さんのみです。
【画像】布施明と妻の馴れ初めは?特殊な発声法で病気を克服?
布施明と妻の馴れ初めは?
引用元:スポニチ
引用元:スポニチ
布施明さんは現在までに2回結婚しています。
1回目のお相手は前述の通りでイギリスの女優のオリヴィア・ハッセーさんです。上の画像の1枚目は、1979年(当時32歳)に撮影された布施明さんとオリヴィアさんの写真です。
お2人が出会ったきっかけはお互いのお仕事でした。オリヴィアさんが出演されたカネボウ化粧品のCMに、布施明さんが歌を提供したことで知り合いました。1983年(当時36歳)に男の子が誕生していますが、1989年(当時42歳)に離婚しました。
2回目のお相手は、16歳年下の歌手の森川由加里さんです。こちらは2013年(当時66歳)に双方の公式サイトで報告されましたが、馴れ初めについては語られておらず、詳細は不明です。布施明さんは再婚、森川由加里さんは初婚でした。2025年現在も結婚生活は続いているようです。
シンオリヴィアさんは最初は仕事の相手だったんだね!恋愛に発展した決め手は何だったのかな?
ラン「布施明さんの歌声に圧倒されて恋に落ちた」とオリヴィアさんの自叙伝で綴られているよ!女性側からの一目惚れだったんだね。
布施明は特殊な発声法で病気を克服?
引用元:デイリー
引用元:オリコンニュース
布施明さんは2019年の3月(当時71歳)に声が出しづらい症状で診察を受け、「声帯ポリープ」と診断されたことを公表しました。同年4月の歌謡番組「日本の名曲 世界の名曲 人生、歌がある」への司会としての出演が予定されていましたが、ポリープの除去手術のために出演を見送ることにしたのだとか。
「なるべく早い手術を」との意見もある中で「春のコンサートツアーファイナルの4月14日大阪後の手術を希望いたしました」とし、ツアーを続行しました。
点滴・投薬・吸入投薬と共に、発声効果を上げる呼気の流れをコントロールする方法を短期トレーニングし、予定通り14日に全国ツアーを完遂しました。
そして17日に手術前の検診を受けたところポリープは無くなっていたそうです。「皆々様のお陰をもちまして手術を回避できることになりました。心底より感謝申し上げます。本当に嬉しいです」と綴りました。
シンポリープが無くなる!?そんなことってあるんだ。確率としてはどのくらいなのかな?
ランお医者さんからは、「このようなことは年に1度あるかないかの稀な事例」と説明を受けたみたいだよ。
布施明のプロフィール・SNS
引用元:読売新聞オンライン
プロフィール
- 名前:布施 明(ふせ あきら)
- 本名:布施 晃(ふせ あきら)
- 生年月日:1947年12月18日
- 年齢:77歳(2025年11月現在)
- 出身地:東京都三鷹市
- 血液型:A型
- 趣味:陶芸・ゴルフ
- 所属事務所:FRA音楽創舎
SNS
- X(旧Twitter) URL:https://x.com/FUSE_AKIRA_
・コンサート映像(約110分予定)
— 布施明 - Fuse Akira Official -(by スタッフ) (@FUSE_AKIRA_) November 11, 2025
・特典映像:特別インタビュー収録(約20分予定)
※Blu-ray及びDVD共に同内容
Blu-ray / TKXA-1151 /\8,000(税抜\7,273)https://t.co/V7KDNPnzXm
DVD / TKBA-1422 /\7,500(税抜\6,818)https://t.co/UtY11emoX3 pic.twitter.com/3aCFrOLElg
- YouTube URL:https://www.youtube.com/@FUSE_AKIRA_
- オフィシャルサイト URL:https://fuse-akira.com/

シン布施明さんの趣味が陶芸なのって似合うしかっこいいけど、難しくないのかな?
ランひび割れの原因となる空気が入らないように、粘土を菊みたいな形に練る「菊練り」が難しくて苦手みたいだよ!

















