【画像】オードリー・ヘプバーンは若い頃かわいい!髪型の変遷と名言10選!

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ハリウッドの黄金時代に活躍し、映画界で輝きを放ってきたオードリー・ヘプバーンさん。

ファッション界でもアイコン的存在として、今でも世界中の人々にとって憧れの存在であり続けています。

晩年はユニセフの親善大使として慈善活動を行い、影響を与え続けました。

今回はオードリー・ヘプバーンさんの若い頃を振り返り、晩年の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!

目次

【画像】オードリー・ヘプバーンは若い頃かわいい!

幼少期・10代・20代(1939年~1959年)

引用元:婦人画報

オードリー・ヘプバーンさんは、ベルギーで生まれ5歳頃からバレエを習い始めました。1948年(当時19歳)のときに当時の著名なバレエ教師だったマリー・ランバートさんの教えを受けるため、ロンドンへと渡りました。

バレリーナを目指していたオードリー・ヘプバーンさんでしたが、成長期に十分な栄養を摂ることができなかったことや、170cmの身長が当時ではバレリーナに相応しくないとされていたことから、演劇の道へ進むこととなりました。

そして、1948年(当時19歳)のときにオランダの映画「オランダの七つの教訓」に出演し映画デビューを果たしました。

上の画像は1950年ごろの写真で、バレエのリハーサルをしているときのものです。とても美しく気品が溢れていますよね!

引用元:婦人画報

オードリー・ヘプバーンさんは舞台女優として着実に成長していきました。1950年(当時21歳)の時には、「天国の笑い声」や「若妻物語」、「ラヴェンダー・ヒル一味」など映画に立て続けに出演しました。

上の画像は日本では未公開の映画『天国の笑い声』のポスターです。この映画でオードリー・ヘプバーンさんが登場したのはたった2シーンでしたが、このシーンを観たアメリカの映画制作会社パラマウントの幹部が、彼女を「ローマの休日」の王女役に抜擢したという逸話があります。

その後、1951年(当時22歳)のときに映画「モンテカルロへ行こう」に出演しました。

この映画の撮影中にフランス人女流作家シドニー=ガブリエル・コレットさんが、オードリー・ヘプバーンさんにひと目惚れをしました。それがきっかけでブロードウェイ舞台作品「ジジ」での主役に選出されたオードリー・ヘプバーンさんはニューヨークへと渡ることとなりました。

引用元:X

1951年(当時22歳)の時に、オードリー・ヘプバーンさんはブロードウェイ舞台作品「ジジ」に主役として出演しました。この作品は好評を博し、ブロードウェイでの優れたパフォーマンスを称えて贈られるシアター・ワールド・アワードを受賞しました。

上の画像はブロードウェイ舞台作品「ジジ」出演時のものです。この頃からトレードマークであるショートバングス(短めの前髪)や太めの眉が定着し始めていました。

引用元:VOGUE JAPAN

オードリー・ヘプバーンさんは1953年(当時24歳)のときに映画「ローマの休日」に出演しました。彼女はここから一躍スターへの道を駆け上っていくこととなります。

劇中、プリンセスらしいロングヘアを短くカットするシーンがあり、このシーンは映画史に残る名場面だと言われています。このときの短く切り揃えられたヘアスタイルはヘプバーンカットと呼ばれ、日本でも映画公開後に女性たちの間で大流行しました。

また、彼女の華奢なスタイルを際立たせるファッションも注目を集め、世の中にオードリー旋風を巻き起こしました。

この作品でハリウッド映画のヒロイン像に新しい風を吹き込んだオードリー・ヘプバーンさんは、第26回アカデミー賞主演女優賞を受賞しました。

このときオードリー・ヘプバーンさんは「身にあまる光栄です。この数カ月間、数年の間、私を助けて導き、そして与えてくれた全ての人々に感謝します。私は本当に感謝しています」とお話しされていて、アカデミー賞の受賞に感激していたことが確認できます。

引用元:ハーパーズ バザー

オードリー・ヘプバーンさんは、1954年(当時25歳)のときに俳優のメル・ファーラーさん結婚しました。2人は、オードリー・ヘプバーンさんが「ローマの休日」で共演した俳優のグレゴリー・ペックさんの紹介で出会っています。

結婚後もオードリー・ヘプバーンさんの活躍は続き、1954年(当時25歳)のときに出演した映画「麗しのサブリナ」では英国アカデミー賞最優秀主演英国女優賞を受賞しました。

また、同年に出演したブロードウェイの舞台作品「オンディーヌ」ではアメリカの演劇界で最も権威のある賞とされているトニー賞演劇主演女優賞を受賞しています。

アカデミー賞とトニー賞といった、権威のある賞をダブル受賞したオードリー・ヘプバーンさんは「二つの賞を裏切らない為にはどうしたらよいのでしょうか?まるで子供の頃に大きすぎて、大人にならなければ使えないものをもらったような気分です」とお話しされていました。

引用元:映画.com

オードリー・ヘプバーンさんは1957年(当時28歳)のときにミュージカル映画「パリの恋人」に出演しました。バレエの経験が活かされた映画でした。オードリー・ヘプバーンさんは、古本屋で働く主人公・ジョーの役を演じました。

「パリの恋人」は、アカデミー賞やカンヌ国際映画祭のパルム・ドールにノミネートされるなど、高い評価を得ていたことが確認できます。

同年に出演した映画「昼下がりの情事」は、アメリカの優れた作品や俳優に贈られるゴールデングローブ賞を受賞しました。「昼下がりの情事」では、不倫について調査する探偵の娘を演じました。

また、同じ年にオードリー・ヘプバーンさんは「アンネの日記」を題材とした映画への出演依頼を打診されましたが、アンネ・フランクさんと同い年のオードリー・ヘプバーンさんは「戦時中の記憶に戻るのが辛すぎる」として出演を辞退しています。

上の画像は映画「パリの恋人」でのワンシーンです。思わずうっとりしてしまう美しさですよね。

シン

オードリー・ヘプバーンさんと結婚したメル・ファーラーさんは、どんな俳優さんだったのかな?

ラン

メル・ファーラーさんはアメリカ出身の俳優さんで、映画やブロードウェイを中心に活躍していたよ!オードリー・ヘプバーンさんよりも12歳年上で、彼女はメル・ファーラーさんの同世代の男性にはない包容力に惚れたんだって!

30代(1959年~1969年)

引用元:25ans

オードリー・ヘプバーンさんは、1960年(当時31歳)の時に、第一子となる長男のショーン・ファーラーさんを出産しました。オードリー・ヘプバーンさんはそれまでの間に2度の流産を経験しており、待望の我が子となりました。

息子のショーン・ファーラーさんは2019年のインタビューで、母であるオードリー・ヘプバーンさんについて以下のようにお話されています。

母が私にくれた最高の贈り物の一つが普通の暮らしでした。幼いころは母の仕事に同行して色々な場所に滞在していましたが、学校に通う年頃になるとそうもいかなくなった。そこで母はすっぱりとキャリアを捨てて、子育てに専念したんです。ほかのお母さんたちのように学校の送り迎えをし、一緒に買い物に出かけたり宿題を手伝ってくれたり、休暇中は料理の腕を振るってくれたりもしました。

引用元:VOGUE JAPAN

上の画像は第一子を出産したときの写真です。とても可憐で素敵なママですよね。

引用元:VOGUE JAPAN

オードリー・ヘプバーンさんは1961年(当時32歳)のときに映画「ティファニーで朝食を」に出演しました。この作品が産後初の出演作品となりました。清純派として知られていたオードリー・ヘプバーンさんが、清純ではない主人公を演じたことで、アメリカでは大きな話題になったそうです。

撮影前にオードリー・ヘプバーンさんは「この役に必要なのはとても外交的な性格だけど、私は内向的な人間」と弱音を吐いていましたが、この映画も不朽の名作として今もなお世界中で愛されています。

上の画像は映画「ティファニーで朝食を」のワンシーンです。交友関係のあったファッションデザイナー、ユベール・ド・ジバンシィさんがデザインしたリトルブラックドレスも注目を集めました。

引用元:映画.com

オードリー・ヘプバーンさんは1967年(当時38歳)のときに映画「いつも2人で」と「暗くなるまで待って」に出演しました。

この頃から夫であったメル・ファーラーさんと別居しています。俳優としてピークを超えていたメル・ファーラーさんがオードリー・ヘプバーンさんの人気を利用して商売をしようとしたり、子供に対する気持ちの温度差などが原因で2人の関係性に亀裂が入り始めたと言われています。

そして翌年に離婚しました。

結婚はもうしないかな」とお話していたオードリー・ヘプバーンさんですが、離婚直後にクルージングに出かけた先で出会ったイタリア人精神科医のアンドレア・マリオ・ドッティさんと恋に落ちることとなりました。

そしてオードリー・ヘプバーンさんが40歳になる数ヶ月前に2人は結婚しました。

シン

オードリー・ヘプバーンさんは、短い交際期間を経て再婚したんだね!再婚相手のアンドレア・マリオ・ドッティさんはどんな人だったのかな?

ラン

アンドレア・マリオ・ドッティさんはオードリー・ヘプバーンさんよりもおよそ10歳年下だよ!残念ながら彼は生粋の遊び人だったみたいで、2人は後に離婚しているよ・・・。

40代(1969年~1979年)

引用元:西日本新聞

オードリー・ヘプバーンさんは、1970年(当時41歳)のときに次男ルカ・ドッティさんを出産しました。

ルカ・ドッティさんは食に対する考え方においてオードリー・ヘプバーンさんから影響を受けたと以下のようにお話されています。

母は第二次世界大戦の際に食料が完全に尽きてしまうという経験をしています。彼女がもっていた、家族でテーブルを囲むことが大切という考え方や、その喜びはこの経験に由来しています。戦争の記憶によってこうしたことを一層大切にするようになったのです。

引用元:婦人画報

オードリー・ヘプバーンさんは次男の出産後あたりから仕事をセーブするようになり、スイスにある自宅での生活を楽しんで送っていたようです。

上の画像はスイスの自宅で次男を抱くオードリー・ヘプバーンさんです。写真から幸せそうな空気感が伝わってきますよね。

引用元:ソニー・ピクチャーズ

オードリー・ヘプバーンさんは1976年(当時47歳)のときに映画「ロビンとマリアン」に出演し、映画界に復帰しました。約9年ぶりに女優復帰したオードリー・ヘプバーンさんは主人公・ロビンの恋人であり、修道院の院長マリアンを好演し、この作品も高い評価を得ました。

この映画の映画化の計画が始まった当時、オードリー・ヘプバーンさんは活動を休止していました。しかし、当時監督に決まっていたジョン・フランケンハイマー氏は直接台本を送りました。最初はエージェントに断られたために諦めていましたが、実はオードリー・ヘプバーンさんは役のオファーを2年間待っていたことがわかったそうです。

上の画像は映画「ロビンとマリアン」のポスター写真です。歳を重ねてもとても魅力的な女性ですよね。

シン

オードリー・ヘプバーンさんは、40代の頃はお仕事をセーブして子育てに専念していたんだね!家事なども彼女がしていたのかな?

ラン

母親として、子育てや家事に専念していたみたいだよ!料理上手な一面もあって、息子のルカさんは当時を振り返って「母は、特に市場が開いているときには、料理に使う素材を買いに行くのが好きでした。私を連れて出かけ、よく食べ物のことについて話しました。」とお話しされているよ!家庭菜園で果実や野菜も栽培していたみたいだよ!

50代以上(1979年~)

引用元:洋画専門チャンネル ザ・シネマ

オードリー・ヘプバーンさんは、1979年(当時50歳)の時に、映画「華麗なる相続人」に出演しました。

出演に関してオードリーさんは乗り気でなかったようですが、1967年(当時38歳)のときにオードリーさんが出演した映画「暗くなるまで待って」のテレンス・ヤング監督が、オードリーさんを説得してようやく出演が決まりました。

テレンス・ヤング監督にとっては思い入れのある作品となったようで、インタビューで「(自作の中で好きなのは)いま作っている仕事をのぞいては『暗くなるまで待って』でしょうか。」とお話されています。

また、この映画ではオードリーさんの親友であるファッションデザイナーのユベール・ド・ジバンシィさんが、映画とオードリーさんのために8着のドレスを提供しました。まさにオードリーさんにとって最強の布陣で作成された映画でした。

この映画の原作は「血族」というアメリカのベストセラー小説で、映画化にあたり小説に登場するヒロインの年齢が、オードリーさんの実年齢に合わせて23歳から35歳の女性に書き直されています。

この頃、夫の浮気に悩まされていたとされるオードリー・ヘプバーンさんですが、共演者のベン・ギャザラさんと不倫関係になり夫婦の間の溝がさらに深まってしまった時期となりました。

そして翌年に2人は別居し離婚の申し立てをしています。

上の画像は映画「華麗なる相続人」のワンシーンです。煌びやかな装いに負けない華やかさがありますよね。

引用元:婦人画報

オードリー・ヘプバーンさんは1980年(当時51歳)のときに人生最後のパートナーとなる俳優のロバート・ウォルダーズさんと出会いました。オランダ出身のロバートさんは、オードリーさんと同じ言語を話すことができ、犬をはじめとして動物が好きなことなど共通の趣味が多く、意気投合したと言われています。共通の友人も多かったそうです。

オードリー・ヘプバーンさんはインタビューで「ロバートと過ごす日々が人生で最良の時」とお話されており、素敵なパートナーと巡り逢えたことが確認できます。

1981年(当時52歳)のときにオードリー・ヘプバーンさんは映画「ニューヨークの恋人たち」で主演を務めました。この映画がオードリーさんの最後の主演映画となりました。

そしてその翌年にアンドレア・ドッティさんとの離婚が成立しました。

上の画像は1981年に撮影されたオードリーさんとロバートさんのツーショットです。オードリーさんの幸せそうな笑顔が印象的ですよね!

引用元:クーリエ・ジャポン

オードリー・ヘプバーンさんは、1983年(当時54歳)のときに生涯の友人であるユベール・ド・ジバンシィさんが手がけるファッションブランド「ジバンシィ」の30周年記念イベントに参加しました。

オードリーさんと、ユベール・ド・ジバンシィさんの出会いは1953年でした。

このときオードリーさんは24歳で、麦わら帽子をかぶってまるで少年のようなスタイリングをしていました。こうした彼女の姿を見て、ユベール・ド・ジバンシィさんはオードリーさんの独特の存在感と個性的なファッションにたちまち魅了されたそうです。そして彼自身のブランドジバンシィの新作コレクションをオードリーさんに数点着用してもらったことから関係性がスタートし数十年の付き合いへと発展していきました。

その後、1987年(当時58歳)のときにオードリー・ヘプバーンさんは映画「おしゃれ泥棒2」に出演しました。

出演を決めた理由は、共演者のロバート・ワグナーさんがオードリーさんが毎週欠かさず観ていたテレビドラマに出演していたことと、友人としても俳優としても彼のことが好きだったからでした。

上の画像はオードリー・ヘプバーンさんとユベール・ド・ジバンシィさんのツーショットです。お二人とも気品溢れる佇まいで絵になりますよね。

引用元:VOGUE JAPAN

1988年(当時58歳)のときにオードリー・ヘプバーンさんはユニセフの活動でエチオピアへ行きました。

彼女がユニセフの活動に参加するようになったきっかけは、パートナーのロバート・ウォルダースさんとの出会いにありました。ロバートさんとの出会いの数年後に、オードリーさんはロバートさんの紹介でユニセフの主催する会合で戦争体験についてお話しています。

この話を聞いていた当時のユニセフ事務局長がオードリーさんを親善大使にスカウトしました。

オードリー・ヘプバーンさんはユニセフの活動に参加することについて以下のようにお話されています。

ユニセフと関われるなんて幸せだった。なぜなら、私自身が第二次世界大戦の直後にユニセフから食べ物や医療の援助をうけた子どものひとりだったから

引用元:ユニセフ

上の画像は1988年にエチオピアを訪れた際の写真です。オードリーさんとお子さんの笑顔が素敵ですね。

引用元:ナタリー

オードリー・ヘプバーンさんは1990年(当時60歳)のときに出演した映画「オールウェイズ」を最後に、女優業から引退しました。この映画「オールウェイズ」に出演するまでの期間は、ユニセフでの活動に専念しており約8年ぶりのスクリーン復帰となりました。

オードリー・ヘプバーンさんはこの映画への出演を決めた理由を以下のようにお話されています。

出演を決めたのには二つの理由があります。一つは、これがスティーヴン・スピルバーグの映画だということ、そしてもう一つは、時間的な折り合いがついたということです

引用元:シネモア

さらに、オードリーさんはこの映画の出演料を全てユニセフに寄付しています。自身の慈善活動に繋がることも出演の決め手になったと考えられます。

上の画像は主演のリチャード・ドレイファスさんとのワンシーンです。白いセーターに身を包んだオードリーさんはまるで天使のようですね。

その後、オードリー・ヘプバーンさんはユニセフでの活動により専念するようになり様々な取り組みを行いました。そうした数々の功績が認められ、1992年(当時62歳)のときにはアメリカ最高の栄誉である大統領自由勲章を授与されました。

同じ年からオードリーさんは腹痛に悩まされるようになりました。そして精密検査を受けたところ末期のがんであることが判明しました。

がんが発覚してからは、様々な治療が行われましたが1993年(当時63歳)のときにオードリー・ヘプバーンさんは帰らぬ人となりました。

シン

オードリー・ヘプバーンさんのお墓はどこにあるのかな?

ラン

生前の希望によってスイスにお墓があるよ。今でも世界中からファンが訪れていて、年中綺麗なお花に囲まれているみたいだよ!

オードリー・ヘプバーンさんの肖像権を管理している”Sygnite Tokyo”は他に誰の管理をしてる?

引用元:映画.comSygnite TokyoオフィシャルサイトPR TIMES

オードリー・ヘプバーンさんの肖像権を管理しているSygnite Tokyoでは、俳優で喜劇の王様と呼ばれているチャーリー・チャップリンさん、物理学者のアルバート・アインシュタインさんや俳優や映画監督として活躍した三船敏郎さんなどの肖像権を管理しています。

【画像】オードリー・ヘプバーンの髪型の変遷と名言10選!

オードリー・ヘプバーンの髪型の変遷

引用元:クランクイン!

1951年(当時22歳)

この頃、下積み時代を過ごしていたオードリー・ヘプバーンさんは短い前髪をカールさせたヘアスタイルでした。

上の写真は日本では未公開の映画「若妻物語」の頃のオードリーさんです。この年は立て続けに映画に出演し、彼女のアイコンであるショートバングスが定着しました。くるりとした強めのカールが、弾けんばかりの若々しさを強調していますね。

メイクもナチュラルで美しいお顔立ちがフレッシュに際立っていますよね!

引用元:ハーパーズバザール

1952年(当時23歳)

カールさせた短い前髪はそのままで、映画「初恋」出演時にはポニーテールでバレリーナ役を演じました。低めのポニーテールにスカーフを巻いていてバレリーナらしいスタイリングとなっています。

短い前髪はワンカールすることでより短くなっていてお人形のような顔立ちが目立っています。バレリーナの経験があるオードリーさんだからか、とても似合っていて素敵です。

イノセントな魅力がより輝いていますよね!

引用元:VOGUE JAPAN

1953年(当時24歳)

映画「ローマの休日」では全体を短くカットした新しいヘアスタイルで世間を魅了しました。ゴールデンバランスと呼ばれている彼女の顔立ちがより際立つヘアスタイルでした。

ピクシーカットと呼ばれるこの髪型は「ローマの休日」公開以降、世界中でトレンドとなりました。やがて日本でも大流行し、女性たちがこぞって真似をしていました。

表情もまるで女優としての自信が表れているかのような凛とした表情で美しく、かっこよさも感じます。

この映画は、アカデミー賞では主演女優賞、脚本賞、衣装デザイン賞を受賞していて、日本でも何度もリバイバル上映されており今もなお人気のある作品で世界中の人から愛されています。

引用元:クランクイン!

1954年(当時25歳)

映画「麗しのサブリナ」出演時のオードリー・ヘプバーンさんは、短めの前髪を斜めにカットしていました。

これまでのカールした前髪とはまた一味違った印象となっていますね。髪型はアップスタイルなので美しいお顔がよく目立っています。眉毛も太く、メイクも全体的に濃いめに仕上がっています。

この映画では斜めにカットされた前髪と高めのポニーテールで主人公の可憐なティーン時代を演出していました。無造作な前髪もとても可愛くて素敵ですね。

引用元:映画.com

1957年(当時28歳)

映画「昼下がりの情事」ではセンターパーツ(センター分け)の前髪で主人公を演じました。

センター分けの前髪はこれまでしていなかったので新鮮な印象を与えました。そして眉毛は濃く太くなっています。

より目元が目立って力強さを感じますね。トレードマークの太めの眉毛も相まって彼女の自信が表れているかのようです。

引用元:VOGUE JAPAN

1961年(当時32歳)

映画「ティファニーで朝食を」に出演した時のオードリー・ヘプバーンさんはボリューミーなアレンジヘアで主人公が作り上げたゴージャスさを表現していました。

一児の母とは思えない美しさとモードな雰囲気で、以前と変わらぬスタイルから彼女の努力や女優魂を感じずにはいられません。

ヘアカラーにはハイライトが入っていて、モードな魅力がプラスされています。

ここからの60年代のオードリーさんは、当時のトレンドでもあったボリュームたっぷりの精巧なアレンジヘアや、襟足とサイドを短くカットし、トップに少し長さを残したショートヘアであるモードなピクシーカットをたくさん披露しています。

引用元:スクリーンオンライン

1963年(当時34歳)

映画「シャレード」に出演した時のオードリー・ヘプバーンさんは、トップを盛り上げたマチュアなヘアスタイルで未亡人を演じました。

この作品では3回目の英国アカデミー最優秀主演英国女優賞を獲得し、ゴールデングローブ賞にもノミネートされました。オードリーさんは着実に実力派女優としての実績を積んでいきました。

30代半ばにさしかかり、大人の女性の風格が現れていますよね。

引用元:MOVIE WALKER PRESS

1966年(当時37歳)

映画「おしゃれ泥棒」に出演した時のオードリー・ヘプバーンさんは一気にモードなショートヘアへと進化を遂げました。

それまでの正統派なイメージとはガラリと変わり個性的な雰囲気が出ています。どんなスタイルでも似合うオードリーさんはすごいですね。

眉毛も当時の流行だった細い眉毛に変化しています。メイクもモード感が強く、全体的にファッショナブルなイメージが強調されています。

引用元:ハーパーズバザール

1967年(当時38歳)

映画「いつも2人で」に出演した時のオードリー・ヘプバーンさんはワンカールのボブヘアでした。

とてもシンプルな髪型でつけているカチューシャも細めです。眉毛も薄く細く描かれており、今までとはまた一味違ったナチュラルさが演出されています。

この作品を撮った映画監督はオードリーさんがとても楽しそうに演技していたと語っており、またこの作品のオードリーさんの演技が1番良いと評価している人も数多くいます。ゴールデングローブ賞にもノミネートされました。

引用元:ソニー・ピクチャーズ

1976年(当時47歳)

映画「ロビンとマリアン」に出演した時のオードリー・ヘプバーンさんは全体をカールしたショートヘアでした。30代までのモードでおしゃれな雰囲気とは一線を画しており新たな魅力を開花させました。

素敵な年齢の重ね方にも注目が集まりました。

さらに、家族との時間を大切にするために映画やドラマの出演を一時ストップしていたオードリーさんの久しぶりの出演作ということもあって、本作はかなりの注目を集めました。映画の評価はとても高く、オードリーさんの復帰作に相応しい作品になったと評価されています。

引用元:婦人画報

1981年(当時51歳)以降

50代以降のオードリー・ヘプバーンさんは役作りを除いて、オールバックのヘアスタイルへと落ち着きました。アップヘアにしたり、低めの位置でひとつに結んだりとマイナーチェンジはあるものの、シンプルなヘアスタイルが彼女の定番となりました。

メイクもどんどんシンプルになっていきました。しかし華やかさは失われておらず、むしろイキイキと輝いているのが彼女のすごいところです。自然体で飾らないその美しさや生き方は、世界中の女性の憧れの姿となりました。

元々シンプルなスタイルが好きだったそうなので、ヘアスタイルも飾らずミニマムなスタイルに行き着いたのかもしれませんね。

シン

オードリー・ヘプバーンさんのヘアメイクって誰が考えていたのかな?

ラン

オードリー・ヘプバーンさんは女優だったから、その時々の役柄に合わせてヘアメイクを変えていたんだと思うよ!プライベートの時の彼女はシンプルなスタイルを好んだみたい!

オードリー・ヘプバーンの名言10選!

引用元:VOGUE JAPAN

オードリー・ヘプバーンさんは数々の名言を世に残しています。

1993年にこの世を去って30年以上の月日が流れてもなお、世界中の人々から愛されている彼女の名言10選を紹介します!

オランダにはこんなことわざがあります。『くよくよしても仕方ない。どのみち予想したとおりにはならないのだから』。本当にそう思うわ

引用元:ELLE

オランダのことわざ、素敵ですね。オードリー・ヘプバーンさんが選ぶ言葉は前向きで、ポジティブなパワーに溢れていて多くの人に希望、そして勇気や元気を与えています。

チャンスは滅多にめぐってこない。だから、いざめぐってきた時にはしっかりつかまなければならない

引用元:VOGUE JAPAN

下積み時代もあったオードリーさんですが、チャンスをしっかり自分のものにして、一気にスターダムの道を駆け上った彼女だからこその言葉ですね。

不可能なことなど何もありません。不可能(Impossible)という言葉自体が『私は可能(I’m possible)」と言っているのです

引用元:VOGUE JAPAN

知的でユーモアのセンスにも富んでいたオードリーさん。なんでもポジティブに変換できることって素晴らしいですよね!

何より大事なのは、人生を楽しむこと。幸せを感じること、それだけです

引用元:ELLE girl

シンプルながら人生において大切なことがギュッとつまった言葉ですね。誰に対しても伝わりやすい言葉であることも名言として語り継がれている理由の一つなのでしょうね。

自分自身に対して100パーセント率直でなければなりません。 欠点を隠そうとせずに、 正面から向かい合うのです

引用元:ELLE girl

身が引き締まる思いになる言葉ですね。自分自身に対して素直に向き合うことの大切さを痛感します。

引用元:ELLE

ユニセフの親善大使として晩年は支援活動などに注力していたオードリー・ヘプバーンさんは、戦争体験や慈善活動を通して気づいた名言も多く残しています。

戦争を経験して、逆境に負けない強靭さが身につきました。また、戦争が終わって戻ってきたもののありがたみをつくづく感じました。食料、自由、健康、家庭、そして何より人の命に、深い感謝の念を抱いたのです

引用元:ELLE girl

戦争を経験したオードリーさんだからこそ言えることですね。オードリーさんは戦争体験を通じてほかにもたくさんのメッセージを残しています。

リーダーの方、誰かの親である方、若者達、どうか、自分の子ども時代を思い起こしてください。そして、このように恐ろしい人生のスタートを切らざるを得なかった子どもたちを助けに来てください。

引用元:ユニセフ

オードリーさんが、ユニセフで慈善活動をしていたときに残した言葉です。実際にこどもたちと交流したオードリーさんの言葉は真に迫りますね。

どんな日であれ、その日をとことん楽しむこと。ありのままの一日。ありのままの人々。過去は、現在に感謝すべきだということを私に教えてくれたような気がします。未来を心配してばかりいたら、現在を楽しむゆとりが奪われてしまうわ

引用元:ELLE

今を楽しむことの大切さを、よく感じることのできるメッセージですね。そのときどきを楽しんで輝いてきたオードリーさんならではの言葉と言えるでしょう。

どんな人でも、不安がきれいに消えるということはないと思うの。成功すればするほど、自信は揺らぐものだと思うこともある。考えてみれば、恐ろしいことね

引用元:ELLE

女優として成功を収め、スターとなったオードリーさんのこの言葉には深みがありますね。きっと、彼女にも数々の不安があったのでしょうね。

最も可愛い女の子は、幸せな女の子だって信じてるわ

引用元:ELLE girl

多くの人から美しいと愛されてきたオードリーさんの「可愛い女の子」の定義です。オードリーさんは内面が外見にも現れると度々説いています。

シン

オードリー・ヘプバーンさんの名言って他にも色々あるのかな?

ラン

他にもたくさんあって、世界中の人にインスピレーションを与え続けているよ!オードリー・ヘプバーンさんの名言をまとめた書籍なども発売されているよ!

オードリー・ヘプバーンさんがデビューした1948年はこんな年だった!

引用元:中日新聞国立国会図書館時事ドットコムニュース

オードリー・ヘプバーンさんがデビューした1948年は、「東条英機らA級戦犯の死刑執行」、「太宰治の入水事件」、「イスラエルの建国」などの出来事があり、話題となりました。

また、この年の流行語(大賞)は、太宰治さん小説斜陽」に登場する、没落した上流階級を指す言葉で、戦後の社会変化の中でそれまでの生活水準での暮らしができなくなった人々を指す「斜陽族」が流行しました。

オードリー・ヘプバーンのプロフィール・SNS

引用元:産経新聞

プロフィール

  • 名前:オードリー・ヘプバーン(おーどりー・へぷばーん)
  • 本名:オードリー・キャスリーン・ヘプバーン=ラストン
  • 生年月日:1929年5月4日
  • 没年月日:1993年1月20日(63歳没)
  • 出身地:ベルギー
  • 血液型:A型
  • 趣味:ガーデニング
  • 特技:バレエ
  • 所属事務所:フリー

受賞歴

アカデミー賞

  • 1954年:第26回/女優賞(ローマの休日)
  • 1955年:第27回/女優賞(麗しのサブリナ)*ノミネート
  • 1960年:第32回/女優賞(尼僧物語)*ノミネート
  • 1962年:第34回/女優賞(ティファニーで朝食を)*ノミネート
  • 1968年:第40回/女優賞(暗くなるまで待って)*ノミネート

ゴールデングローブ賞

  • 1954年:第11回/最優秀主演女優賞/ドラマ(ローマの休日)
  • 1957年:第14回/最優秀主演女優賞/ドラマ(戦争と平和)*ノミネート
  • 1958年:第15回/最優秀主演女優賞/コメディ/ミュージカル(昼下がりの情事)*ノミネート
  • 1960年:第17回/最優秀主演女優賞/ドラマ(尼僧物語)*ノミネート
  • 1962年:第19回/最優秀主演女優賞/コメディ/ミュージカル(ティファニーで朝食を)*ノミネート
  • 1964年:第21回/最優秀主演女優賞/コメディ/ミュージカル(シャレード)*ノミネート
  • 1965年:第22回/最優秀主演女優賞/コメディ/ミュージカル(マイ・フェア・レディ)*ノミネート
  • 1968年:第25回/最優秀主演女優賞/コメディ/ミュージカル(いつも2人で)*ノミネート
  • 1968年:第25回/最優秀主演女優賞/ドラマ(暗くなるまで待って)*ノミネート

その他

  • 1954年:トニー賞/演劇主演女優賞(オンディーヌ)
  • 1968年:トニー賞/特別賞 特別貢献賞
  • 1993年:エミー賞/情報番組個人業績賞(オードリー・ヘプバーンの庭園紀行)
  • 1994年:グラミー賞/子供向け朗読アルバム賞(Audrey Hepburn's Enchanted Tales)
シン

オードリー・ヘプバーンさんが達成しているEGOTってどういう意味なの?

ラン

EGOTというのは、アカデミー賞・エミー賞・グラミー賞・トニー賞のすべてを受賞した人に与えられる称号だよ!2025年時点で19名が達成していて、オードリー・ヘプバーンさんはそのうちの栄誉ある1人なんだよ!

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