山本陽子さんは、2024年2月に急性心不全でお亡くなりになりましたが、生前のその魅力や存在感は色あせることなく、多くの人を惹きつけ続けています。女優として長年活躍し、今も変わらぬ輝きを放ち続ける姿は、まさに唯一無二といえるでしょう。
近年の映画やドラマはもちろん、若い頃から変わらない表情や人柄は、世代を超えて共感を呼び起こします。かつての名作やインタビューを振り返ることで、その人となりや歩みをより深く感じられるはずです。
本記事では、田宮二郎さんや沖田浩之さんとの背景や若い頃のエピソード、当時の映像・写真から見える素顔をご紹介します。
そして、もし「もっと深く知りたい」「当時の空気をもう一度感じたい」と思った方には、山本陽子さんに関連する自伝やエッセイ、作品朗読を楽しめる Audible や、原作本・写真集などを読める Kindle Unlimited もおすすめです。どちらも30日間無料で試せるので、気軽に手に取ってみるのも良いかもしれません。
この記事を読んでわかること
- 山本陽子さんのに若いころの恋愛事情に関する最新情報
- 山本陽子さんのデビュー当時、こだわりの趣味やファッション
- 話題作の出演や受賞作品
- 長期にわたって放送されたCM
- 死去されても語り継がれる人柄
【画像】山本陽子と田宮二郎/沖田浩之との関係性は?
田宮二郎との関係性

山本陽子さんと田宮俳優の田宮二郎さんは、1973年放送のTBSドラマ「白い影」での共演をきっかけに不倫関係になったとされています。当時、山本陽子さんは31歳で独身、田宮二郎さんは38歳で既婚者でした 。
山本陽子さんは田宮二郎さんが購入した南麻布の高級マンションに住んでいたと言われていますが、田宮二郎さんは「山本さんは住んでいない。彼女の家族が住んでいる」と否定したそうです。山本陽子さんと田宮二郎さんは周囲に交際を否定し続けていたようですが、だれも信じていなかったようです。
また、田宮二郎さんの妻が山本さんに怒鳴り込む一幕もあったとされています。その後、M資金詐欺にも巻き込まれた田宮二郎さんは精神を病み、1978年に43歳で猟銃自殺を遂げました。
田宮さんの死後、改めて二人の不倫関係が自殺の原因ではないかと取り沙汰されるようになり、自殺から半年後に山本さんは記者会見を余儀なくされました。この時山本陽子さんは「私の人生にとって……田宮さんはとても尊敬していた方ですので……とても残念に思います」と涙ながらに語っていたそうです。

ドラマみたいな壮絶な内容だね。田宮二郎さんに子どもはいなかったのかな?

田宮二郎さんの子どもは2人いたみたい。どちらも男の子で、長男の柴田幸太郎さんは俳優として活躍しているみたい。次男の田宮五郎さんは俳優として活躍していたものの2014年に、くも膜下出血でお亡くなりになっているみたい…。
沖田浩之との関係性

山本陽子さんと沖田浩之さんは、1980年代に21歳差の熱愛関係となり、芸能界を騒がせ話題になりました。1983年、当時20歳の沖田浩之さんと40歳の山本陽子さんの交際が報じられ、女性が20歳年上という極めて珍しいカップルとして注目されました。
交際は約2年続きましたが、母子ほど年の離れた関係に反対の声が多く、最終的に山本さんが身を引く形で破局となりました。その後沖田浩之さんは一般女性と結婚しましたが、1999年に36歳という若さで沖田浩之さんは自宅で首つり自殺しました。
遺書は残されていなかったようですが、兄の借金の連帯保証人、俳優としての伸び悩みなどの要因が重なって追い詰められていたのかもしれません。山本陽子さんは「青春の1ページとして記憶に残しておきたい」と涙ながらに語り、かつての恋人の死を悼みました。きっと沖田浩之さんとの思い出は特別なものだったのでしょう。

山本陽子さんと沖田浩之さんのきかっけって何だったんだろう?

それは、ドラマ「愛を裁けますか?」での共演だったみたいよ。交際が始まると沖田浩之さんは「山本さんは僕にとって大切な人」と報道陣の前でコメントしていたそうよ!
山本陽子さんの若い頃の注目作品は?
本作は田宮二郎さん、山本陽子さん、松坂慶子さんの共演が話題となり、高視聴率を獲得した1974年の人気ドラマです。「白い滑走路」で山本陽子さんは、主人公の国際線パイロット杉山重夫の亡き親友の未亡人・上条里子を演じました。
里子は慎ましく杉山を見守る存在として描かれ、山での遭難で夫を亡くした後、一人身となった女性でした。最終回ではサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジで再会するシーンが描かれ、感動的な場面として記憶されています。
【画像】山本陽子は若い頃美しい!
20代(1962年~1972年)
山本陽子さんは1942年生まれで、高校卒業後に野村證券で働いていましたが、1963年に知人が日活に書類を送り、21歳で第7期日活ニューフェイスとして芸能界デビューを果たしました。
山本陽子さんは1942年生まれで、高校卒業後に野村證券で働いていましたが、1963年に知人が日活に書類を送り、21歳で第7期日活ニューフェイスとして芸能界デビューを果たしました。

当初は映画で吉永小百合さん、和泉雅子さん、松原智恵子さんら「日活三人娘」の人気に押され作品に恵まれませんでしたが、テレビドラマに進出してから活躍の場を広げていきました。 1964年(当時22歳)には「風と樹と空と」、1965年(当時23歳)には「明日は咲こう花咲こう」、1968年(当時26歳)には「青春の風」など映画に出演しました。

清楚系から悪女まで幅広い役柄をこなし、女優としての地位を確立していきました。プライベートでも華やかで、20代後半には憧れの赤いポルシェ911を所有し、ポルシェに乗る初の日本人女性となりました。大の車好きとして知られ、外車を愛する先駆的な女性でもありました。
和服姿で知られる山本陽子さんですが、20代の頃からデニムを愛用し、モダンでスタイリッシュな女性として注目を集めていました。とてもカッコイイですよね!
山本陽子さんは後のインタビューで
振り返ると20代、30代も楽しかったですね。野村證券のOLから女優に転身して、数々のドラマや映画に出演しました。車が大好きで、憧れの赤のポルシェ911を買ったのも20代後半。日本女性でポルシェに乗る第一号でした。その後もいろいろ乗り換えましたが、30代の頃に初めて買ったジャガーをすごく気に入って、壊れては乗り換えを繰り返し、3台ほど乗り継ぎました。最後に購入したジャガーを30年以上経つ今でも持っていて、最近2年ほどかけてレストアしました。
引用元:美st
と語っていました。好きなことにトコトンハマり込む姿は、芯が通っていてカッコイイですよね!

山本陽子さんは、1976年(当時34歳)の時に、ドラマ「となりの芝生」で一躍知名度を上げました「辛口ホームドラマ」という言葉が生まれる程話題になったドラマで、姑の葛藤の中で自立していく主人公を演じ、高視聴率を記録しました。また「嫁派」「姑派」と視聴者が二分し、論争を巻き起こすという社会現象にもなりました。
この時山本陽子さんは「となりの芝生」で姑役を演じていた沢村貞子さんについて以下のように語っています。
嫁しゅうとめ問題ですからねぇ。とても厳しい方でしたけど、素晴らしい女優さんでした。なにが素晴らしいかって、スタジオの中に台本を絶対にお持ちにならないんです。セリフがすごく長いんですよ、橋田(壽賀子)先生の脚本で。ずっとしゃべってらっしゃるんですけど、完璧に覚えていらっしゃいます。だから私たちも絶対スタジオに台本を持って入らない。前田吟さんと夫婦役で、メイクしながら一生懸命セリフのお稽古して!
引用元:NHKアーカイブス
この言葉から、沢村貞子さんのことをとても尊敬していたことがわかります。

山本陽子さんは、1977年(当時35歳)の時に、映画「八つ墓村」に出演しました。この映画は「犬神家の一族」や「金田一耕助」シリーズなどの大ヒットミステリー・ホラー作品を手掛けた作家横溝正史さんの同名ミステリー小説を映画化した作品です。
1938年に実際に起きた、日本犯罪史上最大の大量殺人事件「津山30人殺し」をモデルにしたと言われています。キャッチフレーズである「祟りじゃ~!」が当時流行語に選ばれる程反響が大きく、1週間で全国主要14館での観客動員数は約30万人にのぼるなど、記録的大ヒットとなりました。
この時期の山本陽子さんは、清楚な役柄から複雑な女性像まで幅広い演技力を発揮し、映画とテレビドラマの両方で活躍しました。女優として充実したキャリアを築いていった時代でした。

山本陽子さんは、30代の時の注目を浴びた映画はなんだったのかな?
高度経済成長期を背景に、関西金融界の雄である万俵大介を中心とした大富豪の銀行家一族が、政財界にわたり富と権力を追い求める姿を描いています。 華麗なる閨閥を巡らす万俵一族と、銀行、そして背後で暗躍する政財界の黒い欲望が交錯する、壮大な人間ドラマです。
山崎豊子の代表作を映像化した本作は、日本の経済社会の闇と、家族の愛憎を描いた傑作として評価されています。

「華麗なる一族」は2007年にドラマでも放送されたわよね?主演は木村拓哉さんだったわ!
40代(1982年~1992年)
【ちょっと一興😉】
— しがない三四郎 (@shinya_bokudake) October 28, 2021
モノクロ(番宣用)▶カラー
ドラマ『松本清張の黒革の手帖』
〔テレビ朝日/1982年放送〕より#山本陽子
そういえば、この放送の前年には
類似の巨額横領事件があったキオクが…😅💦@retoro_mode pic.twitter.com/adO3CHKssj
山本陽子さんは、1982年(当時40歳)の時に、松本清張原作のテレビドラマ「黒革の手帖」で主演を務め、銀行員から銀座のクラブママへと変貌する原口元子役を演じました。田村正和さん、三國連太郎さん、萬田久子さんらと共演したこの作品は、松本清張の名作の初ドラマ化として注目を集めました。
山本陽子さんの妖艶な美しさと演技力が高く評価され、後に大谷直子さん、浅野ゆう子さん、米倉涼子さん、武井咲さんと有名な女優によってリメイクされる代表作となりました。
この時山本陽子さんは、「小沢栄太郎さんやハナ肇さんら、大物俳優を相手に悪女を演じるのは大変でしたが、やりがいがありました。」とお話しされており、演じることを楽しんでいたことが確認できます。

山本陽子さんは、1990年(当時48)の時に、NHK連続テレビ小説「京、ふたり」で京都の老舗漬け物店を舞台に、舅、嫁、娘3世代にわたる葛藤ドラマを母親役で熱演しました。
山本陽子さんは、40代について「よく働かせてもらいました。いい作品にもたくさん出合い、代表作のNHK連続テレビ小説『京、ふたり』も40代。徐々に舞台にシフトしていった時期でもあり、代表作『おはん』につながっていきました。同時に恋愛もゴルフもめいっぱい楽しんだ時代ですね」と振り返っています。
主舞台となった漬物屋は京都地方裁判所近くの空き地に作られたオープンセットで、高視聴率もあり当時は京都の観光名所となりました。山本陽子さんにとって「京、ふたり」は、女優として充実した40代を象徴する重要な作品であり、プライベートでも恋愛やゴルフを楽しんだ黄金期の代表作となりました。

山本陽子さんは、40代の時に注目を浴びたドラマはなんだったのかな?
松本清張の『黒革の手帖』は1980年に新潮社から刊行された長編小説で、社会派ミステリーの巨匠が描く欲望と裏切りが交錯するサスペンス作品です。
平凡な銀行員の女性が銀座の夜の世界へ飛び込み、恐喝と横領を武器に成り上がっていく姿を描いた本作は、銀座のクラブ経営の実態やホステスの給料など細部まで丁寧に描写されています。
清張らしい緻密な構成と人間の欲望を鋭く描いた傑作で、何度もドラマ化され多くの名女優が主人公を演じてきました。初代ドラマ女優を務めたのは山本陽子さんです。

元々の小説を何度もキャストを変えてドラマ化していたのね!
出演者が変わるとまた違ったドラマになって面白いわよね!
50代以上(1992年~)

山本陽子さんは1994年(当時52歳)、舞台「おはん」で主演を務め、その優れた演技により第19回菊田一夫演劇賞を受賞しました。この作品は上演回数400回以上という記録を達成し、山本陽子さんの舞台女優としての代表作となりました。
1971年に森光子主演の「放浪記」で初舞台を踏んで以来、舞台女優として精力的に活動してきた山本陽子さんにとって 、「おはん」での成功は舞台キャリアの大きな転換点となりました。
テレビドラマや映画で清純な女性から悪女まで幅広い役柄を演じてきた山本陽子さんですが、舞台でも高い演技力が評価され、主演舞台「おはん」での受賞は、その演技の幅と深さを証明するものとなりました。上の画像は舞台「おはん」を演じていた時のものです。舞台でも堂々と凛々しく演じられていました。

上の画像は山本陽子さん2022年(当時79歳)の時の画像です。和服のイメージが強いですが、レザージャケットにデニムロングブーツがとてもお似合いで若々しくおしゃれですよね!山本陽子さんは日課として長年ウォーキングをしていたそうです。多い時で1万歩、少ない時で7千歩と無理せずできる範囲で身体を動かしていたようです。
日頃から習慣がてきていると疲れにくい身体になることを知っていたようです。また30年以上飲んでいるものがあり、それが高麗人参です。初めて飲んだ時に元気が出て、シャキッとなるのを感じてからは欠かせない物になったそうです。
山本陽子さんは「ここのところ風邪も引きませんし、引いても数日で治るし、寝込むことはありません。調子が悪くなったことはあっても、入院や手術は一度もなく、更年期もまったくなかったです。」と効果を絶賛していました。
そして、「80代はどんな人生が待っているかわからないけれど、もし人に頼る人生だったら、その人生をまた自分が歩いていけばいいのです。だから、80歳になるのが楽しみでしょうがないです。」と当時79歳だった山本陽子さんは、希望に満ちた80代を楽しみにしているようでした。
山本陽子さんは、1967年(当時25歳)から山本海苔店のイメージモデルを務め、その契約期間は57年間という驚異的な長さとなりました。
きっかけは1965年(当時23歳)放送のドラマ「七人の孫」で、彼女が演じた着物姿の楚々とした女性を見た山本海苔店の社長が「同じ名字なので」と声をかけたことだったようです。この専属タレント契約は42年という世界最長記録として2010年にギネス・ワールド・レコーズに認定され、その後も契約は更新され続けました。
しかし2024年2月20日、山本陽子さんは急性心不全で死去されました。このを訃報を受けて山本海苔が自社のホームページで次のように発表しました。
山本陽子さんご逝去の報に接し、突然のことで大変驚いております。
引用元:山本海苔店
陽子さんには、1967年のイメージモデル起用以降57年にわたり、コマーシャルフィルムやポスターなどでご活躍いただきました。
いくつになっても変わらない凛とした美しい佇まいで「山本海苔店といえば山本陽子」「山本陽子といえば山本海苔店」というイメージを作り上げてくださいました。
大スターであるにも関わらず、大変親しみやすい優しいお人柄でもありました。
ご生前のお力添えに深く感謝申し上げるとともに、謹んでお悔やみを申し上げます。
と綴り、その後山本海苔店本店では追悼展を開催し、社長は「陽子さんの訃報を聞いて本店に来てしまったというお客様もいた」と語り、多くの方が陽子さんをしのんで来店していることから展示期間を延長したとしています。

山本陽子さんは、60代の時の注目を浴びた舞台はなんだったのかな?
林芙美子の自伝的小説『放浪記』は、昭和初期の貧困と闘いながら作家を目指した一人の女性の生き様を描いた不朽の名作です。この度、山本陽子さんがこの挑戦的な役柄に挑みます。
林芙美子の自伝的小説『放浪記』の世界観と魅力を、観客の期待を高めるような構成でまとめています。作品の時代背景、有名な一節の紹介、普遍的なテーマ、そして舞台ならではの魅力を盛り込んでいます。

山本陽子さんの初舞台は1971年の「放浪記」で悠起役だったみたい。それから月日は流れ、2008年には同じ「放浪記」で日夏京子役を演じたようよ。約40年近く経ってから再び別の役で同じ作品に出演したという、深い縁のある舞台作品だったみたいね!
山本陽子のプロフィール・SNS

プロフィール
- 名前:山本陽子(やまもとようこ)
- 生年月日:1942年3月17日
- 年齢:81歳没(2025年10月現在)
- 出身地:東京都
- 血液型:A型
- 趣味:車、麻雀、ゴルフ、競馬、登山
- 特技:麻雀、酒
- 所属事務所:株式会社三陽企画
授賞歴
- 第19回菊田一夫演劇賞(1994年)
- 名古屋演劇ペンクラブ賞(2006年)
- 第21回日本映画批評家大賞ゴールデングローリー賞(2012年)
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