ビジネスやメディア、さらには宇宙開発の世界でも挑戦を続ける堀江貴文さん。
ライブドア社長として一世を風靡し、世間を騒がせた事件を経て、現在は多分野にわたる活動で再び注目を集めています。
今回は堀江貴文さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】堀江貴文は若い頃から異端児?
10代(1982年~1992年)
引用元:YouTube
堀江貴文さんは、福岡県の南部、田舎町で少年時代を過ごしました。
「子どもの頃は田舎に住んでいたので、メディアはテレビしかないし、『話していて楽しい人』には一人も出会えなかった。たまたまそこに居ただけだった」と振り返っています。
クラスメイトと“友達のふり”をして過ごしていたそうで、周囲に合わせることへの違和感と孤独のにじみが感じられます。
上の動画は堀江さんが幼少期について語った時のものです。現在から見るととても意外な夢があったようです。
引用元:テレ東+
堀江貴文さんは、1985年(当時13歳)の時に、久留米大学附設中学校に進学し、田舎町での閉塞感の中で日々を過ごしました。そしてこの時期に人生を変えるプログラミングと出会いました。
この時堀江さんは、「田舎ではメディアはテレビだけで、楽しく話せる人もいなかった。たまたまそこにいただけ。娯楽も人もつまらなくて、保守的な空気の中では“働く面白さ”を語れる人がいなかった」と当時の心境について振り返っていました。
プログラミングを始めたきっかけは「人が作ったゲームじゃなく、自分で世界を構築できることに魅力を感じた」と語っていました。
さらに、地元の塾からシステム開発を依頼され、報酬を得たことで実践的な手応えも実感したそうで、「あれで火がついた」ともお話しされておりとお話しされており、創る側に回ることへの強い好奇心が芽生えていたことが確認できます。
上の画像は1985年(当時13歳)から1991年(当時18歳)までの中学・高校時代の時のものです。この学校は、福岡県の超名門校と言われていて、卒業生には孫正義さんも居るそうです。
引用元:テレ朝POST
堀江貴文さんは、高校時代にプログラミングに夢中になり、一時は200人中199位という成績まで落ち込みました。
しかし、退屈な地元を出たい一心で、半年間の猛勉強の末、センター試験では800点中670点を獲得し、1991年(当時18歳)の時、見事に東京大学文科三類に現役合格しました。
この時堀江さんは、「勉強はやるしかない。でも“効率的な戦略”はある」と語っており、目的から逆算して学習計画を立てたといいます。
東大の後期試験に絞り、英語と小論文にターゲットを絞って徹底的に対策し、特に英語については、「英単語を1冊まるごとそらんじる」レベルで暗記し、毎日見開き2ページずつ覚えていったそうです。
このことから堀江さんは、独自の戦略的勉強法を生み出したことが確認できます。
上の画像は1991年の時に東京大学文科三類に現役合格した時のものです。ネットではイケメンと騒がれていますが、確かにイケメンですね。

堀江貴文さんとPCとの出会いはどんな感じだったのかな?

それは、「映画『ウォー・ゲーム』を観て、コンピュータを手に入れれば世界が変わると思った」という直感から、「これは勉強にも使えるから」と親を説得して、日立のMSXパソコン「H2」を買ってもらったのが始まりなんだって!
そしてプログラミングに夢中になって、「人が作ったものじゃなく、自分で世界を創れることが面白かった」と感じたとお話しされていたわ。
その後、初期モデルでは物足りなくなって、今度は20万円の上位機種を購入し、親から借金して、新聞配達で全額返したんだって!
やりたいことに全力で向き合い、ちゃんと責任を取るっていう姿勢は、この頃からすでにあったみたいよ!
20代(1992年~2002年)
引用元:X若き日のホリエモン。
— wizforest (@wizforest) December 4, 2016
ライブドア以前のオンザエッヂ時代。 pic.twitter.com/4T0bAEStxb
堀江貴文さんは、1996年(当時23歳)の時に東京大学文学部在学中に有限会社オン・ザ・エッヂ(後のライブドア)を設立し、学生起業家としてビジネスの世界に飛び込むと同時に大学を中退しました。
1997年(当時24歳)の時には会社を株式会社化し、ウェブサイト制作やネット広告、コンテンツ運営などを手がける中で事業を急拡大しました。
この時堀江さんは、東大在学中に受けたWeb制作の仕事が増え1カ月の作業で90万円という報酬を得ていたそうです。
バイト先の上司から「俺の右腕にならないか」と打診されていましたが、「サラリーマンなんてまっぴらごめんだ」という思いから「これからも楽しく仕事をするために、自分の会社を創ろう!」と起業をに至ったとお話しされていました。
当初から実利と実行を重視していたことが確認できます。
また、起業後は、大手企業のサイト制作に加え、博報堂の電子年賀状システムやglobeのインターネットチケット販売など、時代の先端を行く仕事を次々と手がけました。
この時堀江さんは、「globeの中継準備ではスタッフが来なくなり、僕が不眠不休でシステムを作った。小室さんから声をかけられた瞬間、全部報われた気がした」と振り返っており、責任と行動力で信頼を勝ち取っていった様子がうかがえます。
上の画像は1997年(当時24歳)の時に会社を株式会社化の時のものです。堀江さんに長髪時代があったことを初めて知りました。
引用元:INTERNET Watch
堀江貴文さんは、2000年(当時27歳)には東証マザーズに上場を果たし、「東大出身の若きネット起業家」として一躍時代の寵児になりました。
この時堀江さんは、「上場初日、初値がつかずに終わった。株価は公募価格を25%も下回り、Tシャツ姿の僕よりも、冷えきった市場の空気が印象的だった」とお話しされており、ネットバブル崩壊の余波の中での船出だったことが確認できます。
2002年(当時29歳)には、社名を「ライブドア」に変更し、プロバイダ事業やブログサービスへの進出など、インターネットを軸とした多角的な戦略を打ち出しました。
上の画像は2000年(当時27歳)の時に東証マザーズに上場を果たしたの時のものです。
大学在学中に会社を設立し、わずか4年で東証マザーズ上場というのは大変だったのは言うまでもありませんが、当時から相当な人望とビジネスセンスがあったことが分かりますね。

上場後はどうだったのかな?

それは、思っていた以上に厳しい現実が待っていたみたい。
上場初日から株価は下落し、初の決算は赤字になり、持ち株すら売れない状態が続き、時価総額は100億円を下回るほどだったそうよ。
しかも堀江さんのこの時の状況は、1999年に結婚し、子どもも誕生しており、妻の希望でマイホームも購入していたので、家計もひっ迫していたみたい。
ATMから現金を引き出そうとしたら残高不足で通帳が戻ってきたときは、「落ちるところまで落ちた」と実感したそうよ。
でも、「落ち込むことにすら飽きた」と感じた堀江さんは、そこから気持ちを切り替えて「オン・ザ・エッヂを世界一大きな会社にする」という新たな目標を掲げ、再スタートを切ったんだって!
30代(2002年~2012年)
引用元:四国新聞社
堀江貴文さんは、2004年(当時32歳)の時に、プロ野球球団「近鉄バファローズ」の買収に名乗りを上げ、一躍メディアの注目を集めました。
翌2005年(当時33歳)には、フジテレビの親会社であるニッポン放送の株式を大量取得し、敵対的買収を仕掛けるという前例のない行動に出ました。
この時堀江貴文さんは、「当時のCFOが大の野球ファンで、野球チームを持ちたいと常々言っていた。福岡で講演をした後の懇親会でホークス関係者から『買収してくれませんか?』と言われたのがきっかけだった」とお話しされております。
球団買収はもともと自身の発案ではなく、周囲の発言と偶然の出会いから関心を持ち始めたこと、そしてプロ野球の圧倒的なメディア露出に経営的価値を見出していたことが確認できます。
上の画像は2004年(当時32歳)の時にプロ野球球団「近鉄バファローズ」の買収に名乗りを上げた時のものです。ホークス関係者の方から買収を提案されたなんて堀江さんのビジネスパーソンとしての知名度は幅広く広がっていたのですね。
引用元:日本経済新聞、YouTube
堀江貴文さんは2006年(当時34歳)の時に証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載、偽計取引、風説の流布)容疑で逮捕され、社会を揺るがす「ライブドア事件」の渦中になりました。
2007年(当時35歳)の時にに懲役2年6ヶ月の実刑判決を受け、2011年には上告も棄却され、収監が決定しました。
この時堀江貴文さんは、このようにお話しされております。
「1回人生をリセットしたい。ライブドア株主の方には結果として大きな迷惑をかけ申し訳ない。ペナルティーとして罪を償って帰ってきたい」と話した。最後に「行ってまいります」と述べ、一礼した。
引用元:JIJI.COM
このことから株主や社会への責任を痛感していたことが確認できます。
上の画像は2007年(当時35歳)の時に「ライブドア事件」で懲役を受けた時のものです。当時、社会を揺るがす大きなニュースだったと記憶にあります。

「ライブドア事件」のきっかけは何だったのかな?

それは、フジテレビ買収に乗り出すなど、急激な拡大路線で注目を集めていた堀江さんに対し、検察やマスコミが強い関心を寄せるようになったという背景から、2006年1月、証券取引法違反容疑での強制捜査と逮捕に発展したみたいよ。
この時堀江さんは、「テレビ局と喧嘩をしたので、世の中から一気に総攻撃を食らった」「まさか自分がそんな世界に放り込まれるとは思ってなかった」と語っており、拡大の勢いがピークを迎えるなかで、強烈な逆風に見舞われたことが分かるわね。
40代以上(2012年~)
引用元:YouTube
堀江貴文さんは2013年(当時41歳)の時に、仮釈放により長野刑務所から出所し、実名・顔出しでの活動を再開しました。
収監中は「衛生係」として介護に近い仕事に就き、地道に働くことで仮釈放のチャンスを掴み取ったと言います。さらに、刑務所内でも読書や手書きでの執筆活動を続け、限られた環境の中で“ゼロを1にする”努力を積み重ねました。
出所から3日後には記者会見を開き、社会復帰への強い意志を表明し、更生保護施設への支援も続けています。
この時堀江貴文さんは、「再犯をしないことが大事。社会が彼らを受け入れるために、なんらかの形でお手伝いできればと思う」と話しており、刑務所出所後の人々への社会的支援の必要性を強く訴えていたことが確認できます。
そして2014年には、自身のYouTubeチャンネル「ホリエモンチャンネル」を開設しました。初期は再生回数が少なかったものの、ユーチューバー・HIKAKINさんの助言を受けて地道に動画投稿を継続し、チャンネル登録者数は100万人を超える規模にまで成長しました。
失ったものを悔やむよりも、今できることを積み重ねるという姿勢で堀江さんは“ゼロからの再出発”を果たしていきました。
上の画像は2013年(当時41歳)の時に、仮釈放した後の記者会見の時のものです。ここから堀江さんの復活劇が始まるのですね。
引用元:YouTube、朝日新聞
2019年(当時46歳)には、日本初となる民間単独のロケット打ち上げ成功(MOMO3号機)に貢献として、北海道大樹町を拠点に活動する宇宙ベンチャー「インターステラテクノロジズ」の支援にも乗り出し、民間による宇宙開発に挑戦しました。
この時堀江貴文さんは、「やっと打ち上げに成功し、ひとまずほっとしている」「おもしろい、くだらないことに使われてこそ宇宙産業のマーケットは大きくなる」とお話しされており、日本の宇宙産業の未来を見据えた前向きな展望を語っていたことが確認できます。
上の画像は2019年(当時46歳)の時に日本初となる民間単独のロケット打ち上げ成功(MOMO3号機)に貢献した時のものです。本当に次から次へと色々なビジネスを考えますよね。今後のビジネスも楽しみです。

出所後、堀江貴文さんの考え方や価値観に変化はありましたか?また、社会復帰に対する想いはどうなのかな?

堀江さんは出所後、「ゼロからの再出発」を掲げ、自分の価値を地道に積み上げていくことの重要性を強く語っているの。
刑務所での介護的な仕事や限られた中での読書生活を経て、「腐らず、あきらめず、行動し続けること」が、心を強く保つ方法だと実感したそうよ。
また、自らの経験を通じて「出所後の社会復帰の難しさ」にも強い問題意識を抱いているみたい。
特に、住まいや仕事が見つからず再犯に至る人が多い現実を受け止め、出所者が自立を目指す「更生保護施設」への継続的な寄付を行うなど、社会的な支援の必要性を訴え続けているわ。
堀江貴文さんはどこの事務所に所属しているか?
引用元:SNS media&consulting.Ing、IST
「代表的な会社」というより現在は主に「SNS media&consulting株式会社」、ロケット開発を行う「インターステラテクノロジズ株式会社」のファウンダーとして活動しています。
【画像】堀江貴文の資産はどのくらい?元妻は誰で離婚理由は何?
堀江貴文の資産はどのくらい?
引用元:スポニチアネックス
引用元:YouTube
堀江貴文さんは、起業家・投資家として数々のプロジェクトを手がけ、今や“実業家”としての地位を不動のものにしていますが、意外にも現金や貯金に執着はなく、「俺、現金あんまり持ってないのよ」「貯金は1000万円を超えたことがない」と語っています。

稼いだお金は何に使っているのかな?

それは、ロケット開発(60億円以上投資)、スタートアップ投資、仲間との時間や海外旅行への惜しみない出費という行動につながったみたいよ!
堀江貴文の元妻は誰で離婚理由は何?
引用元:東洋経済
引用元:サンスポ
1999年(27歳)の時に当時交際していた女性との“できちゃった結婚”から始まったそうです。
相手は一般女性で、お子さんも生まれ、堀江さん自身も「精神的に不安定な時期で、結婚すれば安定するかもしれないという淡い期待があった」とお話しされています。
ところが、急成長する事業と多忙を極める生活の中で、夫婦のすれ違いが次第に深刻になったそうです。
この時堀江さんは、「週末に仕事へ行くと妻から強く非難されていた」「家ではぐったり寝ていたいだけなのに、怠慢と見られた」と話しており、仕事と家庭の両立に限界を感じていたことがわかります。
さらに、価値観の違いも大きく、「学資保険に入りたい」「通帳を預かりたい」といった元妻の提案に対して、「経営者として扱っている金額が違いすぎる」と説明しても、話が噛み合わなかったのだそう。
そして結婚からわずか約2年後に離婚に至りました。
「延期していた結婚式を挙げた3カ月後に別れた」「子どもの写真や三輪車を処分するとき、胸が締めつけられた」と語っていて、離婚は迷いや悩みの末に出した、人生で最大級の“切り捨て”だったと振り返っています。

堀江貴文さんは離婚後はどう考えてるのかな?

堀江さんは離婚後、「生涯添い遂げるパートナーの存在を否定してはいないが、結婚という制度に縛られる必要はない」と語っているわ。
「1対1の契約でしか子どもを持てない社会はもう古い」「恋愛も家族も自由でいい」とも話されており、現代の結婚観・家族観そのものに疑問を持っているようです。
堀江貴文さんが初めて会社を設立した1996年はこんな年だった!
引用元:THE DIGEST 、NHKアーカイブス、Olympics.com
堀江貴文さんがデ初めて会社を設立した1996年は、「マジック・ジョンソンがNBAに復帰」、「羽生善治 初の7冠制覇」、「アトランタオリンピック開催」などの出来事があり、話題となりました。
また、この年の流行語(大賞)は、マラソンランナーの「自分で自分をほめたい」で有森 裕子さんが受賞しました。
堀江貴文のプロフィール・SNS
引用元:スポニチアネックス
プロフィール
- 名前:堀江貴文(ほりえ たかふみ)
- 生年月日:1972年10月29日
- 年齢:52歳(2025年8月現在)
- 出身地:福岡県
- 血液型:A型
- 趣味:トライアスロン・キックボクシング・サッカー・サバイバルゲーム・リバートレッキング・レーシングカート・ギター・ゴルフ
- 所属事務所:経営している企業はあるが、所属している事務所はありません(フリーランスです)
SNS
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- TikTok URL:https://www.tiktok.com/@takafumi_horie
@takafumi_horie ホリエモンデビュー曲「チョメチョメ」踊ってね🍺🕺 #ホリエモン #堀江貴文 #演歌 #チョメチョメ ♬ オリジナル楽曲 - 堀江貴文(Takafumi Horie)
- YouTube URL:https://www.youtube.com/watch?v=nLS2Fo3r4pY
- オフィシャルサイト URL:https://zeroichi.media/


堀江貴文さんのゴルフのきっかけって何なのかな?

2007年(当時35歳)の時に友人に強引に誘われてプレーしたのがきっかけだそうなの。
当時は裁判中で仕事が制限されていたため、時間を持て余していたこともあり、自然とのめり込んでいったみたいよ。
今では国内外でプレーを楽しむほどの愛好家で、「ゴルフは人生を楽しむためのアイテムの一つ」と語っているわ。