俳優・タレント・司会者として多方面で活躍を続けている船越英一郎さん。
“2時間ドラマの帝王”として知られる一方で、バラエティ番組や情報番組でも親しみやすい人柄を見せ、多彩なフィールドで存在感を発揮してきました。
今回は船越英一郎さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】船越英一郎は若い頃イケメン!
10代(1970年~1980年)
引用元:X船越英一郎さん
— aki_bikke (@a_bikke) March 17, 2017
ご両親は2人ともサラリーマンだと言いTVも見せず息子から芸能界遠ざけてた
有働)何でですかね?
船越)それはね自分がやってみて分かるでしょ。子供にやらせたい?
イノ)いや~ちょっと考えちゃいますね
船越)努力が報われる仕事じゃない。
イノ)運ですね殆ど#あさイチ pic.twitter.com/SyfQrYXhMW
船越英一郎さんは、父に名優の船越英二さん、母に女優の長谷川裕見子さんを持ち、さらに叔父は日本映画史に輝く二枚目俳優・長谷川一夫という、まさに“芸能一家”に生まれました。しかし本人いわく、「芸能界の水を全く知らずに育った」といいます。
幼少期は小児ぜんそくを患い、両親はその体調を気遣って、空気の良い神奈川県湯河原町で旅館業を始めました。
忙しく働く両親に代わり「お手伝いさんに育てられた」というほど家庭では常に人の出入りがありましたが、「母は週末に、父は2週に1度数日帰ってくる程度。それでも愛情をこまやかに受け取れるような育て方をしてくれた」と、愛に満ちた家庭だったことを語っています。
転機となったのは、小学3年生のある日に父・英二さんから映画館に誘われ、『ガメラ対大悪獣ギロン』を観に行った時のことで、スクリーンには、天文台所長役として出演する父の姿がありました。
「お父さんってこんなことしてるのか!しかもガメラと……」それまで父親が俳優であることすら知らなかった船越さんにとって、衝撃の瞬間でした。
家では、そんな父が「昭和のオヤジ」そのものだったと振り返ります。「テレビは1日30分」「返事はすべて“はい”のみ」など、非常に厳しい教育方針で育てられ、父の口癖は「役者は男子の一生の仕事にあらず」だったとお話しされていました。
「自分と同じ苦労をしてほしくなかったんでしょう。俳優はどこまでいっても他人頼みの仕事。体を現場に持っていかなければ1円にもならないですから」
そう語る船越さんの言葉からは、父親の厳しさの裏にあった深い覚悟と家族への想いが、しっかりと受け継がれていたことが伝わってきます。
上の画像は幼少期の時のものです。美男美女なご両親ですよね!
引用元:YouTube
船越英一郎さんは、1976年(当時16歳)の時に、静岡県三島市にある日本大学三島高校に“越境入学”し、自立への一歩を踏み出しました。高校時代にテレビ番組『土曜映画劇場』で増田貴光さんの映画解説に心を奪われたことをきっかけに、「自分も映画を撮ってみたい」という夢を抱くようになります。
1979年(当時19歳)の時に、日本大学芸術学部映画学科に進学し、映画監督になる夢を追い、本格的に映像の世界へ足を踏み入れました。
この時船越英一郎さんは、「石井聰亙さんや手塚真さん、長崎俊一さんたちの作品を見て、“この人たちには敵わないかもしれない”と素直に思いました」とお話しされており、強烈な同級生たちの才能に直面し、自身の道に迷いが生じ始めたことが確認できます。
上の画像は大学時代の時のものです。45年前にタイムスリップとは面白そうですね。

船越英一郎さんの父・英二さんとはどんな人だったのかな?

船越英二さんは、昭和を代表する名優として活躍した人物で、上品で穏やかな好人物役を多く演じているの。
しかし、家庭ではまったく違う一面を持っていたみたい。
英一郎さんは、「自宅では“昭和のオヤジ”そのものだった」と振り返っており、「テレビの視聴は1日30分、返事はすべて”はい”のみ」という厳格なルールの中で育てられとお話しされているわ。
仕事一筋で家庭を留守にしがちだったものの、週末に帰ってきたときには愛情を注ぎ、息子に“厳しさの奥にある温かさ”を伝えようとしていたみたい。
そんな父の姿勢から、英一郎さんは人生の礎を学んでいったのよね。
20代(1980年~1990年)
引用元:X渡辺徹さんのデビュー当時かと思いました!
— 仮免(かりめん)ライダー (@carimenrider) February 23, 2018
サヨナラっさ!#船越英一郎#渡辺徹#二時間ドラマの帝王 pic.twitter.com/0992aFKVIn
船越英一郎さんは、1982年(当時22歳)の時にTBS系ドラマ『父の恋人』への出演が決まり、俳優デビューを果たしました。
この時船越英一郎さんは、幼少期から親交のあった社長に「俳優になってみたい」と直談判し、その場にいたプロデューサーのひと言が出演に繋がりました。「僕は非常にラッキーで、いきなりドラマに出させていただきました。でも“顔と名前が一致する”までには結構時間がかかりました」とお話しされております。
チャンスには恵まれたものの、そこから本当に“認知される俳優”になるまでには、時間と努力を要したことが確認できます。
上の画像は1982年(当時22歳)の時にTBS系ドラマ『父の恋人』で俳優デビューした時のものです。何だか凄くかわいらしいですね。
船越英一郎さんは、1986年(当時26歳)の時に、ロックミュージカル劇団「MAGAZINE」を主宰し、自ら脚本・演出・出演のすべてを手がけるという挑戦をしました。
この時のことを船越英一郎さんは、「若気の至りで劇団をやっていたんですが、お金をいただいて大きな舞台で演じることはすごく緊張する。それが、舞台から逃げていた原因だったんです」とお話しされております。
若さゆえの情熱と不安の間で揺れ動きながらも、“伝えること”への強い意欲に突き動かされていた時期であったことが確認できます。
引用元:サンスポ
船越英一郎さんは、1988年(当時28歳)の時に、NHK連続テレビ小説『ノンちゃんの夢』でヒロインの初恋の相手となる海軍少尉役を演じました。
この時の船越さんについて、ヒロイン役の藤田朋子さんは、船越さんはクランクイン前日にあいさつに訪れるほど律儀な方で、藤田さんが“劇中の初対面シーンのために顔を合わせたくない”と逃げ回っていたことも、笑って受け止めてくれたとお話しされています。
また、撮影中は食事シーンの所作やカット割りといった現場の基本を、誰よりも丁寧に教えてくれる存在で、「すごく面倒を見てくれた」と感謝を語っています。
さらに、燃えた契約書を素手でつかんで火傷を負うというアクシデントの際も、藤田さんを気遣い「傷痕が残ったら責任とるからな」と声をかけるなど、誠実で頼れる兄のような存在だったことが確認できます。
二人は2015年の朝ドラ『まれ』で夫婦役として再共演しており、「27年の歳月を経て、やっと夫婦になれました」と藤田さんは振り返っていました。
上の画像は1988年(当時28歳)の時に『ノンちゃんの夢』に出演した時のものです。和気あいあいの様に見えますね
引用元:ファミリー劇場
船越英一郎さんは、1989年(当時30歳)の時に、テレビ朝日系2時間ドラマ『小京都ミステリー』シリーズに出演されました。
同時期に『八百八町夢日記』に八田真四郎役として出演し、そのクラシカルな演技で注目を浴びました。このシリーズは、日本各地の“小京都”と呼ばれる情緒ある町を舞台にしたサスペンス作品で、美しい風景と人間ドラマを背景に、難事件に挑む姿が話題を呼びました。
船越さんはシリーズ初期から出演し、推理ドラマ俳優としてのイメージを確立する重要なステップとなりました。
その後、船越さんは“2時間ドラマの帝王”と呼ばれるようになるまでに成長し、そのきっかけとなったシリーズのひとつが、この『小京都ミステリー』だったことが確認できます。
上の画像は、1989年(当時30歳)の時に、『小京都ミステリー』に出演した時のものです。この作品が2時間ドラマの帝王と呼ばれるきっかけになったのですね。

船越英一郎さんは最初から順調に俳優として活躍していたの?

いえ、決して“いきなりスター”ではなかったみたいよ。
俳優デビューこそ華々しく見えたけど、「いきなり出させてもらえたけれど、顔と名前が一致するまではかなり時間がかかりました」とお話しされてるわ。
そこから5年ほどは「鳴かず飛ばずの時期」が続き、地道に演技力を磨く日々だったそうなの。
30代(1990年~2000年)
船越英一郎さんは、1990年(当時30歳)の時に、TBS系ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』で山口太郎役を演じました。葉子の元婚約者という立場での出演でしたが、物語に深みを与える重要な役どころでした。
この時のことを船越英一郎さんは、脚本家の橋田壽賀子さん追悼コメントとして「父、母、私と親子三人に渡り、先生の作品世界の住人にさせていただきましたこと、そして何より、橋田賞を頂戴しましたことが私の誇りです」と深い敬意と感謝の念を語っています。
橋田作品への出演は、俳優としての節目とも言える経験となり、橋田ドラマの一員であったことが、船越さんにとっても誇りであり、大きな意義を持つものであったことが確認できます。
船越英一郎さんは、1990年代(30代)の時期に、テレビドラマや舞台で多彩な活躍を見せました。
1993年には昼ドラ『正しい結婚』(東海テレビ)にも出演し、現代劇での柔らかな存在感を見せ、幅広い層の視聴者にアピールしました。
舞台活動としては、1997年(当時37歳)の時に、1986年(当時26歳)に立ち上げたロックミュージカル劇団「MAGAZINE」の成果をまとめた戯曲集『BRAKERS』も出版しており、映像作品にとどまらず、自らの表現を追求する姿勢がうかがえます。
この時代の出演歴や表現活動は、その後の船越さんのキャリアをかたちづくる基盤となったことが確認できます。
この時に関する画像や船越さんの言葉はみつかりませんでした。

船越英一郎さんはどうして2時間ドラマの帝王と呼ばれるようになったのかな?

船越さんが“2時間ドラマの帝王”と呼ばれるようになった背景には、1990年代から数多くのサスペンスドラマやミステリー作品に出演してきた実績があるわ。
なかでも『小京都ミステリー』シリーズや『火災調査官・紅蓮次郎』『外科医・鳩村周五郎』など、主役として登場する2時間ドラマが多数あり、安定感のある演技と親しみやすい人柄が、視聴者からの厚い信頼を集めました。
1本1本が“完結型”である2時間ドラマの世界で、毎回違う役柄を見事に演じ分けられる実力と柔軟性、そして誠実な姿勢が、いつしか“帝王”という敬称で語られるようになったのです。
40代以上(2000年~)
引用元:NEWSポストセブン
船越英一郎さんは、2001年(当時41歳)の時に、3歳年上の女優の松居一代さんと結婚しました。松居さんには前夫との間に当時11歳の息子がいたこともあり、父・船越英二さんをはじめ、家族からは強い反対を受けるなかでの決断でした。
この時船越さんは、「息子が受験に失敗したときも、就職活動のときも全力で支えた」とされ、実の子のように愛情を注ぎ続けた姿勢が印象的であったことが確認できます。
また、第一志望の企業に息子が内定した際には、「みんなを犠牲にしたけど、たった1人は幸せにした」と涙ながらに語ったと伝えられています。
上の画像は2001年(当時41歳)の時に女優の松居一代さんと結婚した時のものです。松居さんの息子さんを交えての写真はこれからとても良いショットですね。
引用元:CSテレ朝チャンネル
船越英一郎さんは、2007年(当時47歳)の時に、テレビ朝日系ドラマ『その男、副署長』シリーズで主演を務めました。本作は船越さんにとって、連続ドラマ初主演という節目の作品であり、京都・河原町署の副署長・池永清美役を熱演しました。
撮影中に足を滑らせて転倒し、肋骨を2本骨折するというアクシデントに見舞われながらも、全編にわたって骨折したまま第1話の撮影をやり遂げました。この時船越英一郎さんは、「やせ我慢している姿も見て下さい」と笑いながら語り、プロ意識の高さとユーモアを見せています。
毎回恒例の京都市内を全力疾走する名シーンは、この骨折により一時的にカットされましたが、それ以外の撮影スケジュールは通常どおりこなしたそうです。
「骨折したまま撮影した格闘シーンも見てください」と語る姿に、役者としての覚悟と責任感が確認できます。
上の画像は、2007年(当時47歳)の時にドラマ『その男、副署長』シリーズで主演務めた時のものです。警察官姿がとても似合っていますね。

船越英一郎さんはなぜ松居一代さんと離婚することになったのかな?

結婚当初は“おしどり夫婦”とも称されていたお二人ですが、松居さんの強い束縛や精神的な不安定さが次第に船越さんを追い詰めるようになりました。
息子さんの成長と独立を機に関係は徐々に冷え込み、SNSや動画での一方的な告発、自殺予告騒動なども重なり、最終的には弁護士を通じた離婚調停に至り、2017年末、離婚が正式に成立しています。
【画像】船越英一郎と再婚相手の馴れ初めは?子供は何人で何してる?
船越英一郎の再婚相手は誰?馴れ初めは?
引用元:デイリー
引用元:YouTube
船越英一郎さんの再婚相手は、女優で現在はチョークアーティストとして活躍している松下萌子さん(42)です。元歌手として活動され、現在は「Moeco」名義でチョークアーティストとして国内外で活躍されています。
馴れ初めは、TBS系バラエティ番組『林先生が驚く初耳学!』での共演がきっかけでした。船越さんが崖を背景に佇む姿のチョークアートを松下さんが披露され、船越さんがその作品に感動し、そこから関係が始まり、2021年頃から交際へ発展したと言われています。
「船越さんは、その出来栄えに感動して、プレゼントをされると、よほどその絵が気に入ったのか。その後の仕事現場には、その絵がプリントされたバームクーヘンを差し入れに使うほどでした。松下さんも、自分の作品を人一倍喜んで大切にしてくれた船越さんには好印象を抱いて、徐々に親しくなって交際に発展したそうです」
引用元:女性セブンプラス
報道によれば、妊娠を機に入籍し、すでに第1子が誕生しているとのことです。お二人の所属事務所もこの事実を認めており、船越さんは「静かに温かく見守っていただけますと幸いです」とコメントされています。

船越英一郎さんの再婚相手って、どんな人なのかな?

再婚相手は、チョークアーティストとして世界的に活躍する松下萌子さんよ。
1997年『全日本国民的美少女コンテスト』でマルチメディア賞を受賞し、それをきっかけに18歳でアイドルデビューしたの。
女優・歌手として活動後、30歳を前にチョークアートに出会い、2012年にニューヨーク留学したそうよ。
翌年にはアーティスト「Moeco」として本格的にデビューし、現在はロサンゼルスやパリでも個展を開くなど多彩な才能を発揮しているみたいよ!
船越英一郎の子供は何人で何してる?
引用元:女性セブンプラス
お子さまは1人、お相手の松下萌子さんとの間に授かったお子さんで現在は1歳前後とされています。
(実際の誕生時期は「2024年の夏」と報じられていますが、詳細な日付や性別についてはプライバシー尊重のため控えられています)

前の妻の松居一代さんとの間にも子どもがいたのかな?

実子はいないけど、松居さんの連れ子を、実の子のように大切にしていたそうなの。
特に印象的なのは、彼が大手企業に就職した際、船越さんが自ら会社に挨拶に出向いたというエピソードがあるみたいよ。
離婚直前まで気にかけていたといい、育ての父としての深い愛情が感じられるわね。
船越英一郎のプロフィール・SNS
引用元:YAHOO!ニュース
プロフィール
- 名前:船越 英一郎(ふなこし えいいちろう)
- 本名: 船越 栄一郎
- 生年月日:1960年7月21日
- 年齢:65歳(2025年8月現在)
- 出身地:神奈川県
- 血液型:B型
- 趣味:切り花
- 所属事務所:ホリプロ
SNS
- オフィシャルサイト URL:https://www.horipro.co.jp/funakoshieiichirou/


船越英一郎さんの趣味の切り花のきっかけって何なのかな?

この時船越英一郎さんは、2023年(当時61歳)の時に、テレビ番組『徹子の部屋』で「切り花」という新たな趣味を見つけたことを明かされているの。
「週に1〜2回は花屋に通って生けています」と語っていたわ。
かつては植物の世話を苦痛に感じていた少年時代を振り返りつつ、「気づけば父と同じ趣味にたどり着いた」と話されていたの。
還暦を過ぎて“人生が一周したような感覚”を実感されていることが確認できるわ。