2023年12月に亡くなっていたことが明らかになった八代亜紀さん。
九州ローカル(熊本県八代市出身)からプロを目指して東京で活躍に至るまで苦労がありながらも、誰もが認めるトップ歌手に上りつめました。
これからもまだまだ活躍を期待されていましたが、2023年に膠原病が発覚、治療に専念するもお亡くなりになりました。
本当に残念でなりませんね。今回はそんな八代亜紀さんについて、若い頃から現在に至るまで確認していきたいと思います。
【画像】八代亜紀は若い頃からスタイル抜群!
八代亜紀さんは、若い頃は持ち前の歌唱力とスタイルの良さで周囲を魅了していました。デビュー前から画像で確認してみましょう!
幼少期
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こちらは、小学1~2年生の頃の八代亜紀さんです。父親が運送会社を起業して、経営状態が芳しくない時です。
ご両親は懸命に共働きをして亜紀さんを育ててきたと言います。
八代亜紀さんのご両親
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八代亜紀さんの父親と母親は19歳と20歳の若さで駆け落ち同然に結婚したそうです。
幼い頃父親が歌ってくれた浪曲を子守唄代わりに聴き育ったことで、亜紀さんは歌好きの子供になったと言います。
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亜紀さんの歌唱力はお父さんの影響が大きかったんだね!
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幼い頃手に入れた能力は一生ものになるから、ある意味英才教育!すごーーーい!
デビュー前(地元/15歳)
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↓(拡大)
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15歳で中学を卒業後、高校には進学せず、地元熊本の企業であるバス会社(九州産業交通)に就職をした八代亜紀さん。
人前で話す事が恥ずかしく、上手くしゃべれなかったこと、また歌う機会が無かったことから、バスガイドとしての勤務期間は3カ月だったそうです。
その後、将来歌手になることが夢であったことからキャバレー専属歌手として採用されます。
たった3日間のキャバレー勤務
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八代亜紀さん初のステージとなったニュー白馬
友人の勧めで熊本市内のキャバレー(キャバレーニュー白馬)に年齢を偽り入店し、店舗の専属歌手として採用されましたが、
父の会社従業員がお客さんとしてキャバレーに訪れ、たった3日で父にバレてしまったそうです。父から勘当され、上京を決意します。
亜紀さんは「歌手としての自信を持った大事な場所。ここが歌手・八代亜紀の原点」と位置づけているそうです。
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歌う機会がなかったから辞めたってことは、車の中で歌えると思ってバス会社に就職したのかな?
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時代が違うけど、高校に行ってないことから、本当に歌でプロになる夢が強かったんだね!
デビュー前(上京/15~18歳)
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上京直後の八代亜紀さん
父親の反対を押し切り、東京には親族(従兄妹)を頼りに上京した八代亜紀さん。音楽学院で基礎を学びながら、新宿にある
”歌える喫茶店(美人喫茶)”で学費と生活費を稼いでいたそうです。
八代亜紀さんデビューのきっかけ
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そして、18歳となり銀座のクラブ(店名:エース)で歌うようになります。そのお店で歌っていたのが後々大御所となる五木ひろしさんでした。
五木ひろしさんが、亜紀さんの歌に魅力を感じ、音楽関係者を紹介していたそうです。
また、クラブで働くホステスさんからも「亜紀ちゃんの歌には哀愁がある」との評判からレコードを出した方が良いと後押しを受けたこともデビューへのきっかけとなっているようです。
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五木ひろしさんがギターを弾いて、亜紀さんが歌っていたそうだよ!
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今思えば凄すぎる光景だよね!才能と才能の融合だったんだろうね✨
デビュー時(1971年/21歳)
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デビュー曲は「愛は死んでも」、せつなさを感じ取れる歌でしたが、残念ながらヒットには恵まれませんでした。
当時八代亜紀さんは、歌手になるつもりはなかったそうですが、流されるがままにデビューし金銭的にも苦しい思いをしたことから、自分はテレビの世界には向かないと思ったそうです。
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こちらの写真もデビュー当時の頃のものです。超絶美人と言えますね!このテイストで儚さや、侘しさを歌い上げるので、期待の新人だったことは間違いないでしょうね。
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うぉーーーー!かわいい(。・ω・。)ノ♡
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本当に美人だよね!惚れ惚れする♡♡
全日本歌謡選手権10週勝ち抜き(1972年/22歳)
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デビュー曲がヒットせず、悩んでいたという八代亜紀さんですが、逃げてたまるかという気もちで全日本歌謡選手権に出場します。
10週勝ち抜きで、初めてグランプリ獲得という厳しい条件の中、チャレンジし、失敗した場合は、
八代亜紀という名前を捨てる覚悟でいたそうです。見事10週勝ち抜き、自身に打ち勝ったということを後にお話しされています。
八代亜紀の名前誕生の背景
亜紀さんの名前「八代亜紀」は芸名で苗字は出身地の八代(やつしろ)市から採ったもので、語呂的な観点から「やしろ」という読みにしたそうです。
また、本名(橋本明代)より呼びやすい2文字アキにして、「アジア(亜細亜)で何世紀も活躍できるように」との願いから漢字の“亜紀”としたという背景があります。
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この時の表情は、なんだか悲壮感を感じるなぁ…
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このステージがなければ今の八代亜紀さんは誕生していなかったんだね!
4曲目「なみだ恋」がメガヒット(1973年/23歳)
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1972年に「別れてあなたを」「恋街ブルース」と次々にレコードを発売し、少しずつ売れ行きが良くなりはじめた八代亜紀さん。
1973年にリリースした4曲目「なみだ恋」が120万枚を売り上げ、一気にスターの仲間入りを果たします。
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23歳の時、日刊スポーツのインタビュー時の撮影のものです。脚が長くて異性からみるとドキドキしてしまう感じです!
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髪型とアイメイクなんか当時の流行りだったのかな?
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顔は、まだあどけなさも残っていてるよね。スタイルが良すぎる✨
「しのび恋」「愛ひとすじ」「愛の執念」リリース(1974年/24歳)
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1974年の23歳の頃は「しのび恋」「愛ひとすじ」「愛の執念」と次々レコードを発売し、不動の人気を獲得する礎となった年でした。この頃から妖艶さが加わってきていますよね。
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こちらの写真は日本歌謡大賞にノミネートされ、熱唱している時のものですね。ウエストラインが細くてスタイルが良いですね。
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こちらは24歳の時、メイクをしている様子の写真です。鼻筋が通っていて素敵ですよね~。
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キレイすぎるーーーーー!
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うんそうだね!衣装も何を着ても似合うよね👍
新曲ラッシュ・2年で9曲リリース(1975~76年/25・26歳)
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1975年には、「おんなの夢」「ともしび」「貴方につくします」「愛していません」の4つの新曲をリリースします。
この年も4曲で累計レコード販売枚数が100万枚を超え、ヒットを連発させました。
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この写真はイベントキャンペーン時にピースサインをする八代亜紀さんです。ちょうど25歳の時のものです。大人っぽいですね。
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そして、1976年には、「花水仙」「ふたりづれ」「夢魔のブルース」「もう一度逢いたい」「あい逢い横丁」の5曲を発売します。この年もレコード販売は好調でオリコンランキングでも上位を賑わせました。
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26歳の時、日刊スポーツのインタビュー時の写真です。まつ毛が長くて、美しさを増長させていますよね。
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見惚れてしまいます!そしてあの歌唱力!すごすぎる!
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八代亜紀さん全盛期時代の始まりの年だったのかもね~👍
8曲リリースでヒット曲連発(1977~78年/27・28歳)
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1977年と1978年の2年間は、「おんな港町」「恋歌」「愛されてみたい」「愛の終着駅」「おんな橋」「愛の條件」「哀歌」「故郷へ…」の8曲をリリースした八代亜紀さん。
この年と翌年もヒット連発で絶頂期に突入した時です。この頃から風格も加わり、一流歌手として堂々としている様子です。
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こちらは1977年のNHK紅白歌合戦のリハーサルにて五木ひろしさんと握手している時のものです。
五木ひろしさんとは同じ銀座のクラブで出会って、五木さんがプロダクションを紹介しているところから始まっているので、感慨深かったでしょう。
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1977年は、東映の映画「トラック野郎・度胸一番星」で女性トラッカー紅弁天役で出演していました。
当時、全国のトラックドライバーから大人気だったそうで、伝説のトラッカーとも言われたそうです!
八代亜紀さんの曲「恋歌」が挿入歌として使われ、配給収入も10億9000万円を記録し大ヒット映画となりました。
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うぉーーーーー!トラックドライバーのイメージないけど、アネキ感満載だ!!!
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なんでも器用にできてしまうセンスを感じるね!
日本レコード大賞・大賞を受賞(1979~1980年/29・30歳)
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この2年間亜紀さんは、少しペースダウンしますが、5つの新曲をリリースします。
「涙の朝」「舟唄」「女だから」「雨の慕情」「港町絶唱」相変わらず、歌に対しては精力的に活動をされていました。
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1980年には、第22回日本レコード大賞にて「雨の慕情」で大賞を獲得しました。また同年のNHK紅白歌合戦ではトリを務めるなど歌手人生のピークを迎えたと言って良いでしょう。
この雨の慕情は、老若男女、世代を超えた有名曲となり、つい口づさんでしまう名曲となりました。
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いつもア〜メア〜メ降〜れ降れもっと降れ〜♪♪って口ずさんでたのは亜紀さんの歌だったんだ👀
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亜紀さんを知らなくてもこの歌(雨の慕情)のメロディは知っている人多いよね!
ベテラン歌手への変貌期 30代(1981~89年)
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八代亜紀さんの30代はレコード会社も変えながら「海猫」「ブルーレイン大阪」「日本海」「陸の船乗り -ロンサム ロード-」「恋瀬川」など約10年間で28曲をリリースしました。
新曲のペースは抑えつつも、名曲ばかりのラインナップが揃い、大御所へのステップを歩み始めた時期と言えるでしょう。
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1982年歌番組出演時の八代亜紀さんです。スレンダーでありながらも、輝きが増してきていますね。
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1989年、39歳の頃の写真です。着物が良く似合います。この写真は喉の手術をしたあと、復帰を果たした時のものです。
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少しずつ歳相応にキャラも変化していているときだったのかも・・
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大人の風情を感じる様相になってきたよね。なんか背負っているものが違う感じがする!
結婚そして画家へ 40代(1990~1999年)
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1990年代、亜紀さんが40代の10年間で「花 (ブーケ) 束」「雪のれん」「とおりゃんせ」「ほんね」「風のブルース」など15の新曲をリリースします。
ちょうどこの頃、レコード発売から8インチCD発売に切り替わりました。

ハワイ・オアフ島のセントラル・ユニオン教会
1994年、八代亜紀さんのマネジャーであった増田登さんと出会ってから15年の歳月を経て結婚します。
増田登さんは元歌手で、歌手を辞める際に亜紀さんがマネージャーとして引っ張ってきた方です。
プロポーズは亜紀さんの方がしたと言います。しかしながら、2021年に27年間の結婚生活にピリオドを打ちます。
画家としての才能も開花
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八代亜紀さんは、歌手活動以外にも画家として活躍をしていました。実は小学生の頃は父の影響により画家になるつもりだったそうで、父親も希望していたそうです。
幼少期から水彩画を描いていたそうですが、40歳の頃に質感に惚れこみ市川元晴さんに師事します。
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作品名:「無限の疾風」
以来、写実的な油絵を描くことに没頭します。フランスの由緒ある「ル・サロン」展に1998年から5年連続入選し、日本の芸能人として初の正会員(永久会員)になる快挙を達成されました!
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絵画をやっていたとは・・・。芸術的な才能が備わっていた方だったとつくづく感じるね。
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亜紀さんは歌も絵画も、素直な自分の気持ちのままに取り組んでいたんだね✨
集大成となった晩年期(2000~2023年)
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八代亜紀さんは、50代~70代までの間の24年間で32の新曲をリリースしました。本当に生涯歌手活動を全うされました。
ただこの間、歌手以外の活動も積極的に取り組んでいました。
- 55歳で初のバラエティ番組のレギュラー司会に抜擢:2005年~2006年に朝日放送『トリハダ 〜感じるボロ〜ン〜』
- 61歳で東日本大震災の被災地支援活動を実施
体育館で避難所暮らしをする被災者のために、数千枚の畳を届ける等 - 62歳で故郷熊本県八代市の熊本県立八代清流高等学校の新校歌を制作
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- 66歳の時に発生した熊本地震の際、被災地で無料コンサート等の実施及び支援活動を実施
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- 若い時から継続的に行っていた保護猫活動
出典:X
日本テレビ放送の「嗚呼!!みんなの動物園」にも出演していた八代亜紀さん。本当に扱い方がプロで猫ちゃんにも愛されていました。
レコーディング秘話
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デビュー当時から「レコーディングでは、歌っている時の自分の顔を誰にも見せない」ということを決めていたという八代亜紀さん。理由は
とのこと。またレコーディングは何度も録らないそうで、最大3回までしか歌わないそうです。
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亜紀さんは50代以降も精力的に活動していて尊敬に値するよね!
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ボランティア、保護猫なども辛い・苦しい・悲しいという感情に付き添いながら元気にしていくという気概を感じるね
【画像】八代亜紀は若い頃からすっぴんも綺麗で生涯美人!
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彫の深い顔立ちから、厚化粧のイメージがついてまわった八代亜紀さん。実際のところは薄化粧だったそうです。
ビートたけしさんのギャグで「厚化粧で、笑うとヒビが入る」、嘉門達夫さんには「リバーサイドホテル」の替え歌で「誰も知らない素顔の八代亜紀」と歌われネタにされましたが、、、
と本人は話していたそうです。
またゆきぽよメイクに挑戦の際も、すっぴん状態でYouTube撮影に臨んでいました。
この時70歳です。本当にお綺麗でお若い様子が伺いしれます。ゆきぽよメイク完璧でした。
出典:X美しい!八代亜紀さんは、すっぴんもメイク後もほとんど変わらないお顔立ちだったというから本当の美人… https://t.co/WYJyu50Tbi
— キタコ (@kitaco127) January 25, 2024
Xの画像は、28歳の時のものですが、すっぴんとお化粧した時のギャップが少ないように思えます。薄化粧は本当だったと言えるでしょう。
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すっぴんでこれだけ違和感のない人は珍しいと思う!
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陰ではもの凄い努力をしていたと思うよ!本当にキレイで女性の憧れだよね♡
八代亜紀のプロフィール・SNSなど
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プロフィール
- 名前:八代亜紀(やしろあき)
- 本名: 橋本明代(はしもとあきよ)
- 生年月日:1950年8月29日
- 没年:2023年12月30日(73歳没)
- 出身地:熊本県八代郡金剛村(現:八代市)
- 活躍ジャンル:演歌、歌謡曲、ジャズ
- 職業:歌手・女優・画家
- 所属レコード会社:
レーベル テイチクレコード・センチュリーレコード・日本コロムビア・Virgin Music - 所属事務所:ミリオン企画
SNSなど
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八代亜紀さんはオウンドメディアすごい運営していたんだね!
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お亡くなりになってしまったけど、ずっと運営して欲しいなぁ。亜紀さんを身近に感じていたいからね!