フリーアナウンサー・司会者として活躍を続けている羽鳥慎一さん。
日本テレビアナウンサー時代は「ズームイン!!サタデー」や「ズームイン!!SUPER」の総合司会を務めました。an・an調査による、2006年度「好きな男性アナウンサーランキング」で1位を獲得するなど、人気のアナウンサーです。
2011年のフリー転身後は「情報満載ライブショー モーニングバード!」の総合司会に就任し、局アナ時代から担当していた「人生が変わる1分間の深イイ話」や「ぐるぐるナインティナイン」にもフリーの立場で出演を継続しています。
今回は羽鳥慎一さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】羽鳥慎一は若い頃イケメン!
幼少期・10代・20代(1971年~2001年)
引用元:tv asahi
羽鳥慎一さんは幼少期を埼玉県上尾市で過ごし、小学生時代に神奈川県横浜市に転居しました。横浜市立権太坂小学校、横浜市立境木中学校を経て、神奈川県立横浜平沼高等学校に入学しています。
中学校・高校時代の部活動は野球部です。中学はセカンド、高校ではアンダースローの投手、2年まではオーバースローでした。高校時代、後に2年連続でセ・リーグ首位打者を獲得する鈴木尚典さん(当時横浜高校)と対戦し、2打席連続3振を奪ったことがあるのだとか。
高校卒業後に1浪し、早稲田大学政治経済学部経済学科に進学しました。就職活動の時にアナウンサーを志望した理由は「野球の実況をしたかった」というもので、第1志望の放送局が日本テレビだったそうです。
上の画像は、学生服を着ていることから、10代の頃の写真と思われます。キリッとした眉がかっこいいですね!
引用元:tv asahi
羽鳥慎一さんは、1994年4月(当時23歳)に日本テレビに入社しました。アナウンサーの志望動機でもあったプロ野球中継の実況を経て、「ズームイン!!サタデー」「ズームイン!!SUPER」のキャスターや、NNN24の朝のニュース枠「モーニングライブ」の平日のキャスターなどを務めました。
「ズームイン!!サタデー」のスポーツコーナー担当として就任して間もない1996年4月(当時25歳)、ニックネームを募集しましたが応募が少なかったようです。
そこで初代総合司会であり先輩でもある福澤朗さんに「バードでいいんじゃない?」と名付けられ、それが定着しました。以降、「ぐるぐるナインティナイン」などの共演者さん達からも「バード」という愛称で呼ばれるようになったのだとか。
箱根駅伝の実況を初めて担当されたのもこの年代で、1998年(当時26歳)の第74回からでした。
シン背が高いイケメンのスポーツマンだなんて、学生時代は相当モテたんじゃない?
ラン「クラスの人気者くらいにはなれたけど、坊主頭の野球部員には限界があった」「結局モテるのはサッカー部」と語っていたよ!
30代(2001年~2011年)
引用元:スポニチ
30代の羽鳥慎一さんは、「ズームイン!!サタデー」「ズームイン!!SUPER」「モーニングライブ」でスポーツキャスターから総合司会に担当が変わりました。
バラエティー番組での活躍も増え、2001年(当時30歳)から翌年までは、嵐の冠番組「真夜中の嵐」に出演されています。
嵐が最終電車と自転車を乗り継いで夜の日本列島を縦断する深夜番組で、嵐初の単独レギュラー番組にあたります。嵐のメンバーが1人で真夜中のロケを行い、そのVTRを嵐の皆さんと羽鳥慎一さんで見ながら振り返るという内容です。
上の画像は、バラエティー番組「オジサンズ11」の制作発表に出席された羽鳥慎一さん(後列右側)です。在京放送局のアナウンサー11人、通称オジサンズが集まり、ニュースやテレビについて議論や取材を行うのが当初の主な内容でしたが、その後はクイズ番組としてリニューアルされました。
引用元:オリコンニュース
アナウンサーの志望動機でもあった野球の実況はこの年代でもされていて、2002年8月10日(当時31歳)の巨人対広島戦では阿部慎之助さんのプロ入り初のサヨナラホームランを実況しました。
羽鳥慎一さんはとても人気のあるアナウンサーで、an・an調査による2006年度(当時35歳)の「好きな男性アナウンサーランキング」では1位を獲得しました。
オリコン調査によるものでは長年TBSの安住紳一郎さんに次いで2位でしたが、オリコンが安住さんを「殿堂入り」させてランキング外とした2010年(当時39歳)には初の1位を獲得しています。なお、殿堂入りの条件は5回連続で1位になることです。
羽鳥慎一さんはキャリア17年目で、2位以下に300票近い差をつけてトップに輝きました。情報番組からバラエティー番組までこなす柔軟性が支持され、男女別でも世代別でも圧倒的な人気となりました。
シン投票した人からはどういうコメントがあったのかな?
ラン「毎朝、ズームインを観ているので元気をもらえる」「真面目な顔とバラエティで見せる顔のギャップがおもしろい」など、幅広い活躍ぶりを評価されていたよ!
40代(2011年~2021年)
引用元:MANTAN WEB
40代の羽鳥慎一さんにとっての大きな出来事は、2011年(当時40歳)に日本テレビを退社してフリーアナウンサーになったことではないでしょうか。当初はフリーへの転身は考えていなかったようですが、1月の記者会見でこのようにコメントしています。
「40という人生の節目に、自分の可能性を試してみようと思い決断しました。
柔軟に、体力もあって、いろいろ動けるうちに挑戦してみようという思いがあります」
引用元:Wikipedia
新人時代から関わっていて思い入れのある番組「ズームイン!!」の終了が決定したことも、退社の理由の1つとなったのだとか。
日本テレビの同期の藤井貴彦さんと「フリーになる時は1番に伝える」と約束していましたが、この約束は後に破られることになったそうです。
引用元:音楽ナタリー
フリー転身後は「情報満載ライブショー モーニングバード!」→「モーニングバード」→「モーニングショー」・「未来シアター」の総合司会などを務め、局アナ時代から担当していた「人生が変わる1分間の深イイ話」・「ぐるぐるナインティナイン」にもフリーの立場で出演継続しています。
これ以外にも「24時間テレビ『愛は地球を救う』」など日本テレビの特別番組に多く起用されており、2011年10月からは「1番ソングSHOW」にも起用されました。
上の画像は、2015年(当時44歳)の「ぐるぐるナインティナイン」に長渕剛さんが出演した回のものです。人気のコーナー「ゴチになります16」で、恵比寿の高級フランス料理店を舞台に、食べた料理の合計金額を設定金額に近づけるお馴染みのゲームに挑みました。
新作メニューの選択権を賭けたゲームでは空手が得意な長渕さんにちなんで、正拳突きでボールを飛ばす競技で長渕さんとレギュラー陣が対決したのだとか。
引用元:オリコンニュース
2019年(当時48歳)には、九州朝日放送の「羽鳥×宮本 福岡好いとぉ」で、同局の宮本啓丞さんとダブルMCを務めました。羽鳥慎一さんにとって、ローカル初のレギュラー番組です。
全国の朝の顔である羽鳥慎一さんと、福岡の朝の顔である宮本啓丞さんで同い年のタッグを結成し、初回放送では「福岡最強のヒミツ!」と題して、地元の方々も知らない福岡の情報を徹底的に紹介していました。
スタジオゲストには石原良純さん・パンクブーブーの黒瀬純さん・LinQの高木悠未さんが出演してトークを展開していたのだとか。羽鳥慎一さんは、このようにコメントされました。
「いい意味でゆるいというか、緊張感がないという雰囲気の良さが、良純さんの自由な言動にも現れていたと思います(笑)。
私も普段言わないようなことが飛び出しそうな気がするので。
自分の好感度を落とさないように気をつけながら、これから取り組んでいきます」
引用元:オリコンニュース
シン藤井貴彦さんとの「フリーになる時は1番に伝える」という約束は、羽鳥慎一さん側からは破ってしまったみたいだけど、藤井貴彦さんがフリーになる時はどうだったのかな?
ラン藤井貴彦さんが退社する時は、「大事なことを1個教えてあげる」と言ってそのことを伝えて、ちゃんと約束を守ったみたいだよ。
50代以上(2021年~)
引用元:マイナビニュース
2024年には、「クイズタイムリープ」に出演されました。こちらの番組は、日本テレビが誇る昭和・平成の伝説のクイズ番組に、令和の解答者が「タイムリープ」して当時の問題に挑戦する内容となっています。
挑戦者たちはグリーンバックのセットの中で挑戦し、当時の放送映像と合成される形で出演します。また、司会者や他の解答者などはAIの音声合成により自然な会話のやり取りを行うことが出来るのだとか。
第1弾は現代のタレント VS 当時のタレントという構図でしたが、第2弾では現代のタレント同士でもチーム戦で対決し、最高世帯視聴率31.6%を記録した「マジカル頭脳パワー!!」などの番組に挑戦しました。
約5時間に及ぶ収録では、出演者たちから「懐かしい」という感想とともに「いい問題」「面白い」と、令和の今でも色あせない良問に夢中になる声が相次ぎました。
引用元:MANTAN WEB
2015年9月(当時44歳)にスタートしたテレビ朝日系の情報番組「羽鳥慎一モーニングショー」が2025年に10周年を迎え、出演者・オープニングテーマ・スタジオセット・ロゴマークを一新されました。
番組冒頭に流れるオープニングテーマには、シンガーソングライターのアイナ・ジ・エンドさんの新曲「PPP(ピピピ)」を採用し、爽やかで疾走感のある楽曲で番組のスタートを華やかに彩ります。
スタジオのセットは「親しみやすさ」「切れ味のよさ」という番組の持ち味を体現したデザインに全面リニューアルしました。新たなロゴマークは、番組おなじみの“羽鳥パネル”をモチーフにデザインされています。羽鳥慎一さんは、このようなコメントを寄せられました。
「今回、10年という節目でもあり、久しぶりに一部の出演者が入れ替わり、新しくなります。
今まで以上に、活発で、わかりやすく、みなさんに楽しんでいただける番組にしていきたいと思っています」
引用元:MANTAN WEB
シン「モーニングショー」って、羽鳥慎一さんが担当されるよりずっと前にもそんな名前の番組が無かったっけ?
ランそれは1964年から1993年まで続いた、第1期のモーニングショーだね!
羽鳥慎一さんがその番組を22年ぶりに復活させたんだよ!
【画像】羽鳥慎一と前妻の離婚理由は?再婚相手との馴れ初めは?
羽鳥慎一の前妻は誰で離婚理由はなに?
引用元:健康講演.com
引用元:栗原冬子オフィシャルブログ
羽鳥慎一さんの前妻は、講師・実業家・タレントの栗原冬子さんです。客室乗務員でしたが退職し、現在はアロマテラピーの世界で、書籍の出版や講演など幅広く活躍されています。
お2人は1996年(当時25歳)に結婚し、翌年には女の子が誕生していますが、2012年(当時41歳)に離婚しました。離婚理由は本人達の口からは明かされていませんが、離婚した2012年の前後にはお2人ともに大きな変化がありました。
2011年には羽鳥慎一さんがフリーに転身し、2012年には栗原冬子さんが株式会社を設立したり、公益社団法人日本アロマ環境協会の理事に就任したりしていたようです。そのお互いの多忙によるすれ違いが離婚の原因となったのではないかと言われています。
離婚の当時中学3年生だった娘さんは「お父さんに会えなくなるわけじゃないし」と離婚に理解を示していたのだとか。
シン娘さんも今は大人になってるのかな?
ラン現在は結婚して男の子が誕生していると、栗原冬子さんのオフィシャルブログで語られているよ。
羽鳥慎一と再婚相手との馴れ初めは?
引用元:週刊女性PRIME
引用元:スポニチ
羽鳥慎一さんの再婚相手は、脚本家の渡辺千穂さんです。学年だと羽鳥慎一さんが2つ上です。
渡辺千穂さんは元は普通の社会人でしたが、もともと本が好きだったことから「何かを書きたい」と思い立ち、書店で手に取ったテレビドラマ「ふぞろいの林檎たち」のシナリオ本をきっかけに脚本家の道を志すようになったそうです。
お2人は2012年8月(当時41歳)に、羽鳥慎一さんの所属事務所「テイクオフ」社長主催の会食で知り合い、同年11月から交際が始まりました。
2013年4月23日(当時42歳)放送の「モーニングバード!」の冒頭で交際を公表し、約2年の交際期間を経て2014年8月18日(当時43歳)に結婚しました。2016年1月末(当時44歳)に女の子が誕生しています。
渡辺さんは2016年下期のNHK連続テレビ小説「べっぴんさん」の脚本を担当したのですが、NHK総合テレビの「べっぴんさん」本放送の裏番組に「モーニングショー」があり、デイリースポーツと毎日新聞は「夫婦対決」と取り上げました。
シン脚本家としてのデビューは何がきっかけだったのかな?
ラン当時まだ趣味で作っていた脚本のプロットがテレビ局のプロデューサーの目に留まったことだったんだって!
それで、2002年のテレビドラマ「天体観測」でデビューしたんだよ。
羽鳥慎一のプロフィール・CD・DVD
引用元:Yahoo!JAPAN
プロフィール
- 名前:羽鳥 慎一(はとり しんいち)
- 生年月日:1971年3月24日
- 年齢:54歳(2025年11月現在)
- 出身地:埼玉県上尾市
- 血液型:A型
- 身長:182cm
- 趣味:スポーツ観戦
- 所属事務所:テイクオフ
CD・DVD
- 2010年4月:書道ガールズ!! わたしたちの甲子園 オリジナル・サウンドトラック(リコーダー演奏による「由佳理と笛」収録)
- 2011年3月:ズームしか知らないファンモンのすべて〜目の前には未来が待っている〜
シン趣味の「スポーツ観戦」って、何を見ることが多いのかな?
ラン野球みたいだよ。
現在の関心事を聞かれた時に「野球の面白さの追求」と答えていることから、プレーはしなくなっても好きな気持ちは変わっていないということが分かるね。



















