俳優・演出家・タレントとして活躍を続けている柄本明さん。
若い頃は「自由劇場」や、ご自分で立ち上げた「劇団東京乾電池」などの舞台への出演が多く、映画やテレビドラマなどの映像作品の俳優としては遅咲きでした。1998年(当時49歳)の映画「カンゾー先生」では主演を務め、第23回報知映画賞主演男優賞や第22回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞しました。
奥さんの角替和枝さんは女優で息子さん達は俳優と、ご家族も役者揃いです。
今回は柄本明さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】柄本明は若い頃会社員?
幼少期・10代(1948年~1968年)
引用元:X柄本明さんの若い頃。。
— 🦆🐶shiho💕🐰 🧮🏺💐📻🐙🧵🎻 (@shihorin0321) December 3, 2020
息子さんたち、ほんと似てるね😚#あさイチ pic.twitter.com/rXFIYA9g9G
柄本明さんは、1948年の東京都中央区銀座(旧・木挽町)で生まれました。幼少期は東京大空襲で何軒か焼け残った家の2階に間借りしていたそうです。
この年代の方は戦後で国全体が貧しかった頃や、たくさんのアメリカ映画が入ってきた頃をご存知で、柄本明さんも「映画でアメリカ人の豊かな暮らしぶりを見て自分達の貧しさを忘れていた」と語っています。
その後は杉並区に引っ越し、東京都立王子工業高等学校機械科を卒業後は商社に就職しました。社会人2年目くらいの時、早稲田小劇場でお芝居を見たのが転機となったのだとか。俳優に憧れるようになり、金子信雄さんが主宰する劇団「マールイ」の演劇教室の生徒となりました。上の画像は、10代後半と思われる若い頃の柄本明さんです。
シン柄本明さんは子供の頃から映画が好きだったのかな?
ランそうみたいだね。日曜日になるとお小遣いをもらって1日中映画館で過ごして、3本立てを繰り返し見てたんだって!
20代・30代(1968年~1988年)
引用元:Xひっさしぶりに『セーラー服と機関銃』を鑑賞。柄本明さんか、息子さんかもうわからんくらいに似てる…。 pic.twitter.com/GJpCsvfaDU
— ゆかわたかし (@yukaniy) March 22, 2019
20代の頃の柄本明さんは、NHKの大道具のアルバイトをしていました。当時の同僚に大杉漣さん、小林薫さん、秋田明大さんなどがいます。
1974年(当時26歳)に自由劇場へ参加しました。笹野高史さんや吉田日出子さんなどが在籍するなかで俳優として起用されるようになったものの、串田和美さんの作風が肌に合わず1976年(当時27歳)に退団しています。
同年、自由劇場時代に知り合ったベンガルさん・綾田俊樹さんと共に劇団東京乾電池を結成しました。その後、やはり自由劇場時代に知り合った高田純次さん・岩松了さん達が入団しています。同年4月から1978年3月頃(当時29歳)まで、ベンガルさん・綾田俊樹さんと、フジテレビ制作の子供番組「ひらけ!ポンキッキ」の2代目お兄さんを務めたこともありました。
上の画像は、1981年(当時33歳)の映画「セーラー服と機関銃」で黒木刑事を演じていた時の柄本明さんです。20代とは思えないほど、スーツが似合っていますね!
引用元:X1983年6月21日と29日放送「決定版!蒲田行進曲」発表記者会見。
— 沖雅也研究会 (@masayaforever1) July 4, 2025
翌年2月には日生劇場で舞台化も決まっていました。
ヤスには映画版と同じく「銀ちゃん、カッコいい〜!」と言いながら階段を落ちてもらいたかったなぁ。#蒲田行進曲 #沖雅也 #大原麗子 #柄本明 #つかこうへい #有馬稲子 #美保純 pic.twitter.com/LLjt0BD1hM
柄本明さんは現在は映画やテレビドラマなどに数多く出演されていますが、20代の頃はそういったお仕事は無く、主に舞台で活動されていました。
座長を務める劇団東京乾電池では実験的な舞台を展開し、役者・演出・劇団運営と複数の顔を持ちながら、演劇そのものと向き合い続けました。この時期に舞台俳優としての基盤が築かれたことが、後の活躍に繋がったと考えられます。
1980年代からは映画などの映像作品への出演が増えていきました。ですが、すぐにスターになったわけではなく、しばらくは舞台中心の生活を続けながら映像作品での足場を少しずつ固めていったようです。
上の画像は、1983年(当時35歳)のテレビドラマ「蒲田行進曲」に出演されていた頃のものです。柄本明さんは、主人公の倉岡銀四郎を慕う大部屋役者のヤスを演じました。
引用元:X『花嫁人形は眠らない』では微笑ましいカップルを演じている田中裕子さんと柄本明さん。その7年後の1993年には、お力と源七として『にごりえ』(テレ東)で再共演。(この作品も久世さんの演出ですね。)これまだ観たことないんです。BS12さん、いかがでしょう…。そっとつぶやく…。 pic.twitter.com/KKTkLfLZ7f
— ehftbmon (@ehftbmon) September 9, 2019
上の画像は、1986年(当時38歳)のテレビドラマ「花嫁人形は眠らない」に出演されていた頃の柄本明さんです。
こちらのドラマは東京都文京区本郷が舞台で、主人公は母を亡くして父と妹の3人で暮らす宮本明日子という独身女性です。恋人の小中市太郎は明日子との一刻も早い結婚を望んでいましたが、明日子は「父の再婚話や妹の重度の寝ぼけ癖を放ったまま結婚することは出来ない」という思いで明確な返事をせずにいました。
返事を待ちきれなくなった市太郎は結婚の許しを乞うために突然宮本家を訪れますが、間が悪く、その日は丁度宮本家にとって修羅場の日だった……というストーリーです。
柄本明さんは、主人公の恋人・小中市太郎を演じました。煮え切らない明日子と焦る市太郎の2人は、この後にも一悶着あるようです。
シン舞台を中心に活動していた頃の経験は、40代以降の俳優業にも活きてくるのかな?
ラン劇団の運営や舞台作りを経験したことで、俳優業に対して「役を演じる」だけでなく「場を作る・役を作る」という視点が備わったと言われているよ!
40代(1988年~1998年)
引用元:サライ.jp
40代に入った柄本明さんは、テレビドラマ「鬼平犯科帳」や、映画「男はつらいよ 寅次郎心の旅路」などの作品に出演されていました。どちらも1989年の作品で、当時41歳です。
上の画像は「男はつらいよ 寅次郎心の旅路」で共演された渥美清さんとの1枚です。こちらの映画は「男はつらいよ」シリーズの41作目で、オーストリアが舞台です。音楽の都・ウィーンのツィルク市長から招致され、海外ロケをすることになったのだとか。
心身衰弱のサラリーマン・坂口兵馬が自殺しようとローカル線の線路に横たわっていましたが急ブレーキをかけられたことによって助かりました。
坂口はその急ブレーキによって座席から投げ出された寅次郎と出会い、優しく諭されたことで寅次郎を慕うようになって、かねてから興味を持っていたウィーンに2人で行くことになるというストーリーです。柄本明さんは坂口兵馬を演じました。
主演の渥美清さんは「寅さん」の演技で社交性を印象付けていましたが公私混同を非常に嫌い、プライベートでは他者との関わりをあまり持たなかったため、柄本明さんは彼と親交が深かった数少ない芸能人のうちの1人なのだそうです。
引用元:X今BSPで「シコふんじゃった」やってるけど、柄本明さんご長男にそっくりね。
— ヒノッチ (@hinocchi) April 13, 2020
当時明44歳、現在佑33歳なんだ。 #シコふんじゃった pic.twitter.com/w94wPBmBrN
1992年(当時44歳)には、映画「シコふんじゃった。」に出演されました。第35回ブルーリボン賞作品賞・第16回日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞作品です。
こちらの映画の主人公・教立大学4年生の山本秋平は根っからの遊び人で、ろくに講義に出ず友人に代返を頼んでばかりいるので卒論の指導教員である穴山教授の顔も知らないままでしたが、親戚のコネで1流企業への就職を決めていました。
ある日その穴山教授から「1日だけ相撲部員になって試合に出ろ」と頼まれ、しかも「断ったら卒業に必要な単位をもらえない」という話だったため渋々助っ人の話を受ける……というストーリーのコメディ映画です。
柄本明さんは相撲部の顧問であり、元学生横綱でもある穴山教授を演じました。
引用元:映画ナタリー
40代の柄本明さんを語る上で欠かせない話題は、1998年(当時49歳)の映画「カンゾー先生」への出演ではないでしょうか。
こちらの映画は敗戦間近の岡山県が舞台です。どんな患者も「肝臓炎」としか診断しないことから「カンゾー先生」と揶揄される医師・赤城風雨と、彼を取り巻く人々の人生を描いた喜劇映画となっております。柄本明さんは主役の赤城風雨を演じました。
坂口安吾さんの原作を、今村昌平さんとその息子である天願大介さんが脚色した作品で、なんと今村昌平さんが30年もの間温めていた企画なのだとか。
第23回報知映画賞主演男優賞や第22回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞するなど俳優としての到達点を迎え、舞台出身から映像作品へという転換期を乗り越えて、柄本明さんが「映画の顔」として広く認知されるきっかけとなった作品です。
シン映像作品のお仕事で忙しそうなこの時期って、劇団での活動はどうなっていたのかな?
ラン映像作品の俳優としての顔も持ちつつ、ご自分の劇団「東京乾電池」でも何度も舞台に立っていたみたいだよ。
「映像俳優の柄本明さん」と「劇団俳優の柄本明さん」を行き来していた感じだね。
50代以上(1998年~)
引用元:NHKアーカイブス
2006年(当時58歳)には、NHK大河ドラマ「功名が辻」に出演されました。こちらの作品は司馬遼太郎さんが1960年代初頭に執筆した同名小説を原作としたドラマで、千代(見性院)とその夫・山内一豊を主人公とし、仲間由紀恵さんと上川隆也さんがダブル主演を果たしています。
柄本明さんは、一豊の上司で後に日本を統一する豊臣秀吉を演じました。上の画像は、その時のものです。
柄本明さんはご自分の出演作品を見返すということはあまりされないようですが、「功名が辻」だけは少し見て、感想は「(自分が)すごいメークをしている」だったのだとか。続いて、このように語られました。
「秀吉といえばサル!それをメークで表現できたら面白いと思って始めたのですが、だんだんエスカレートしていきました(笑)。
だけど、そんなふうに作り手である俳優が楽しめるというのもいいですよね。
もちろん見ているお客さんに嫌がられるようなことがあってはいけませんが、時代劇というのはある意味、作り物の世界ですから、そんな遊びも楽しいのではないかと思いながらやっていました。」
引用元:NHKアーカイブス
引用元:WEB ザ テレビジョン
その後は2010年1月(当時61歳)公開の映画「ゴールデンスランバー」に出演されました。こちらは伊坂幸太郎さんによる同名の小説を原作とした作品です。首相暗殺の濡れ衣を着せられた男性の、2日間にわたる逃亡劇を描かれています。
柄本明さんは保土ヶ谷康志を演じました。仙台病院センターに入院中の還暦を過ぎた患者ですが、ひょんなことから逃亡中の青柳雅春と出会い、彼の逃亡を手助けすることになるという役柄です。
2011年6月(当時62歳)には、舞台・映画・テレビドラマなど多岐にわたる分野での活躍を評価されて紫綬褒章を受章しました。柄本明さんの紫綬褒章を祝う会も開かれたようで、「大勢の制作仲間・俳優仲間が集まる中で柄本明さんは奥さんと壇上で微笑んでいた」と、田中健さんのオフィシャルブログで綴られています。
引用元:フジテレビ
柄本明さんは、2019年7月(当時70歳)から始まったテレビドラマ「監察医 朝顔」にも出演されています。こちらの作品は、香川まさひとさん(原作)と木村直巳さん(作画)による同名の漫画が原作です。
舞台は神奈川県で、興雲大学の法医学教室に勤める法医学者・万木朝顔は東日本大震災で母親が行方不明となった過去があります。朝顔は誰かの生きた証を見つけ出そうと仕事に打ち込み、刑事である父も捜査で遺体の謎を解き明かしていくというストーリーです。
柄本明さんは、朝顔の母方の祖父・嶋田浩之を演じました。寡黙な性格でありつつも朝顔のことは心から可愛がっている優しいおじいさんの役です。震災で行方不明になった娘については死を覚悟して仏壇などを用意してあるため、未だに捜索を続ける娘の夫を疎ましく思っていましたが、やがて捜索を手伝うようになっていきます。
第1シリーズの平均視聴率は2019年夏クール放送の連続ドラマでトップを獲得し、月9ドラマとしても2年ぶりに全話2桁を達成しました。
シンそんなに視聴率が高かったなら、視聴者からの温かいお便りもたくさん来たのかな?
ラン放送終了後には、続編を望む声を含め、視聴者から1000件近くもの称賛の声が寄せられたみたいだよ。夏と秋の2クール放送は月9史上初なんだって!
【画像】柄本明と嫁の馴れ初めは?息子は3人いる?
柄本明と嫁の馴れ初めは?
引用元:文春オンライン
引用元:文春オンライン
柄本明さんといえば、奥さんの角替和枝さんとのおしどり夫婦ぶりでも有名でした。お2人の出会いは、当時結成して間もなかった劇団東京乾電池から角替和枝さんへの客演を依頼した時だったそうです。客演というのは、自分の所属とは別の劇団に臨時で出演することです。
稽古場や舞台裏で言葉を交わすうちに距離が縮まり、やがて角替和枝さんのアパートに柄本明さんが引っ越して「押しかけ女房」ならぬ「押しかけ夫」のような状態で同棲が始まり、1981年(当時33歳)に結婚しました。お互いの芝居観を尊重して支え合い、深い信頼関係で結ばれていた、同志のような関係のご夫婦として知られていました。
ですが、奥さんの角替和枝さんは原発不明がんにより、2018年に64歳の若さでこの世を去ってしまいます。恋人時代も結婚後も、お2人でよく喫茶店に行って何時間でも話していたそうですが、お別れの会で喪主として挨拶に立った柄本明さんは「今はその喫茶店に行けない。思い出してしまうから」と語って心の傷の深さを滲ませました。
柄本明さんの深みのある演技の奥には、角替和枝さんへの敬意や愛情が変わらず息づいているようです。
シン角替和枝さんの命を奪ったという「原発不明がん」って何?
ランがんが転移していることが確認されていて、でも最初にがんが発生した場所が特定できない悪性腫瘍のことなんだって。
家族で一緒に人間ドックを受けた時に角替和枝さんだけ目立って数値が高い項目があって、詳しく検査したら既に全身にがんがあったみたいだよ。
柄本明の息子は3人いる?
引用元:クランクイン!
引用元:NHKアーカイブス
柄本明さんについて「息子さんが3人いる」という噂がありますが、実際の家族構成は娘さん1人と息子さん2人となっています。
柄本明さんにそっくりなことや俳優として活躍されていることなどで有名なのは、長男の柄本佑(たすく)さんと次男の柄本時生(ときお)さんですが、柄本佑さんの上に1人お姉さんがいらっしゃいます。娘さんは映画関係のお仕事をされていますが、一般の方なので公にはほとんど情報が出ておらず、それが「息子さんが3人」という噂の元になったようです。
柄本佑さんは2018年(当時32歳)の主演映画「きみの鳥はうたえる」での演技が評価されて、第92回キネマ旬報ベスト・テンと第73回毎日映画コンクールで主演男優賞に輝きました。柄本時生さんも、2016年(当時27歳)の「初恋芸人」で連続テレビドラマ初主演を果たすなど活躍されています。
さらに、佑さん・時生さんのお2人で「ET×2」という演劇ユニットを結成して、小劇場で公演を重ねているのだとか。それぞれが自分の道を歩みながら、舞台や映画を通じてご両親の「お芝居の血」を引き継いでいるんですね。
シン柄本時生さんの名前の由来が気になる……。
ラン角替和枝さんが沢田研二さんのファンで、「男の子が生まれたら彼の29枚目のシングルから取って『トキオ』と名付けたい」と考えていたけど、生まれた長男の顔を見て「こいつの顔はトキオじゃない」と思ったから次男に付ける流れになったんだって!
柄本明のプロフィール・著書
引用元:映画.com
プロフィール
- 名前:柄本 明(えもと あきら)
- 生年月日:1948年11月3日
- 年齢:77歳(2025年11月現在)
- 出身地:東京都中央区
- 血液型:B型
- 身長:175cm
- 趣味:映画鑑賞
- 所属事務所:ノックアウト
著書
- 1981年:必ず試験に出る柄本明
- 2003年:柄本明「絶望」の授業
- 2008年:東京の俳優
シン「趣味は映画鑑賞」とのことだけど、ご自分が出ている作品はあんまり見ないんだよね?
ランそうみたいだね。見るとしても、ふらっと入った映画館で「あ。これ、オレ出てるな」と思って見る感じが理想なんだって。















