女優・タレントとして活躍を続けている奈美悦子さん。
主演作品こそ少ないものの、時代劇・現代劇を問わず、名脇役として数々の映画やテレビドラマを支えてこられました。
10代の頃は歌手としても活動して5枚のシングルをリリースし、「愛しているから」という曲は日活映画「ザ・スパイダースの大騒動」の挿入歌にもなっています。現在も若々しさを保ち、「奇跡の70代」として話題を集めました。
今回は奈美悦子さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】奈美悦子は若い頃かわいい!
幼少期・10代(1950年~1970年)
引用元:CHANTO WEB
奈美悦子さんは、1950年に奈良県北葛城郡下田村(現・奈良県香芝市)で生まれました。子供の頃から体を動かすことが好きで、1962年(当時11歳)に西野バレエ団に入団しました。
西野バレエ団というのは、1953年の結成当初はその名の通りでバレエダンサーの育成を中心としていましたが、1960年代以降のテレビブームがきっかけで芸能プロダクションとしても活動するようになった団体です。奈美悦子さんは、1500人の中から選出されての入団でした。
数年間のレッスンを受け、1967年2月(当時16歳)のテレビドラマ「発車、オーライ!」で女優デビューを果たしています。同年8月、金井克子さん・原田糸子さん・由美かおるさんと共にダンスグループ「レ・ガールズ」を結成し、しばらくしてそこへ江美早苗さんが加入しました。
その後はグループと同名のバラエティ番組「レ・ガールズ」とテレビドラマ「フラワーアクション009ノ1」にレギュラー出演しました。上の画像は、16歳の頃の奈美悦子さんです。ワンレンの髪型で大人っぽい印象ですが、同時に可愛らしさもありますね!
引用元:YouTube
女優としてデビューされた1967年(当時16歳)に、歌手としてもデビューされています。「大阪ブルース」「愛しているから」「恋は気まぐれ」などの曲をリリースし、昭和歌謡ブームの中に身を置いていました。
歌手活動は1969年(当時19歳)までの短期間で幕を閉じましたが、芸能界での基盤を築くきっかけとなりました。上の動画は、1968年(当時17歳)にリリースされた「恋は気まぐれ」という曲です。
奈美悦子さんは現在に至るまでに3回結婚されています。1回目はこの年代で、当時19歳だった1970年の出来事でした。お相手はヴィレッジ・シンガーズのメンバーで、3歳年上の林ゆたかさんです。初恋の男性との結婚を叶えましたが、やがて夫婦関係は冷え込んで1972年(当時21歳)に離婚しました。
当時の価値観でもあまりにも早い結婚で、周囲から「おままごと婚」と言われたそうですが、のちに「皆さんのおっしゃる通りでおままごとだった」と当時を振り返っています。
シン「レ・ガールズ」ってどういうグループだったの?
ラン西野バレエ団の中でもエース格の5人で結成されたダンスグループだよ!
「アイドルグループの草分け的存在」「日本で最初の歌って踊る女性グループ」とも言われているんだって。
20代・30代(1970年~1990年)
引用元:メルカリ
奈美悦子さんは、1971年(当時20歳)に西野バレエ団を退団しました。1970年代は活動の軸を女優業に移しています。映画やテレビドラマで、時代劇から現代劇まで、善役から悪役まで幅広く活躍されていました。
テレビ時代劇「水戸黄門」にも2回出演し、1972年(当時21歳)の第3部・第6話「仇討姉弟 -藤枝-」で都築うめを、1978年(当時27歳)の第9部・第3話「狐が唄った相馬盆唄 -相馬-」ではおゆうを演じています。
現代劇では、1978年のドラマ「松本清張シリーズ・虚飾の花園」で、社長秘書の服部和子を演じました。他にも多数の脇役をこなし、当時「清純派」と呼ばれる女性芸能人達が人気を得ていた中で、奈美悦子さんは快活な明るさを武器に独自の存在感を放っていました。
上の画像は、雑誌「主婦と生活」の表紙を飾る奈美悦子さんです。1972年の8月号なので、当時21歳です。昭和のレトロさの中で際立つ、はつらつとした笑顔が素敵ですね!
引用元:西日本新聞
その後もドラマや時代劇に多く出演し、当時のテレビ界を支える1人となっていました。
テレビ朝日系列で1977年(当時26歳)からの40年間放送されていた、2時間ワイドドラマ番組「土曜ワイド劇場」では、放送開始当初から1994年(当時43歳)までの間に9本のドラマに出演しています。
のちに民放5局がこのような長時間ドラマ枠を持つようになりますが、当時は1時間を超えるドラマは珍しかったのだとか。開始時のキャッチフレーズは「映画館に行けない主婦のためのお茶の間映画館」で、サスペンス物としては易しい犯人当てが特徴でした。
上の画像は、1984年(当時33歳)の頃の奈美悦子さんです。年齢を重ね、明るさの中に落ち着きも見えてきた頃ですね。
引用元:CHANTO WEB
奈美悦子さんの2回目の結婚があったのはこの年代でした。1975年(当時24歳)に、実業家と再婚されています。入籍の2ヶ月後に男性の経営する会社が倒産するという困難を乗り越えて、翌年に長男の孝太さんを出産しますが、1980年(当時29歳)に離婚しています。
息子さんは元俳優の並川倖大さんで、2008年に32歳で芸能界を引退し、現在はアスレティックトレーナーをされています。芸能界引退の翌年には「加圧&パーソナルトレーニングスタジオTEAM8」を設立しました。
大きな人生の節目を経験しながらも舞台に立ち続けた奈美悦子さんの姿勢に、強さや誠実さを感じた視聴者も多くいたことでしょう。この頃はテレビドラマで母親役や教師役を演じることが増え、人間ドラマを支える名脇役として確固たる地位を築きました。
上の画像は、30代後半の頃の奈美悦子さんです。凛とした表情が素敵ですね!
シン現在奈美悦子さんの息子さんがスタジオで指導しているという「加圧トレーニング」って何?
ラン腕や脚の付け根に専用のベルトを巻いて、適切な圧力で血流を制限した状態で行うトレーニングのことだよ!
筋肉に強い負荷を与えられて、筋力アップやダイエットに効果的なんだって。
40代・50代(1990年~2010年)
引用元:奈美悦子オフィシャルブログ
40代・50代という年代は、奈美悦子さんにとって「転換期」でした。これまで女優や歌手として活躍されてきましたが、90年代(当時40代)からはバラエティー番組にも進出して、タレントとしても活動されるようになりました。
1992年(当時41歳)からのNHK連続テレビ小説「ひらり」では、ひらりの従兄弟で梅若部屋の力士である寒風山(加賀谷久男)の母・加賀谷みつ子を演じました。
この年代の一番大きな出来事は、2004年(当時53歳)に病気で芸能活動を休業したことではないかと思われます。病気の詳細につきましては後述します。病気療養を経てもお仕事を辞めることはなく、回復後は女優業に復帰しました。さらに、書籍の執筆などのお仕事も増加しています。
3回目の結婚があったのもこの年代で、2007年9月(当時56歳)のことでした。再々婚についても後述します。
上の画像は、2010年の10月(当時59歳)に奈美悦子さんのオフィシャルブログに投稿された、国生さゆりさんとのツーショットです。
シン国生さゆりさんとはどういうきっかけで写真を撮ったのかな?
ラン「離婚歴のあるタレント5人が、未婚のタレントに離婚しないコツを教える」という内容の番組で共演したことがきっかけだったみたいだよ!
60代以上(2010年~)
引用元:Our Age
上の画像は、更年期についてのインタビューに答えた時の奈美悦子さんの写真です。2016年のことなので、当時65歳です。柔らかな笑顔が印象的で、健康を取り戻した女性の自信と穏やかさが感じられますね。
更年期というのは、一般的には日本人女性の平均閉経年齢を挟んだ45歳~55歳頃の期間に様々な不調が起こることを指します。奈美悦子さんは更年期を乗り越えた女性として、その頃に起きた心身の異変や、その対策として取り組んだことについてを語りました。
当時の奈美悦子さんは息子さんが「行ってきます」と言って玄関のドアを閉めただけで涙が溢れたり、眠りの質が落ちたりして、バランスを崩している自分に気付いたそうです。
婦人科で血液検査をして更年期に入っていることを伝えられて「不調はこのせいだった」と知ったことや、先輩の女優さんから「周りに言っちゃいなさい」とアドバイスされてその通りにしたことで気持ちが楽になったのだとか。
「更年期は誰でも通る道で、いつかは終わる道。私もそう教わって、乗り越えたんですよ」と、女性達に寄り添う優しい姿勢を見せていました。
引用元:毎日キレイ
奈美悦子さんは60代に入ってからも女優業を続けて、2011年(当時60歳)のテレビドラマ「全開ガール」や、2013年(当時62歳)の木曜ドラマ「おトメさん」に出演されています。
「全開ガール」は、男女の境がなくなりつつある今日、男女を逆転させたような最強の女性と最弱な男性が繰り広げる痛快子育てラブコメディーです。
現代において男と女が愛することとは何かという軸を基点としつつ、昨今の子育て事情を踏まえながら、親子愛・家族愛も同時に描かれています。キャッチコピーは「金なし、学なし、イクメンの星?そんな男、問題外でしょ!」です。
奈美悦子さんは、鮫島桜川法律事務所の弁護士である新堂響一の母親で、著名な音楽家の役を演じました。
引用元:西日本新聞
上の画像は、最近の奈美悦子さんの写真です。「運転免許更新の際に高齢者講習の受講が必要になった」「次の書き換えの時は認知症のテストもある」と綴りながら、頬を膨らませていました。
こちらはご自身のInstagramに2024年に投稿されたものなので、当時73歳です。高齢者講習の教室にいたら確実に浮きそうなくらい若々しくて、とても70代には見えませんよね!
奈美悦子さんにとっての2024年は大変な年でもありました。5月に愛犬のお散歩をしていたところリードを急に引っ張られたことで転倒して右手を骨折してしまい、手首から骨が出るという酷い状態だったため救急車で搬送されて、緊急手術をすることになったそうです。
利き手ということもあり何も出来なくなってしまって、退院後は旦那さんのお世話になったのだとか。その時のことは「老老介護の予行演習になった」と振り返っています。
シン利き手を骨折したんじゃ、毎日の生活も大変だっただろうね……。助けてくれる旦那さんがいてくれて良かった。
ランお医者さんは「反射的に手をついていなかったら頭を強く打って、生きていたかどうか分からない」って言っていたんだって。怪我が手だけで済んだのは不幸中の幸いとも言えるかもしれないね。
奈美悦子さんが所属する”オフィスPSC”には他に誰が所属してる?
引用元:WEB ザ テレビジョン、テレ朝POST、オフィスPSC
奈美悦子さんの所属するオフィスPSCには、俳優の小宮孝泰さん、女優の杉田かおるさんや高橋紗良さんなどが所属しています。
【画像】奈美悦子と現在の夫との馴れ初めは?難病を患っていた?
奈美悦子と現在の夫との馴れ初めは?
引用元:テレ朝POST
引用元:テレ朝POST
奈美悦子さんの現在の旦那さんは、1歳年上の緒方博さんという方です。2007年9月16日(当時56歳)、20年の交際を経て再々婚されました。緒方博さんが奈美悦子さんの籍に入ったので、現在はお2人とも奈美悦子さんの本名の「並川」という名字になっています。
馴れ初めについては公には語られていませんが、緒方博さんが映画やテレビドラマなどの撮影監督をされていたので、お仕事を通して知り合って信頼を重ねていったのではないでしょうか。
緒方博さんは監督のお仕事をリタイアされていて、奈美悦子さんも現在はお仕事を詰めすぎないようにしているため、若い頃より多くなった自由時間を一緒に楽しんでいるのだとか。「そうしていると周囲から『仲良しね』と言われるけど、もちろん腹が立つことはある」とお話されました。
「実は、前の結婚の時には夫婦喧嘩ばかりしていたんです。
でも、ある時、怒りまくっている自分の顔を鏡越しに見てギョッとしました。まるで鬼じゃないかって。それじゃあ愛されないわよね。
そんなわけで今は喧嘩しないと決めています。私は、一度火がついたら、相手にとどめを刺すまで戦い抜いてしまうタイプ。
そんな勝ち気な性格を熟知しているから、「負けるが勝ち」と自分に言い聞かせているのです。」
引用元:婦人公論.jp
シン結婚も離婚も複数回経験した後に幸せを掴んだ奈美悦子さんから、結婚生活がうまくいくコツを聞いてみたい!
ラン「最初から家庭内別居を選択して、テレビの鑑賞や食事は一緒にするけど他の時間はお互いにお一人様を楽しんでいる」「四六時中一緒だったら衝突が絶えなかったかもしれない」と語っているよ!
奈美悦子は難病を患っていた?
引用元:婦人公論.jp
引用元:Amazon
奈美悦子さんは、掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)性骨関節炎のため、2004年(当時53歳)から芸能活動を休業されました。掌蹠膿疱症というのは手のひらや足の裏に水ぶくれや膿が繰り返し出来る病気で、水ぶくれの中に菌は入っていないので、触れても人に感染することはありません。
掌蹠膿疱症性骨関節炎というのは、骨同士や骨と腱がくっつき合う所、または骨そのものに炎症が起きて激しい痛みを伴う、掌蹠膿疱症の合併症です。胸骨と鎖骨、胸骨と一番上の肋骨、上下の胸骨の結合部に起こることが多く、首の付け根から胸に突然の激痛が走ります。
かなりの苦しみではないかと予想されますが、現在は難病として扱われてはいないようです。
奈美悦子さんは北海道から九州までの56軒の病院を渡り歩きましたが、回復へと漕ぎ着けられたきっかけは自己流の食事療法でした。病気をきっかけに食生活を見直し、雑穀に興味を持つようになりました。
そして雑穀を広めたい一心で、2007年2月(当時56歳)、当時日本に36人しかいなかった雑穀アドバイザーの資格を取得しています。同年9月には、著書「雑穀美」を発表しました。
病気は2007年からは寛解状態にあるようです。
シン日本中の病院を回っても治らなかった病気を寛解状態に持って行った食生活って、一体どういうものなのかな?
ラン「白い食べ物や精製されているものは一切やめた」「添加物が入っているものは買わない」「出汁も自分で取り調味料は使わない」「畑を借りて完全無農薬の野菜を自作」など、すごい徹底ぶりみたいだよ。
奈美悦子さんがデビューした1967年はこんな年だった!
引用元:JIJI.COM、JICE、千里ニュータウン情報館
奈美悦子さんがデビューした1967年は、「吉田茂元首相死去」、「日本の人口が1億人を突破」、「日本初の自動改札機設置」などの出来事があり、話題となりました。
また、この年の流行語(大賞)は、夫婦だけ、または夫婦と子供だけの家族を指す「核家族」でした。
奈美悦子のプロフィール・SNS
引用元:WEB ザ テレビジョン
プロフィール
- 名前:奈美 悦子(なみ えつこ)
- 本名:並川 悦子(なみかわ えつこ)
- 生年月日:1950年12月27日
- 年齢:74歳(2025年11月現在)
- 出身地:奈良県香芝市
- 血液型:O型
- 身長:168cm
- 趣味:陶芸・アウトドア・マスキングテープアート
- 特技:バレエ・タップダンス
- 所属事務所:オフィスPSC
SNS
シン趣味の「マスキングテープアート」では、どんなものを題材にしているのかな?
ラン題材はいつもワンちゃんや猫ちゃんで、保護犬・保護猫のボランティアで販売して、それを医療費にあててもらっているんだって!



















